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(再質問)この額の書はなんて書いてありますか?
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柿本人麿が近江の国から(奈良に)上京した時、宇治の河岸に到着して作った歌 物部(もののふ)のやそ宇治川の網代木(あじろき)にいさよう浪の去辺(ゆくへ)知らずも 小型の(初学者向けの)古語辞典には名歌の解釈とか語釈とかいう付録やコラムのあるものがありますが、そのうちの半数ぐらいに取り上げられている歌です。「もののふの」は「やそ(八十)」の枕詞、「物部八十氏」の「氏(うぢ)」は「宇治川」を引き出す序詞(じょことば)。歌意の根幹は「宇治川の網代の杙に行き来する波は結局どこへ行くやら」 『旺文社 高校基礎古語辞典』1982初版 宇治川の網代木のまわりにただよっている河波のように、どこへ行ってよいかわからない。どうしてよいかわからないことだ。〈この歌は、古来仏教的な無常観を詠んだ歌とされるが、それに対して、眼前の美景を述べただけだとする説もある。〉 『学研 新古語辞典』1986年初版 付録 名歌辞典 宇治川の網代木のところで流れずにいる波がどこへ流れて行くのか、その行方もわからないことだ。〈行く先のわからない波に人の世の無常を見ている。〉 『古語林』 1997初版 この宇治川の網代木の辺りにたゆいたいつつ流れ去る波の行方を知らないことだ。〈自然詠・無常を詠ったもの・第4句までを序詞として悲嘆に歌う、などの説がある。〉 『ベネッセ古語辞典』1997年改称初版 別冊「名歌名句鑑賞事典」 宇治川の網代木の所で漂っている波の、行方もわからないことだ。〈古来、解釈が分かれ、無常を表す歌として受けとられてきたが、作者は率直に実景を述べているとも考えられる。〉
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- kzsIV
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毛乃々婦農/八十宇知可/波能愛之呂/木尓意散与不/那三乃遊久遍/之良数毛 柿本の朝臣人麿の、近江の国より上り来る時、宇治の河辺に至りて作れる歌、一首 物乃部能/八十氏河乃/阿白木尓/不知代経浪乃/去辺白不母 (万葉集巻第三)
補足
ありがとうございます! ご回答くださったこと、大変感謝いたします。 頂いたは良いものの、書かれていることがわからず困っていました。 ただ、作者は柿本人麻呂(でよいのでしょうか?)、 上記が歌われた背景は書き添えていただいた文章で理解できますが、 肝心な歌の意味がどうしてもよく判りません。 何度もご面倒をおかけしますが、 もしよろしければ、教えていただけませんでしょうか。 宜しくお願いいたします。
お礼
kzsIV 様 大変丁寧なお返事、ありがとうございます! とてもよく解りました。感謝申し上げます。 人の世を憂いた、少し寂しい歌なんですね。 額自体は、横が2m程もある大変大きなものなんですが、 このような大きな額に、なぜこの歌を題材にして書にしようとしたのか… さらに不思議に感じました。 頂いた方から、その辺りのことが判れば良いのですが、 残念ながら今やたどることが出来ないので、想像しながら楽しむことにします^^ 今回のことで、知ることがなかった「書」や「万葉集」というものに触れる機会を得て、 その奥深さを感じるきっかけになりました。 年末のお忙しい中、最後までお付き合いくださり、心よりお礼を申し上げます。 来たる年も、kzsIVさまにとって良い年になりますよう、お祈り申し上げます。