• 締切済み

貧乏な人生

子供の時に行った友達の誕生日会がとても羨ましかった。 骨の先に肉がついている!スゲーっと思った。 でも、大人になってその友達が生活保護の家だと知った時には複雑な心境になった。 家にはお菓子があったことはなく、氷砂糖がお菓子だと思っていた。 たまに即席めんをポリポリ食べてうまいと思っていた。 親父は大酒のみで、酒ですべてを無くした。 でも親父が死んだとき、俺に残してくれた物があった。 腕時計だった。だがその腕時計は壊れていた。 32歳の時に会社がなくなった。 不景気の真っ盛りだった。 求職活動の末、正社員採用の話もあったが、 家族がいたため安い給料ではやって行けず、給料の良い派遣の仕事で食いつないだ。 子供3人、うち一人に障害がある。稼いだ金はすべて生活費に持っていかれる。 一生懸命お金を貯めたけど、非正規雇用のため 仕事が打ち切られるたびに貯金を切り崩した。 そして現在45歳、6畳二間の賃貸で家族5人住んでる。 住んでるアパートは、自分除いてみんな生活保護者ばかりだ。 現在無職、12月で貯金が底をついた。 ここから這い上がれるのは、たぶん無理だと思う。 でも何とか自立しては生きていたとは思う。 とりあえずまだ借金が無いのが救いだ。 皆さん、読んで頂きありがとうございます。 何か力がわくような言葉を頂けると幸いです。m(__)m

みんなの回答

noname#203300
noname#203300
回答No.11

 in_go-ing です。  『お礼』拝読いたしました。 > 少しやり始めていまして、システムを構築するために いろいろな問題を克服しようとしているところです。  どんなお仕事か分かりませんが、『システムの構築』なんて走りながらおやりなさい。どうせ意図通りに動き出すことなんてありえません。  私も金箔の卸を知り合いに頼まれて副業で始めたら、いつの間にか金蒔絵の施された印材が専門になってしまった。私は絵の方がからきしダメで、亡くなった女房殿に任せていましたが、それでもかなりの額は蓄えられた。仕事なんてそんなもんでしょう。 > でも、それ以上に生活費が圧迫していまして現実は非常に厳しいです。  はい。私も自営で40年ですから、その厳しさは良くわかります。  でも、『金は天下のまわりもの』です。友人でも親戚でも質問者様を信じてくれる人から借りに借りることです。当面なんて100万もあれば足りるでしょ? そんな金なら成功すれば倍にして返せる。自信を持って今を切り抜けてください。私も苦しい時にはカードの限度額いっぱいまで借入したこともあります。年金なんて払えなかった。でも、今は悠々自適の隠居生活。年金事務所から70万払えば年金がもらえるって手紙が来たので娘に相談したら「70万でしょ?払って年金もらえばすぐに取り返せるじゃない。」って。年金なんてないと思って一生涯の収入確保に頑張ってきましたが、まさか年金貰う歳まで生きているとも思ってなかった。自営の人生ってそれだから面白いのです。退職金でプリウスやレグザス買って喜んでいるサラリーマンとは違うのです。私のメルセデスはガソリン代まで経費です。(笑)  還暦過ぎの悠々自適の隠居生活を目標に頑張ってください。その頃私は墓の中でしょうが。(笑)

  • pct10968
  • ベストアンサー率21% (641/2971)
回答No.10

じじいです。 貧しさには、それなりの美しさが在る。 私の貧しかった頃の実感です。 >とりあえずまだ借金が無いのが救いだ。 そうですね、借金に手を出さずに身の丈の生活をする。 一生懸命生きていると、貧しいって事は他の裕福な家庭よりももっと多くの生きている喜びを感じる事が出来る。 生きている喜びをこれからも大事にして生きて下さい。

  • MAROU2678
  • ベストアンサー率13% (9/65)
回答No.9

私も若い頃は毎日黄粉ばかり食べたり麦だけのメシ食べたり しましたけど・・・まあ大抵誰でも不幸な時はありますがね 人間は運勢が10年毎に変化しますから将来良くなる 可能性はありますが。まあ風水とか改名とかやってみたら どうですか?ただいい加減なモノもありますからやるなら慎重に やってください。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (957/8930)
回答No.8

>親父は大酒のみで、酒ですべてを無くした。 お金はそこそこあったけど使い方を間違えてたのかなぁ? >6畳二間の賃貸で家族5人住んでる。 お金はそこそこあるけど子供を作りすぎたのかなぁ? 子供が稼げるようになるまであとどれくらいなんだろう?

baikebaike
質問者

お礼

>貧乏なりにも家はありました。 ただ、怖い人たちがやってきて家を出ていってくれとは言われました。 親父は理由を墓場まで持っていったので、何をやらかしたのかは良くはわかりません。 >結婚した当時27歳で貯金300ぐらいです。会社がなくなった時はほんの少しだけ退職金が出ました。 なのでお金がそこそこある状況とは言えなかったです。 子供は、高校生(県立)と中学生2人です。 ありがとうございます。

回答No.7

淡々と書かれてはいるけど、運が悪いとか、親のせいとか思っているのかなあ、確かにそれはあるだろうけど、子供3人「自分で」作って貧乏を嘆かれると・・・・・・・・・・・・・。

baikebaike
質問者

お礼

正直、親のせいや運が悪いと思う事はあります。 それに、もし一人なら非正規なりにも少しは貯金もできて 今より生活は楽になったんじゃないかとは思います。 でも、子供は作ったんじゃなくて授かりものです。 これも自分の運命ですかね。 ありがとうございます。

回答No.6

中1、小3、5歳児、2歳児と子供が4人。それなのに、夫婦二人共に無職の身に。何とか再就職できたものの、そこは超片田舎の小さな工場。年収は支給総額で僅かに120万円でのリスタート。給料日に隣町の銀行へ行くバス賃がありませんでした。ですから、妻が子供を背負ってテクテクと2時間かけて歩くというのも珍しくはなかった。 >赤ちゃんば背負ってどこまで行くと? >○○町までです。 >えーっ、あんた、とても歩ける距離じゃなかばい。 >バスに乗っていかんね。 その僅かなバス賃が月末にはありませんでした。家賃8,000円の極小アパート。TVも冷蔵庫もなし。正に、「どん底」の貧乏生活。給料が出ると近くの店に家族全員で出かけ真ん中で二つに折れるアイスクリームを3本。それを分け合って食べるのが唯一の楽しみ。家賃・水光熱費等を払った残りは、30の封筒に小分けしての完全計画経済。 >パン屋さんにパンの耳を分けてもらった。 >八百屋さんに捨てるキャベツの葉っぱをもらった。 そんな夕食が終わると、みんなでポンジャンゲーム。そりゃー、楽しい一時でしたね。 妻:キャハハ!キャハハ! 私:よくそんなに笑えるなー。 妻:だって、毎日が楽しいんだもん。 しかし、よく笑う妻でした。そして、とっても楽しそうな妻でした。 私:転職は大失敗だったかなー。 妻:この馬鹿! 私:馬鹿とはなんだ! 妻:解釈する暇があれば行動せんね。  :それが出来なきゃー、あんたは真正の馬鹿よ! そんなこんなで、潔く再転職を諦めて田舎で頑張ることに。さて、そうなると、「いかに貧乏生活をエンジョイするか?」が最大の関心事に。 1、毎週の日曜日には近くの喫茶店でモーニングを楽しむ。 2、月に一度は、遊園地およびキャンプに出かける。 3、とにもかくにも、みんなお洒落な格好で決める。 4、ゲーム機というゲーム機は何があっても買い揃える。 >えーっ、うちってそんな貧乏だったの? >結構、金持ちかと思っていた。 >だって、日曜日には喫茶店に行っていたしゲーム機は溢れかえっていたし。 >服だって、ブランド品だったし。 貧乏だろうが、金持ちだろうが。その一生は、星の瞬く間の一生。そんなに大きな違いはない。それなら、頑張って働いて、そして、全力で人生を楽しんで。ちょっとばかりボランティアなんかできればよい。 ともかく、働くことは人間であり続ける基本的な条件です。働くことが生活費と職能開発の源泉。どんな給与でもいいから、どんな条件でも良いから、とにもかくにも働くことです。そして、その労働できる日々を喜びの中に過ごすこと。職能とか待遇とかは、その後に能力に応じてついてくるもの。それがいかなるものかは横において、星の瞬く間の一生は全力で駆け抜け全力で楽しまなきゃー。 駅に降り立ち、田んぼの中にポツンと見える小さな工場を発見した時、これから始まる困難な日々にワクワク・ドキドキしたもんですよ。「どん底」の貧乏生活に対峙するのって、ちょっとワクワク・ドキドキしませんか?そういう中で、如何に生きてみせるのか?それもまた、面白い挑戦だと思いますが・・・。

baikebaike
質問者

お礼

結構、厳しい状況ですね。 でも気持ちはとても理解できます。 お互い頑張りましょう! ありがとうございます。

  • shiroya
  • ベストアンサー率10% (117/1143)
回答No.5

ここに質問が出来ている以上、大したことないな。

baikebaike
質問者

お礼

おっしゃる通りです。 お金は無いですが、健康な体があります。 健康が一番ですから。 ありがとうございます

noname#203300
noname#203300
回答No.4

 まだ『45歳』でしょ。私になるにはまだ20年もある。  私がまだ学生で塾の講師をしていた頃高校生を相手によく「自分が50になった時どんな生活を送っていたいかよく考えて、それに向かって努力しろ。」なんて言ってました。  45歳じゃまだまだ若い。正直、地方の貧乏自営の息子で、大学を出てからずっと板子一枚下は地獄って自営に道を歩いてきた私から言えば「正社員の道を探せ。45歳で正社員の道がないなら、なぜ自分で仕事をしないのか?」ってことなんです。  私の知人は会社が倒産して「何かお手伝いすることはありませんか、何でもできます。(実際は何もできない?w)お電話ください。」ってチラシを作りスーツにネクタイ姿で一軒一軒撒いて歩いたそうです。夕方からは祈るような思いで電話の前で待っていた。その内1件、2件と依頼が舞い込み、今では大きな『便利屋』にまで発展した。「in_さん。犬の散歩や病院までの送り迎えなんてのもありましたよ。さすがに子守は出来ませんから△△(これも友人)の奥さんにお願いした。専業主婦ですからね。」って笑っていました。  仕事なんてどこにでも転がっています。私の座右の銘は『何とかなる、なる。』三遍唱えて寝床に入れば間違えなく明日になってる。

baikebaike
質問者

お礼

ありがとうございます。 おっしゃる通り、仕事はどこにでも転がっているというのは理解できます。 実は少しやり始めていまして、システムを構築するために いろいろな問題を克服しようとしているところです。 意外と、単純な事ほど仕事になると感じています。 でも、それ以上に生活費が圧迫していまして現実は非常に厳しいです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

訳あって、ワタシも昔、ひどい貧乏を経験しました。 食事はパンの耳でした。 スーパーやパン屋さんからもらってくるのですが、 あれ、数回喰うと飽きるんですよね。 無理矢理水で流し込みます。 その習慣が今でも残っていて、夫婦二人、年間に 使うお金は60万です。 これにはマンションの管理費、光熱費、娯楽費など 全て含みます。 税金は含みません。 お米なんかは屑米ですわ。 動物の餌にするやつです。 虫だらけ、ゴミだらけですので掃除をしてから いただきます。 夫婦二人、地道に働いて来ましたので、今現在お金には さほど不自由していません。 出会う人には、貧乏を自慢しています。 家族と協力して頑張れば何とか乗り切れるんで ないですか。 当時のワタシは、明けない夜はない、という 言葉を何度も繰り返して生活していました。

baikebaike
質問者

お礼

年間60万は凄いですね。 小学6年の時に、近所のおじさんから パチンコ景品のハイクラウンチョコレートをもらった事がありました。 毎日少しずつ舐めて一か月ぐらい持たせました。 未だに忘れられない思い出です。 まだ貧乏ですが、いつか余裕ができればいいなと思います。 ありがとうございます。

  • kyoromatu
  • ベストアンサー率14% (746/5024)
回答No.2

大丈夫!心配するな!!何とかなる!!!・・・

baikebaike
質問者

お礼

ありがとうございます。