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1971年 阪神

V9の間、2位は阪神5回、中日4回。中日が2位の内、3回は阪神が3位です。つまり、V9を通じて阪神は8回Aクラス。中日は3回Bクラスなので、まあ、2対1の割合の強さ。阪神のAクラス率は9分の8。つまりおよそ9割です。やはり、9年を通じて阪神が巨人の対抗馬として機能していたに違いありません。しかし、唯一1971年だけ5位ですが、この年は江夏はオールスター9三振の年ですが、ここだけ5位に低迷したのはなぜですか?。

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  • jyunkyuu
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回答No.1

その江夏が不調だったからです。 1971年前後の成績を見ると1970年は21勝17敗、1972年23勝8敗、1973年24勝13敗でしたが、1971年は15勝14敗にとどまりました。この年、江夏は持病とも言える心臓発作に苦しめられ、満足な投球ができませんでした。 オールスター前はわずか6勝9敗で、監督推薦では到底選出されない成績でしたが、ファン投票で選ばれました。「こんな成績でオールスターに出してくれたファンの声に応えたい」と一念発起したのがあの9連続三振につながったとのことです。 それ以外でも村山が7勝にとどまり衰えが隠せず、期待の若手上田次郎も1勝6敗と惨憺たる成績、投手で活躍したといえるのは12勝9敗の古沢だけでした。 打者でも期待の田淵が前年の8月に広島の外木場から耳に受けた死球の後遺症(1週間昏睡が続き、まさに死線を彷徨ったとのこと、この死球以来ヘルメットに耳当てがつくようになりました。)で満足な活躍ができませんでした。(本塁打を量産するのはその翌年からでした。) ということでこの年は早々と優勝戦線から脱落していきました。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。江夏オールスターの9連続三振は、前半不調の江夏が名誉挽回を狙ったと聞いた事あります。その年でしたか。そして、田淵の外古場後遺症もこの年。村山は引退への序章。上田二郎は2年目のジンクスですか。天中殺のような年だったんですね。 古沢は笑える。そういうキャラです。

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