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人生は結果を求めていない
人は人生に対して何かしらの結果を求めています。 幸せになりたい、お金持ちになりたい、野球の選手になりたい、会社を興したい、等々 逆に人生は人に何を求めているのだろうと考えると、 結果よりプロセスを求めているのではないかと思えるのです。 目の前の事象に対し、何を感じ、何を考え、何を選択するのかその経験を求めているのではないでしょうか。 人生にとっての価値とは経験を積みよりよく変化することではないでしょうか。 つまり、学びです。 生きる意味が分からないという人がたまにいます。 結果が得られなければ意味が無いというのも分かりますが、もう一つの大きな視点(人生にとっての生という視点)を意識するべきだと思います。 皆さんはどう思われますか。
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>皆さんはどう思われますか? 僕は、架空の話しを持ち込みますが、人間が死んだ魂は「死人大学」という、人生の偏差値を、自分の人生を魂の状態で振り返るテストをして、偏差値別に違う死後の世界(クラス)を与える大学が有るという考え方が有るだろうと思っています。 要するに、人生(勉強)を一生懸命に生きて(して)、いかに濃い人生(質のある勉強)を歩んできたか(することができたか)が問われるということです。いわば、人生全体がプロセスで、人生の中の一つの結果は、人生の問題を一問解き終えたっていうことに過ぎないってな考えです。つまりは、人生を必死で生きてきた(勉強してきた)人ほど、老後も充実し、死後も楽しく暮らせるというものです。 人生は残酷です。いじめを受けて自殺した人は、時と共に忘れさられたりします。死人大学側から見ても、自殺をしてしまった人は、途中で人生の問題を解くのを放棄したということと見なし、もちろん死人大学は入学させようとも思わないでしょう。 もともと、先天的な病気を持って生まれた人は、死人大学から特別な人生の問題集を渡された、すごい人と取れますし。 とりあえず、こんな感じですかね。
- dsdna
- ベストアンサー率24% (308/1281)
>皆さんはどう思われますか。 人生に何も求めていないので、どうも思いません。求めていなくても、やることややりたいことはたくさんあります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 人生に何も求めないのは結構なことです。
- me_blazing
- ベストアンサー率50% (44/88)
おもしろいですね。 質問者様のおっしゃるとおり、 「目の前の事象に対し、何を感じ、何を考え、何を選択するのかその経験を求めている」 というのはその通りだなぁと思いました。 その時々の出来事に、何かを感じ、考える。 生きる意味が分からないというというのは 思考が停止している状態であったり、つまらないことに気をとられていると 浮かんできてしまう発想だと思います。 なにかに興味をもって進んでいるときには思わないことですよね。 そして、結果がなければ意味がないというのは違うと思います。 結果がなければちょっと味気ない・・・ くらいのものだと思います。 以下は、今書いていて思ったことですが、 良い結果に至るまでの思考や行動はそれ相応のものだと思います。 結果のでないような思考や行動は もう少し見直す必要があるという捉え方も出来るような気がします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >なにかに興味をもって進んでいるときには思わないことですよね。 そうですね、もともと私たちは生きる意味を必要としない存在だったはずなのです。 子供たちは意味など問わずに毎日を楽しく暮らしているのですから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 哲学的にいえば「私」という存在は生死とは別次元の存在なのですから、 どう生きるかが問われるのは当たり前のことなのです。