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諦める勇気
- 負けず嫌いな27歳男性が、自分が納得するまで妥協しない生き方に悩む。
- 若さや体力に負けずにサッカーを続けることに執着し、将来の夢である医者になるために諦める勇気を持つ。
- 自分の夢を諦めるとき、どうやってモチベーションを保ちながら次のステージに進んでいくかを尋ねる。
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質問者が選んだベストアンサー
なにか非常に苦しい方角へ自分を追い詰めていますね。 サッカーは「加齢への抵抗」 医師免許は「知能の限界への体当たり」 (多くの方が国家試験に落ち続け予備校だけが喜ぶ) 私は高校二年の一学期の中間考査中爆発的な消化器性潰瘍を起こし 冗談では無く「三途の川」へ行って来ました。 世界的な名医の伯父が危うく救ってくれました。 だから理IIIを諦めました、泣く泣く諦めたのでは無く この調子では医学部へ行っても身体が持たない、 身体が警告を発していると思ったのです。 入試があんまり簡単だったので、理III受けりゃ良かったな と思いましたが、私に二度目は無いのです(ジンクスのようなもの) 慶応の医学部簡単でしたが、入学金さえ払えないほどの赤貧でした。 (確か50万程度だった、大昔です) 時々人体で実験したかったなーと思いますが、もうそっちの道は「無し」 悲劇になる前に世界があなたに求めていることについて考えるべきです。 悲劇と言えばうちのガキは筑波大に七年いて、どうしても「合わない」 退学して「代アニ」へ行き出た歳が27。ワーキングプアですが、狂った様に 原画を描いています、時々演出もやり助監督は(?)と言われたが首を振った それは「やりたいことでは無い」「美しい絵が描きたい」月収六万。 だから40になったらフリーターになる約束です。
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- taka-aki
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> 見栄のない男はいないですよ。 苦しいのは自分が見栄だけで中身がないのを自分で知っているからです。 なら見栄なんてないほうがいいでしょ。 自分が夢だと思っていたのはただ見栄を張りたいだけの中身のないハリボテ。 一等賞を取りたいのはそうしないと自分の空っぽな心を保てないから。
補足
質問ですが、 >中身がないのを自分で知っているからです。 では、中身がある、中身がある人というのはどんなことをしているのでしょうか。 抽象的すぎてどうやって中身を成熟していけばいいのかわかりません。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
もう一度心の中で小学生時代からやり直して今度は医者以外の夢を持つように成長し直す。 医者だってほんとにやりたいならもうやってるよ。 ただの見栄だから実現しない。 それは不幸だった子供時代の埋め合わせでしかないので、子供時代に心のダイブをして幸せな子供時代をやり直せば新しい夢も湧いてきます。
お礼
回答ありがとうございます。 見栄のない男はいないですよ。 本当は痛がり繊細負けず嫌いで意地っ張りの頑固者だけど、そんな弱い自分見せたくないからしょうもない見栄を張り続ける。 それでいて、何かに成功すると内心子供のように喜んで自慢したい癖して、「自分はまだまだだけどね」と周囲には謙遜した感じをみせる。 >医者だってほんとにやりたいならもうやってるよ。 回答者様に教師を目指していたけど断念したとおっしゃる人がいるように、ほんとにやりたいことやっている人はそういないものです。 アンケート調査で社会人で就活をもう一度やり直したい人は半数以上いるように、そういう人が大多数なのです。 私はそういう大多数の一人として、充実した生き方も考える時間になってもいいのかな、と考えているのです。
- obrigadissimo
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望んでいることが凡て叶うとは限りませんので、 質問者さま式の《諦める勇気》のようなものが 必要になる人がいるかもしれませんよね。 でもまぁ定年を前にして医学を志し、定年後に 医師の国家試験をクリアした人がいますので、 そうした人に話を聞いてみるのも 1つの方法ではないでしょうか。 (調べればわかると思いますよ) 【人生は、段々に諦めて行くこと、絶えず我々の抱負、我々の希望、 我々の所有、我々の力、我々の自由を減らして行くことの修行である。 Henri Frédéric Amiel:スイスの哲学者】 という言葉の存在を質問者さまのエスプリで消し去ってみてください。 私の知り合いには、苦手だった分野のことを 生業にしている人が複数いるのですが……こうした ケースは訊いたことはないのですが夢などとは 異次元のことなので夢を諦めた結果なのか夢は夢で 育み続けているのかは、ちょっと判りません。 Good Luck!
お礼
回答ありがとうございます。 私の肉体は徐々に衰えていく段階に入っていきますが、魂は全然衰えていません。 周りをあっと言わせるほど、周囲を驚かせるほどの奇跡をおこしたいです。 ただし、今は医学部再受験を挑戦するタイミングではないです。このままタイミングが来なければ諦める勇気を持つべき段階なのかと臆病になってためらっています。 しかし、その挑戦するタイミングが来て、更に人として成熟しきった時 「それでも医者になりたい。このまま諦めたまま人生の終末を迎えたくない」 という魂というか気持ちが全然衰えていなければ、50歳60歳であっても挑戦し続けたいです。
他の方とのやり取りについてで恐縮ですが、私も「子や孫に託す」という姿勢は反対です。 子孫に託すのは自分の遺伝子の可能性だけにしてほしい。 「生きる」以外のやりたかったことを託されても重荷でしかなく自由を奪うだけだと思います。 私も親のエゴには随分苦労させられておりますので、この点は非常に共感します。 さて、諦める勇気…とのことですが、私も他の回答者さんと同じく、ご質問文に何となく違和感を覚えました。 他の回答者さんとのやりとりも拝読して… 少々きつい言い方になってしまうのですが、すみません。 まず、医者になりたい気持ちというのは決して「小学生のような夢」とは思いません。 医学部受験に年齢制限があるかどうかまでは詳しくないのでわかりませんが、しかし40歳、50歳からでも医者を目指す人がいたって構わないと思いますし、小学生と違って受験資格があるわけですから将来の希望として何らおかしくないと思います。 ただ、質問者さんが対峙すべきなのは「自分の壁」ではないかと。 医学部を何度か受験されているそうですね。 そして受からなかったと。 これは…率直に申し上げて「医者を目指す気持ちが、本当はない」のではないかと…すみません、そう感じました。 世の中には色々な壁があって、社会人になってから対峙するものの多くは「自分の力ではどうしようもないもの」です。 わかりやすいもので言えば、近々選挙がありますけれど、民衆が誰に投票するかというのはどれだけ努力したところで自分一人の力ではどうしようもありません。 これと似たようなものが社会では非常に沢山あります。 しかし逆に言えば、「大学に受かるかどうか」というのは自分の力ややる気一つでどうにでもなるものです。 勿論、天才レベルしか受からないような大学、学部もあるにはあります。 しかし医学部は…正直そこまでではないと思うのですが、如何でしょうか。大学のランクも色々ありますし。 受かって実際に通い始めてから、何かが違う、自分には合っていない、諦めたほうがいいのではないか。 または受かったは良いけれど急に学費が出せなくなった。どうしても諦めざるを得ない。 それならわかります。 しかし受かってもいない段階では、単純に努力不足、やる気不足の要素が大きいので… そういう自分と対峙して「あんた、本当はどうしたいの?」と会話してみる他にないような気がします。 なのでざっくり言わせて頂くと… 「元々やる気なかったんじゃないの?どうなの?」 です。 逆に言えば、受かるならぜひ目指して頂きたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 最近の親は趣味感覚で自分の子供のプライベートに介入して多くの指示をだして、子供自身が自分の方向性を失っている、そんな現象を多く見かけるような気がします。 ですので、同じ境遇として誰かに託すというのは賛同できないですよね。 >「元々やる気なかったんじゃないの?どうなの?」 というより、「失敗した時の代償」がものすごく恐ろしいから慎重になっているのです。 成功例だけならべて楽観的になるのは、ずいぶん昔の私でした。 努力すればなんとかなるとか、意気込みや精神力でどうとかなるというのは私も信じ切っています。 受験やって大学生やって研修生やって、ここから10年の修練は大したものではないです。苦しみで死ぬわけではないですから。 しかし、現実をしっかり受け止めないといけないのが医学部再受験です。 私の場合、金銭面をクリアしないといけないのです。 医学部再受験から医者になるには受験費、生活費、授業料こみこみで2000万円かかります。 2000万円は途方もない金額です。 「奨学金で大学の授業料をまかなうことができる」と、楽観的な視野を持つこともできますが、どちらにせよ受験を開始する際は仕事を退職してその期間の受験費・生活費は貯蓄の切り崩し前提です。 社会人と医学部受験の二足のわらじはパターン的にうまくはいかないですから。 この軍資金をしっかり得られるまでは戦をしない、ですからどちらにせよ何年かは社会人でやっていく必要はあるのです。 はっきり言って怖いですよ、失敗した人を何人か見てきましたし。 一番記憶に残っているのが私が一浪時代、28歳で妻子持ちが奥さんに頼み込んで医学部再受験していましたが、大きな代償を背負って受験の世界から去りました。 友人などつくらず、軍人のような規律をもって勉強をしていましたけどね。 夢を追い続けると、場合によってはつかんでいた幸せまで失ってしまう。 あのようになるくらいだったら、「大きな満足はないが小さな充実をつかんでいるんだし、あきらめてもいいのでは」という気持ちも芽生えますね。 先日、30歳の浪人生が障害起こして逮捕されましたが、第三者としては受験以外の別の幸せもあったのではと思いますしね。 たしかに「そこまでやる気がない(医者になる気がない)」と言われて否定できないところもありますね。
- sunsowl
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質問者は「自分」というものがよく分かっていないのではないか…という印象ですが、いかがでしょうか。 子供に将来なりたい職業は?と聞くと、彼らは現実を知らないし、自分の可能性や能力も自覚していないので、「サッカー選手」「ミュージシャン」「お医者さん」などと無邪気に答えますが、質問者にもそれに近いものを感じます。 >皆さんは自分の夢を諦めるとき、どうやって自分に言い聞かせて次にステージに進んでいくモチベーションを保っていくのか、教えてほしいです 私の場合は、自分の能力以上のことをやり遂げようとしたことがないので、諦めるということがよく分かっていません。 一般的に、人は、自分なら何ができるかということを考えた上で目標を設定し、それに向かって進むものではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >子供に将来なりたい職業は?と聞くと、彼らは現実を知らないし、自分の可能性や能力も自覚していないので、「サッカー選手」「ミュージシャン」「お医者さん」などと無邪気に答えますが、質問者にもそれに近いものを感じます。 私は周囲が「それってできないんじゃないの?」というのがあまり好きではないんですよね。 今日、白鵬が32回目の優勝を飾りましたが、入門当初62キロだった少年がここまでいくなんて白鵬自身はおろか、周囲も想像していなかったと思います。 白鵬の周囲には「相撲むりなんじゃないの?」と否定した人もいたかと思います。 本田圭祐も周囲は「サッカー無理なんじゃないの?」と否定していたそうです。 周囲の言葉を白鵬が信じて相撲をやめていたら、本田が信じていたら、と思うと私は周囲に対するアドバイスは慎重になりますね。 >人は、自分なら何ができるかということを考えた上で目標を設定し、それに向かって進むものではないでしょうか。 質問者様は優秀すぎるのです。そんな慧眼な人はそうそういませんよ(笑) 自分ができると思ったら全然できなかった、でも別の分野では思ったよりできてしまった。 私はそんなタイプみたいなので、別の分野で取り組んでもよいモチベーションを保つ、「充実できる感触」を継続して得られるようになれれば、今抱えている「あきらめきれない夢」に一つの区切りがつけられるのかもしれませんね。
- parts
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質問者様は、自分がそれを成さないと絶対にダメな人なのでしょう。まだお若いとも言えますが、視野が狭いとも言えます。だから、自分が辞めることは諦めることなのです。医者にしても、科学にしても、スポーツにしても何でもそうですけど、1番やりたいことを成し遂げる手段は、自分がそれを成し遂げることとは限りません。 後進を育てたり、自分以外にそれを志している人が出来るように、環境を整備することを目指す人もいます。諦めるという言い方をすればまるで辞めることとイコールですが、そうではなく別の方向から支えるという考え方もできるのです。 たとえば、自分の母校が何かで大会に出るから、お金を寄付する人もいるでしょう。それは、自分ができなかったことを後身に託すということにもなるわけです。これらは、ある意味では言い訳ですけど、人生は一度しかないが、その人生で失敗すれば上手に最後まで生きられない可能性もあるのが、人生です。そう考えると、諦めるのではなく割り切るための手段も考えるべきです。 それを子供に託したり、孫に託しても良いでしょうし、自分の周りの人に託しても良いでしょう。友人や後身に託して良いのです。自分が出来ることは、自分が成功することではなく、その後の人が成功することで自分の成功のように喜ぶことも出来るのです。 という方法があります。 ちなみに、私は夢は子供頃は掃いて捨てるほどありましたけど、今は一つしかありません。 私の場合は、結構験担ぎをするのでここでは書きませんが、ある程度夢を一つに絞り定めることも大事です。その時々で出来ることを目指すというのは、大事なことです。賢さというのは、何かにしがみつくことでも拘ることでもなく、将来の可能性に希望を持つと言うことです。 明らかに希望がなくなったときに、やはりダメだった。これから何をするか考えもしていないという状況だと、人は枯れてしまいますから、その時々に合わせて自分なりに人を支えたり、自分を支えるモチベーションは探し続けることが大事です。 これは、男性女性に限りません。
お礼
回答ありがとうございます。 さまざまな価値観がありますね、勉強になります。 最初に断っておきますが、これは私の価値観であって自分の生き方を正当化し、回答者様の生き方を否定するものではありません。 >それを子供に託したり、孫に託しても良いでしょうし、自分の周りの人に託しても良いでしょう。友人や後身に託して良いのです。 私の親は私に夢を託したのですが、それがとても重荷になって難しく、苦しいものとなりました。逃げたしたい気持ちになりましたが、あきらめきれない姿勢でそれを克服しました。 この身に染みて味わった経験から私は誰かに託したりするのは遠慮したいかなと。 ただし、「私の生きる姿勢」をみて周囲がどう思うか、そこにスポットを当てたいのです。 いい年こいて大きな夢を見て、がむしゃらになって、一喜一憂している私の姿を見て共感するか、反面教師になるか。 共感となることはとてもうれしいことですが、反面教師になれることもうれしいことです。 結局、その人に何らかの影響を与え方向性を決めたわけですから共感、反面教師「どっちも正解」だと思います。 他人に託したり、教えをするというのはどこか遠いところで生きている人、火星人に見えてしまうときあるんですよね。 学生時代、多くの先生が教訓になることプラスになることを言ってくれてたと思うんですけど、学生は人生経験少ないからそんなありがたい教えなんて右から左に受け流してしまうものです。 私は教育実習を経験しましたが、今になって「あの先生があのときこういっていたのはそういうことだったのかな?」とちょっとわかった程度です。 経験積んだり、痛みを知って何年後か何十年後にわかる内容を「今」伝えて理解されるのは難しいものです。 いろいろと年下にアドバイスをしましたが、年下のレスポンスを見て私は火星人に見えるんだな、理解されないんだな、と。 託すこと、伝えることは私の中で何度も何度も挑戦して「あきらめた」ものです。 他人は変えられないけど、自分は変えられる。 私は「尊敬欲求」より「自己実現欲求」が生きる喜びを強く感じます。
どうしても諦められない時は覚悟を持ってその世界に進む、飛び込む。やってだめならあきらめもつくって感じじゃないでしょうか。まだ夢に向かって何もしてないのなら、それは「諦めた」のではなく、「取り組んでない」ということだと思います。たとえば医学部を何度も受験しても受からないから諦めた、ならわかりますが、医者になりたいと思い描くことをやめたというならそれは諦めたと言わない気がします。 「諦める」という言葉は、「明らかに見る」からできた言葉だそうです。つまり自分の特性・適性・能力を認識できたということだと思います。 27歳だと自分の足元を固めて軸足をしっかりすることに専念するのがいいように思います。得意分野を作るなど。何事をするにも人からの信用というのは大切な要素だと思うので、中期的な視点で戦略を立てるということも必要かと思います。 モチベーションは、何かを始めるためのモチベーション、それを継続するためのモチベーション、結果に仕上げるためのモチベーションと色々な側面があると思います。モチベーションは保つものではなく、その都度、今やってることの目的を明確にすることで自然と邁進(まいしん)できるような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 >たとえば医学部を何度も受験しても受からないから諦めた、ならわかりますが、医者になりたいと思い描くことをやめたというならそれは諦めたと言わない気がします。 そうなんです、私は何度も受験して受からなかったクチなんです。 大学生時代でも、大学生活を削って医学部受験していました。 うけるたびに受かるビジョンが見えてくると、半分宗教のように信じ切っている自分がいるので「あきらめる勇気」がほしかったのです。 >自分の特性・適性・能力を認識できたということだと思います。 27歳にもなれば自分の「得手」「不得手」がわかってくるので、身の丈に合った生き方になってきますね。 若いなら若いなりの無茶な冒険して失敗、そんな回数が減ってきたように感じます。 成功回数にこだわるより、打席に立って空振りする回数をたくさん積んでもふてぶてしくありたいと私は思っていますが、年を食うと空振り一つ一つが痛みに変わってきて、とても怖くなってしまっています。
- Asgrim
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確かに27歳ですから、まだ年下と意地を張ろうという前向きな気持ちが出てくると思います。もう少し年齢を重ねてくると、ちょっと見えてくると思いますが、妥協を許さない生き方は年齢によって変わってくると思います。 例えば、サッカーで言えば、昔の話で恐縮ですがラモスがKAZUに「30過ぎたらサッカー面白くなるよ、すごいワイドに見えてくる」と言っていたそうです。若いときはダッシュやタックル、スタミナなどのフィジカルな面で勝負するとすれば、年齢を重ねていくと、視野を広く持って、最小限の動きで効果的なプレイをする、そして若いやつよりも長い時間ピッチに立っている、そういう勝ち方になってくるのだと思います。 私は教師になりたかったのですが、教師にはなれませんでした。しかし、幸いなことに仕事で人を教え育てる機会を多く持つことができ、教師になってやりたかったことを仕事でできています。 サッカーとは何か、医者とは何か、その根源的な意味や意義をしっかりと見つめたときに、自分の生き方の中でそれを実現できる方法があるはずです。だから、私は大きな妥協はしてきませんでした。 もちろん、そのために多少の犠牲は払いました。会社に居づらくなったり、上司の覚えがめでたくないとかは日常茶飯事です(笑)。 諦める勇気を持つ前に、変わる勇気を考えてみたらどうでしょうか。きっと、妥協せずにできることがあるはずです。
お礼
回答ありがとうございます。 いい経験を重ねたというのが伝わってくる味わい深い解答です、読みごたえあります。 サッカーやっているくせして「走るのが嫌い」な私なので、ラモスの主張は納得できます。 全部の局面でガンガン走るのは疲れるので、要所要所で力を出してあとは惰性にプレーをすることに徹しています。 この要所と惰性の使い分けできるようになったのは「経験の積み重ね」ですね。 ずっとずっと意地はっていたいですね。 50歳になっても20歳と混じってサッカーやってゴールを決めて 「まだまだ俺も捨てたもんじゃねえだろ?」 と20歳に言うのが目標ですけどね(笑) 私の人生、年齢重ねていったときどのような視野をもってどんな振る舞いをしているのか楽しみです。
- せい めい(@2418mo)
- ベストアンサー率33% (4/12)
1回しかない人生なのにやることもやらずに言い訳してるように思えるのは私だけでしょうか?27歳まだやり直しはできます男の人生は生涯のほとんどを仕事に費やすのです。あきらめるのが苦しいのは今の仕事に満足してないからではないでしょうか?もちろん貴方の人生なので私は助言しかできませんがただ27歳であきらめるのは早い 今から勉強して医学部行って卒業しても40歳手前まだまだバリバリ現役でやれる。
お礼
さっそくの回答感謝です。 回答者様のおっしゃる通りです。正論です。 しかし、医学部志望を公言したことがあります。理由は「医学部以外の退路をたつため」です。当然修練も重ねました。 世代が近い人には応援の声があって励みになりましたが、実際はその倍以上の批判をうけました。 今の仕事に就くことさえ「就職は難しい」と言われたうえ(そこまで大した仕事ではないです)、医者は夢物語などとかなり厳しい言葉も言われました。 それを押し戻そう、いいえ黙らせてやろうという意味も込めて公言したのですが、思いのほか厳しい洗礼を浴びることになりました。 周囲の意見を言い訳にしている、といえばそれまでですが周囲の意見もこれもまた正論なのです。 医者だけが人生ではないし、医者以外でも立派で幸せな生き方している社会人いますから。 私の場合「医者をあきらめて、医者以外でも楽しい人生を送れる気持ち」を手に入れたいのです。
お礼
回答ありがとうございます。 回答者様のような回答を心待ちにしていました。 私は「精神論が足りないんだ、気合があれば何でもできる」みたいな非現実的な考えはまずいのでは、という悟りの段階に入ってきました。 若い時は熱意や強い精神でそういう無理難題な壁にも克服できる、と信じ切っていますしいまだ信じている自分がいるのは確かですが、、これからの人生はそんなバクチ的な生き方より、現実を捉えどう「勝ち戦」に持っていくか、ここが大事だと考えています。 Dカーネギーの言葉を借りるなら、「そこにレモンがあるのならば、レモネードを作る努力をしなさい」ですかね。 「諦める勇気」というのは「素直に負けを認め、結果をだせる世界で挑戦する」という姿勢ですね、一銭にもならないプライドを頑固に誇示していて結果悲劇になるのはホントにみじめですからね。 サッカーでは、「魅力ある観客を魅了できるサッカー」か「派手さはないが勝ち星を確実に積み重ねる堅実なサッカー」かでよく議論されています。 すべてのサッカーファンは一度「勝てるし面白いサッカー」という夢を追及するのですが、玄人にもなると「面白いサッカーよりとにかく勝てればいい」という考えになります。 つまり無理なんですよね、結果も内容もどっちも得るというのは。 私も人間の素人みたいなものですから「医者にもなりたい、人生充実したい」みたいな夢を追及しますが、一日も早くその夢から目が覚めて「医者にはなれないが、人生充実している」現実路線に移行したいです。