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何もしない人生は本当に失敗ですか?
- 世間の考え方には、本当の失敗は何もやらないこと、という風潮があります。しかし、実際にはどんな人の人生も全部並列ではないでしょうか。
- 何もしない人も自分なりの選択をしており、何をして失敗なのか疑問に思うこともあります。現代の安全な状況下で何もしないことを選択するのは当然であり、生活維持が問題ないなら何もしなくても良いと言えます。
- 人生は個人の意思や状況によって異なります。やりたいことをやれば良いし、やりたくないことはやらなくて良いと思います。人生の成功や失敗は多様であり、一つの基準で判断することは難しいです。
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人は何のために生まれてきて、何を生きている間にやるべきなのでしょうか? それらは各個人が自分で見つけて決めることです。 自分で決めたとおりに生きれたら成功。 生きれなければ失敗です。 後悔するならば失敗。 つまりチャレして後悔しても、何もせずに後悔しても失敗です。 この二択のうち、どちらが成功かは自分の心が決めます。 そして自分の心には嘘もつけませんし騙せません。
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- hallo-2007
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ここで人生を語れと言われても紙面が足らないですよね。とりあえず 何もしない人生 働きもせず、やりたいこともなく、結婚もせず、生活保護で過ごす・・これはいや 親の財産で、働かずともやりたいことが出来て、家庭も養える・・・・これに生まれれば良かった いやいやながらも仕事をして、給料は全て趣味に回す・・・・これもちょっといや 仕事で得た給料で結婚して、家庭をもって、家族との生活に楽しみを見つける・・多くがこの手 仕事も楽しく、家庭も楽しい・・・これであればとりあえず大満足 チャレンジの人生 やりたいことが泥棒とか、世の中で云う悪い事に一生懸命・・・これが悪い事であることは皆承知 チャレンジする過程で、ルール違反をしてしまう・・・・頑張るのもよいが嘘をついたりだましたり 自分、家族、信頼できる仲間で一生懸命チャレンジを続ける・・・理想です。 趣味・道楽にチャレンジ<地味だけど、きちんと仕事をこなし、家庭を守っている人 チャレンジでも、やっていることが利己的<自分を磨く、成長させるためのチャレンジ 世の為のとか未来の自分のためでもチャレンジする人>言われ仕事だけこなしている人 新しい事にチャレンジして失敗>何もせずに普通の人 一番嫌なのが、頑張っている人の悪口を言う人 頑張る人の足を引っ張る、嫌がらせをする人 能力があって頑張っている人を評価しない社会・組織 こんな所でしょうか。 やりたいことに夢中になる 但し、やりたいことの目標は何なのかが重要 自分を鍛えるため、成長させるため、能力を身に着ける為に頑張っている人を 非難、批判ばかりして、何のチャレンジもしない人が大嫌いです。
本当に『何もしない人生』ってのがあるとお思いでしょうか。 私自身の個人的な考えではありえないと思いますが、百歩譲って“ある”とするならそんなに幸せな人生はないでしょう。 親から何億という財産を受け継ぎ、食って寝てで人生が終われるならそれはそれで幸せと思われませんか。 人生なんてすべての人間が生きたという“金字塔”を立てられるわけじゃありません。私のように凡人にして俗人はせっせせっせと働いて、他人からどう思われようが、小さな泡のような幸せを積み上げて生を終わる。それだけでしょう。
- altcure
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その人の人生なのだから、その人がそれで良いと思うのが1番だと思います。 ただ、見ていて魅力的なのはチャレンジする人ですね。人間は刺激を求めるのかな? だから、非難されるいわれは無い。 ただしチャレンジする人に比べて他人から見ての魅力にかけると思います。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
脳科学という視点から回答したいと思います。 脳の目的は何かというと、それは「(脳の中の)ネットワークを築いて何か情報を出力する」ということです。こういうと難しい言い回しですが、例えば画家が風景を見て感動を受けて作品を描いたとしたら、脳の目的としては「絵を描いて作品を作り上げる」というのが目的となります。別にこれは何か形にしなくてもいいわけで、例えば資料を調べて研究し、結論が出たらそれで本人的には「いっちょうあがり」なのです。あるルポライターは「原稿を書くのがすごくキツい。もし取材して熟慮で終われたら楽なのに」なんていっていますね。 質問者さんのケースでいえば、紛争地域に実際に行ってみて現地の様子を肌で感じて、「やっぱり日本でニュースをただ見ているだけと現地で実際に目にするのはまったく違うものだ」と思ったら、質問者さんの脳的には「目的達成」なのです。 実際に、「やってみて分かったこと」というのはすごく多かったと思います。それこそが脳の目的であるのですよね。 「やらない」というのは、そういう脳のネットワーク作りをしないということですから、それは「脳の本来の目的に叶っていないし、もったいない」といえます。 よく成績の悪い子が「歴史なんか知ったって意味がない」とか「数学なんて分かっても役に立たない」なんていいますよね。でもそれはとんでもない間違いで、数学がきちんと理解できればそれだけレベルの高い仕事に就けたりするわけです。私はエクセルを使うたびに「ちくしょう。大人になったらこんな仕事があるんだぞって中学生のときに分かっていれば」というお約束の後悔をします。 風俗でしか女を知らない人が「セックスなんてたいしたもんじゃないね」っていったら「お前は何も分かっていない」と思うじゃないですか。もちろん男女の恋愛の深いところを経験をすると成就した快楽と共に失ったときの激しい喪失感も手に入れることとなります。 それが結果として「たいしたことはなかった」ということを得られたにすぎなかったとしても、やることには意義があると思いますよ。もちろん「やる自由」「やらぬ自由」がありますけどね。でもせっかく自由があるのならばやらないのは損じゃない?と私は思います。 外国をいくつも訪れたことがある質問者さんなら、イマドキの内向きの若者が「海外なんて行きたいとも思わない。日本も外国もあまり変わらないと思う」なんていうのを聞いたら、お前は何も分かっていないと思いますでしょ?
- poco_2
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>本当の失敗は何もやらないこと、という風潮があります すみません、初めて聞きました。^^; 「何もしない」の意味によって全然違うと思いませんか。 戦地に行くとかそんな特別なことではなくても、 普通に働いて生活していく中でも毎日人にはいろいろなことが起こるし 日々何かを成しています。 笑って、怒って、一見平凡な毎日を、でもそれを懸命に生きて働いている人がいるから 衣食住が供給され、世の中が回っています。 「何もしない」が、働きもしない、人にも会わない、考えない、 健康であるにもかかわらずただ寝てる、とかなら問題だと思います。 > やりたい人はやれば良いし、やりたくない人はやらなければ良い 当然のことだと思います。 というか、人生を成功とか失敗とか言うのがおかしいです。 懸命に生きた人生に成功も失敗もありません。 他人の人生を成功だの失敗だのと論じる人がいるなら、 それこそどんな阿保かと思ってしまいますよ。
- ido-kawazu
- ベストアンサー率26% (88/327)
こんにちは。 > 何もしない人生は本当に失敗ですか? ↑ ワタシは先ず生きる、そして終焉を迎えるだけです。 質問者さんの人生なのですから生きたいように 生きる事が出来たとしたら大成功です。 「何もしない」と言う事の、成功!人生、に気を 使いすぎた生き方に疑問が生まれたのでしょうか、 そこでは、人生に目標を建てそれに邁進する人生 と比較されたとかで、疑問を持ったのでしょうか。 古来より人生を語れるのは、当人が棺桶に入った 時に、フタをする人のモノの様です。 絶命の少し前に、良い人生で有った!と感じる 人生で有ればそれで充分です。 「何もしない」で生きたと感じても、生まれた、 泣いた、親を喜ばせた、苦労も心配もさせた、 期待も持たせた、食った、クソもした、コイもした? 等の多くの消費をして、つまりムダ=人生。 をした事だけは事実で、これは人として生きた、 つまり立派に成功だと思います。
- kusirosi
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♀_(`O`) ♪ うまれた時が 悪いのか それとも俺が 悪いのか 何もしないで 生きてゆくなら それはたやすい ことだけど この世に生んだ お母さん あなたの愛に つつまれて 何も知らずに 生きていくなら それはやさしい ことだけど なんにもせずに 死んでいく 俺にはそれが つらいのさ とめてくれるな 可愛い人よ 涙ながれて 来るけれど 見えない鎖が 重いけど 行かなきゃならぬ 俺なのさ だれも探しに 行かないものを おれは求めて ひとり行く \(゜ロ\)(/ロ゜)/_(・・ ))(( ・・)(@^^)/~~~ てな感じですが、実際には、できない方多いけど\(^^;)... zzzzzzzzzzzzzzzzzzz
- stmim
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言われる通りだと思います。 失敗かそうでないかは本人にしかわからないことです。 何もしなくて失敗したと本人が思えば失敗ですし、別にそう思わないなら失敗ではありません。 何であの時やらなかったのかと後になって本人が後悔するかどうかがポイントだと思います。
最近の火山噴火であっても若い人生これからの人も偶発的、あるいは運命的必然によって死んで逝っている。 あくまで噴火しないモノという勝手な判断の元に。 そう考えると登山者たちの勝手な安全神話によって死んで逝ったように思う。 質問者さんは紛争地域にも行ったと言っていますが、多分ほとんどの人間はその安全であるという不確実な担保のもとそこに赴くように思う、つまり リスクを限りなくなくした、あるいはそう思い込まされた状態でチャレンジするように思う。 ただ先ほどの火山噴火、あるいは過去の地震での津波被害による沿岸地域に家を建てた住民たちも 安全神話 のもとそこに定住していたと思う。 何が言いたいかというと 安全神話の元、人間はチャレンジし、そのポテンシャルを発揮できると思う、ただそれは 神話 でしかなく 不確定要素が大きい担保である という事を自覚しておかなければいけないように思う。 結論:何もしない人生は安全神話のもと人を動かす、ただ怪我あるいは失敗する可能性もありそれは神話を無自覚に信じてしまった自己責任でしかない。 そういう事を考えればする、しないの2元論ではなく あらゆる事において自己責任内での失敗から成功が産まれるように思う。
- papabeatles
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我々凡人にとって人生とは、子どもを作って育てることだけです。 そして、その子が結婚して孫でも出来れば大成功です。 やりたいことはそれから初めても良いのじゃないですか?
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お礼
本当は何もやりたくないんじゃないでしょうか