- ベストアンサー
貧乏時代の苦労と工夫
- 若い頃の私はお金がなく、質屋通いをして小遣いを稼いでいました。
- 質屋の親爺と顔馴染みになり、高値で品物を質入れできるようになりました。
- 私は爺様の倉庫で貴重な品物を見つけては売り飛ばし、遊び銭にしました。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
isokenさん こんばんは~ リニューアルしましたね…! isokenさんのお爺様、粋でいなせ。江戸っ子はきっぷがいいってのはほんとなんですね…! >貧乏 についてですが… 聞いてください~まさに今ですよ、今。自分史上初くらいに…笑 「J×Lカードつくって海外に行こう」結婚を機に、主人が嬉しがってつくったクレジットカード。顕著にマイルが貯まっていく実感に味をしめ、光熱水費から電話代、何から何までクレジット払いにし、それはもう鶏が先か卵が先かと言わんばかりの貯め様。努力の甲斐あってか(笑)貯まったマイルでほぼ毎年、海外もしくは国内旅行を重ね14年が経ってしまいました。航空券こそはただですが、旅行にかけた経費は気が付けば700万ほど。←お恥ずかしい話であるのですが、isokenさんもいつも赤裸々にお話してくださいますので私も言っちゃおう。 2年前にマイホームを持った際、このお金があったら…と正直思いましたね。そして結構強引に旅行を決めちゃう主人に真剣に直談判して当分我が家の旅行は休止になりました。今では「物より思い出だよ」と言ってくれた親友の言葉をお守りに、シンプルに(貧乏に)毎日をつつましやかに謳歌しています!笑 >せこい資金繰り ありがたいことに我々も実家様様です。子供が焼肉、お寿司を食べたいと言えばすぐに転がり込みます。それはもうパラサイトの域です。いつか親孝行しないといけないですね…! 補足です:前回にて台湾の件を拝見してしまいました。しかもbsn!さすがですね…美人の奥様との優雅なご旅行、素敵ですね!台湾はおもしろい国でした。ここでも2人の老紳士との出会いがありましたが、聞くと1人は国民党もう一人は民進党の方でした。共通するのはどちらも親日家。不思議だったのはすごく日本に感謝しているとのこと。同化政策のことを仰っているのでしょうかね?いろんな政治的背景の割拠を包括し、中華民国としての誇りをもつ小さい国台湾。おもしろいです。そしてその真髄は故宮博物館にあるかと。ひとつおススメしたいのは、博物館内にあります「故宮晶華」の多宝閣というデザートです。可愛くて思い出深いです。もし奥様が甘いものお好きだったら是非…♪ http://www.taipeinavi.com/food/607/ 世界を股にかけてこられたisokenさんに旅の奥義を語るには100年早い訳ですが、いつかグラス傾けながらお話できたら楽しいでしょうね~なんて… あっそうそう、今回は機内お見合いシートには座っちゃダメですよ(笑)奥様と素敵なご旅行になりますように!いずれどこかの会にてお話お聞きできましたら幸甚です…!
その他の回答 (5)
isokenさんのあの時間のご投稿、少々気になっておりましたが、 今になり理解ができた次第です。 isokenさんのご質問の意図が組み取れず、配慮のない回答をしてしまい反省をしております。謹んでお詫びを申し上げたく再度回答させていただきました。たいへん申し訳ございませんでした。 isokenさん、そしてみなさまにおかれましても良い夜をお過ごしくださいませ。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。 おやすみなさい。では。。
お礼
再度の御回答ありがとうございます。 >isokenさんのあの時間のご投稿、少々気になっておりましたが、 今になり理解ができた次第です。 ああ、それは深読みのし過ぎです。 mikasa さんへのお礼を御覧になられたのでしょうが、質問の段階に於いてはあのままでして、何の意図もありませんでした。 但しまああの部分は偽らざる本音でして、自分の境遇より下の弱者を執拗に叩く昨今の風潮、及び義理と人情を失って行く日本社会の現状は、どうにかならないものかと・・。 物質的豊かさが精神部分を歪めてしまうのは、まあ我が国に限った事ではないのでしょうね。
isokenさん、こんにちは 1975年、私は学部に進学し親に頼み込んで念願のアパートに引っ越しました。 当時の学生アパート台所付トイレ・風呂共同の家賃が17000円でした。 田舎の親が送ってくれる金が月に5万円。一日500円の食費でも15000円、 喫茶専門店で珈琲が180円。 記憶が確かなら、 漫画アクションが180円、少年ジャンプが150円、バス代が70円。 一日650円でも20日もしないうちに13000円。これだけで45000円。 光熱費払ったら、家にじっとしているしかありません。 それでも、引き出しに隠しておいた千円札一枚持ってパチンコに出掛ける自分の馬鹿さ加減に あきれます。 一番町と青葉通りの交差点の先に、いきつけのパチ屋と名画座が向い合せにあって、 「文化人になるかアウトローになるか」 2分ほど迷って結局はパチ台に座ります。 一時間もしないうちに玉はあえあなく吸い込まれ、晴れて一文無し。 西村賢太の小説に感銘を覚える自分はきっとこのあたりに共通点があったのでしょう。 「もしもし、お母さん。俺だよ」 オレオレ詐欺のはしりですね。 「あのね、『設計資料集成』という本が高くてね。○千円もするのを 5冊買わなくちゃいけないんだ」 私は、この本を卒業までに50冊は買った計算になります。 今と違ってATMなんぞは銀行にしかありません。振り込むのも銀行 おろすのも銀行。タイムラグが中一日は生じます。 引出にあった十数枚の10円玉握りしめ、実家に無心の電話をかけ その足で近くの友人のアパートへ。 「おう。ひさしぶりだな。半荘2回ぐらいやるか?」 かくして周辺からメンバーが集まり・・・朝まで親交をあたため、 私はパチンコで使い果たしたツキのなさを再確認する次第となります。 「ごめん。25日まで借りておいていいか?」 「しょうがねぇなぁ」 「ついでに、千円貸してくれ。一文無しだ。」 「彼女に借りろよ」 「知ってるだろ。2か月前に別れたんだよ。」 「しょうがねぇなぁ」 当時はみんな貧乏で、山の上のキャンパスに車で通っているのは 50名のクラスで2名だけ。 着るものといえばバイトで支給された工事現場の作業着や米軍払い下げ サープラスといえば聞こえはいいけど、それが旧米軍兵舎だったかまぼこ型の サークルの部室からでてくれば、そのまんまコンバットだ。 バイクのヘルメットは工事現場からくすねてきたものだったり、布団生地で 作った綿入れをコート代わりに着ているのもいました。 家賃1万7千円のアパートなどまだいいほうで、お墓の前の一軒家。玄関はなくて 廊下のガラス戸をあけて入る部屋とかは夜寝ると障子に人影が写り不気味でした。 大家の離れで二間続きの下宿。隣の音は筒抜け。 そういう部屋に彼女を連れ込む猛者もいて、おそらく柘榴坂の仇討の志村金吾の 奥方もかくやと思う忍耐力を持った彼女だったろうと想像する次第です。 70年代の貧乏はこれでは終わりません。 就職して上京して入った寮がぼろい二人部屋。蚕棚みたいなベッドの上としたで、 片方がマーラーを流せば片方はコルトレーンをかける。 とにかく給料もらったらあこがれのオーディオを買おうと心に決めて、7畳くらいの 部屋にスピーカーが四台。四台あってもいつもはヘッドホンで聴いている。今の アイポッドのほうがよっぽどまし。 同居人は北大の院卒で頭はいいはずなのに、何を間違ったか次の給料で天体望遠鏡を 買ってきました。まさか覗きをやるわけでもあるまいし、東京には星空は見えないと いうことをこの純朴な道産子は知らなかったようです。 私のパンツが部屋の物干しロープから外れて天体望遠鏡のうえに被さっていたら、 彼はえらく怒りました。 私も彼も家は貧しくて、子供の頃欲しくて買ってもらえなかったものがまだまだいっぱい あったはずですが、部屋が狭かったのが幸いして買い物熱はそこで収まりました。 思い出すだにおぞましい男二人の「ハネムーン」ですが、深い関係にもならず、大ゲンカ にもならずにすんだのは1年足らずで私が結婚したからでした。 結婚後も、おぞましい貧乏生活は続きます。新居は東京都下30km圏の住宅地の大家の二階。 物干し台からの見晴らしはいいもののベニヤ塞いだだけの階段からは大家の話し声が聞こえる。 これ以上続けると、昔に逆戻りしそうで怖いのでやめておきます。 貧乏の思い出は、どこか埃っぽくてくしゃみが出そうになるのに、埃の下の記憶との邂逅は 温かく、あの時の自分に声をかけて抱きしめてやりたくなります。 不思議です。
お礼
exhivisionist さん、こんにちは。 回答ありがとうございます。 >1975年、私は学部に進学し親に頼み込んで念願のアパートに引っ越しました。 地方から上京して一人暮らしをする友人達を見るにつけ、それがおんぼろアパートであれ何であれ紛れも無い自分だけの城、生活も激変する訳でしょう、一方実家から通学する身には、中学・高校時代と大した変化が無い、彼らの事が諸事羨ましかったものです。 「 僕って何 」 や 「 ノルウェイの森 」 の世界を、・・でなければかぐや姫が織り成した 「 神田川 」 「 赤ちょうちん 」、そして四畳半フォーク の雰囲気を少しは味わってみたかった、 赤い手拭いをマフラーにしてみたかったというのが偽らざる本音でして・・。 他方私が考える大学生活とは、社会に出る前の数年間に限定された或る種のモラトリアム、つまりは社会人へと至るとば口・助走路でして、ありとあらゆる経験が許される貴重な時間、その珠玉の数年間に恋愛もしなけりゃ失恋もしない、ましてや貧しさや大きな失敗を体感した事も無く親に尻を叩かれ勉強ばかりとなれば、高い学費を出して大学に行かせる価値無し、私としてはそう考えます。 仮に私がその年齢の子供を持つ親の立場であれば、 「 無駄金を使い ・ 無駄な経験を一杯積んで来い! 」 、そう申し渡す事でしょう。 さて昨今の大学事情は皆目見当も付きませんし、まあ文系・理系の違いもあるでしょう、ただ私の頃は大学で学んだ僅かな知識など、いざ実社会ではクソの役にも立たない事ばかりでした。 ついでに使う側となった今の心境を正直に吐露すれば、純粋培養されて雑菌に冒された事が無いひ弱い若者にはもううんざり、簡単なお使いレベルすらこなせない彼らを何とかせねばならないこちらの身にもなって欲しいという事、お父さん・お母さん、貴方方に物申しているんですよ! >それでも、引き出しに隠しておいた千円札一枚持ってパチンコに出掛ける自分の馬鹿さ加減にあきれます。 人間の業ってやつでしょう、私も同様でして、小博奕に財布の中の最後の小銭まで張った経験はそれこそ何度も・・、あの金で蕎麦の一杯でも喰っときゃ良かった、そんな感慨もまた無数にありました。 >「ついでに、千円貸してくれ。一文無しだ。」 金を借りる時は逆に居丈高になり、借りてやるぐらいの大きな態度で臨むべし、そうでないと人間が卑屈になってしまう、・・とは私の持論でして、卑しい媚を売る人間にだけはなりたくなかった、まあ結局は金を借りる訳ですから、大きな事は言えないのですが・・。 exhivisionist さんは確か杜の都の名門大学御出身であられたかと・・、そんな優秀な学生さんですらかくの如し、ただこの種の経験が後年に於いて何等かの肥やしとなるのでしょうね。 >貧乏の思い出は、どこか埃っぽくてくしゃみが出そうになるのに、埃の下の記憶との邂逅は 温かく、あの時の自分に声をかけて抱きしめてやりたくなります。 不思議です。 人生の後半部分にどっぷりと浸かった身で何が懐かしいかと言えば、失恋したあの頃と金が無かった記憶でして若さの象徴でもある、その頃の自分が愛おしく感じましたら、まあ歳という事なのかも知れません。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
- ベストアンサー率14% (675/4694)
エロケンさんこんばんわw 家が貧乏でしたからずっと貧乏でしたけど、高校の時はバイト代がすべて小遣いだったので毎日カラオケ・ビリヤード・ゲーセン・ボーリングなどで友達と遊んでました。 その後、専門学校の学費を自分で払うから行かせてくれってことで、とりあえず親に払ってもらって毎月返済したので、その頃が一番貧乏でした。知人から車を安く買い取るも田んぼに突っ込んで1週間で廃車。それから2000円で買った原チャリで通学するもすぐ壊れるし、自転車で通学してみたり、バイト仲間の専門学校のとなりの女子短大のおねーさんに送迎してもらったり、クラスメイトの女の子に送迎してもらって帰りに夜景を見に行ったり・・・あれ?意外と楽しかったかも?w しかしバブル時代だというのに。いつも口の開いた靴履いて、同じ服装でした。 食う物には困りませんでした。高校の時からずっと同じコンビニでバイトしてて、廃棄の弁当なんかをいつでも食べられましたから。お金に困るとレジカウンターの下を掃除するんです。すると大抵お金が出て来ます。多い時は1万円出てきました。レジに入れてしまうとその日の現金残高が狂ってしまいますので、仕方がないから店長と山分けしました。ちなみに店長はオーナーの弟ですw 朝起きられなくて途中から専門学校の授業はぜんぜん出てませんでした。夕方授業が終わった頃にひょっこり行って、デッサンだけやりつつ後輩の女の子とおしゃべり。なんで卒業できたのかわかりません。 バイトは割とまじめにやってましたが、レジで隠れてタバコ吸ったり漫画読んでました。今思えばとんでもないですね。バイトの女の子がカワイイ子ばっかで楽しくおしゃべりしながら仕事して毎日が過ぎていきました。 就職した時にすべてのツケが回ってきましたね。自分がデザイン専門学校で何も学んでない事を思い知り、会社が終わったあと学校へ通って先生をつかまえて教えを請う毎日でした・・・その時に学校のマドンナと付き合うキッカケが出来たりしたんですけどw 若い頃はいいかげんに過ごしてたけど、色々あって面白かったですねw
お礼
mikasa さん こんばんは、エロケンでございます。 >家が貧乏でしたからずっと貧乏でしたけど、高校の時はバイト代がすべて小遣いだったので毎日カラオケ・ビリヤード・ゲーセン・ボーリングなどで友達と遊んでました。 貧乏或いは金が無かった頃へのノスタルジーは、恐らく今がそれなりである証でありまして、mikasa さんにしても何はともあれ一国一城の主、エロだスケベだといってる内はお互いにまあ平和なのでしょう、これからもスケベ道に関して御指導賜りたい。 さて私が幼い頃には、貧乏な御家庭は普通に存在しました、まあそれが当たり前の時代。 当の御本人にしても決して卑屈になるではなく、周囲もそれが原因で特別視する事も無かった、概ねそんな感じであったろうと・・。 ところがどうでしょう、ここまで豊かになった日本社会に於いて、やれ生活保護がどうの・給食費の未払いがこうのと、弱者を足蹴にする風潮が見られる、当カテに於いてもそうです。 私個人としてその種の投稿に意見を述べる事はしません、胸糞が悪くなるだけですから・・。 一方国庫のバランス・シートを鑑みるに、須らく自助努力で何とかして頂きたいというのは本音ではありますが、事情は人それぞれです、どうにもならない御家庭もあるでしょう。 それを十把一絡げにして、水に落ちた犬を叩くが如き輩が何と多い事か、私としてはこう申し上げたい、「 一体全体アンタは何様? 」 。 生活保護の不正受給、そりゃ悪い事です、糾弾されて然るべきでしょう、ただ少なくとも子供さんに罪はない、それ以上に弱者への労りの気持ちが無い方々は、少なくとも私が思い描く日本人としてあるべき姿では決してないという事です。 >その後、専門学校の学費を自分で払うから行かせてくれってことで、とりあえず親に払ってもらって毎月返済したので、その頃が一番貧乏でした。知人から車を安く買い取るも田んぼに突っ込んで1週間で廃車。それから2000円で買った原チャリで通学するもすぐ壊れるし、自転車で通学してみたり、バイト仲間の専門学校のとなりの女子短大のおねーさんに送迎してもらったり、クラスメイトの女の子に送迎してもらって帰りに夜景を見に行ったり・・・あれ?意外と楽しかったかも?w 何だかんだといい経験をしてるじゃないですか、モテ自慢ですか? まあそれは冗談として、若い頃の種々の経験は決してお金では買えない珠玉の思い出、これから益々 mikasa さんの内部でそのウエートが高くなるはず、覚悟しておいた方がいいですよ。 >バイトは割とまじめにやってましたが、レジで隠れてタバコ吸ったり漫画読んでました。今思えばとんでもないですね。バイトの女の子がカワイイ子ばっかで楽しくおしゃべりしながら仕事して毎日が過ぎていきました。 そんな羨ましい環境でバイトしていたなんて恵まれ過ぎ、これからばちが当たります・きっと、これも覚悟しておいて下さい。 >就職した時にすべてのツケが回ってきましたね。自分がデザイン専門学校で何も学んでない事を思い知り、会社が終わったあと学校へ通って先生をつかまえて教えを請う毎日でした・・・その時に学校のマドンナと付き合うキッカケが出来たりしたんですけどw 災い転じて福と為し過ぎですね、何だかんだ言って恵まれた人生を送っておられるとの印象でして、これからも貴方の人生に幸多かれとお祈り申し上げる次第です。 回答ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
isokenさん、ワンコの機嫌はどうですか? いつにない乱文に読み返してはクスッと笑っています 私なんて吠えられましたよ 学生のときは夏休み・冬休みしか地元に帰らなかったので、犬が【不審者扱い】するんです その学生時代ですが、服飾を専攻していました 洋裁はアボチン軍団の一員で、和裁はかしこ軍団の一員でした 「こうも違うかぁ?」と先生の間で囁かれていました さてさて、洋裁ってホントお金がかかるんです テキスト代・材料代・裁縫用具代・その他etc なんだかんだ理由をつけては両親から資金調達 裁ち鋏なんて名前と学校の紋入りですよ? いらんでしょ? まさに「詐欺師」ならぬ「詐話師」 で、私の下宿先が学校と専属契約をしていたため、他の部屋に先輩がいてるんです だから、教科書なんか買わなくても先輩の部屋にお伺いするといろいろ教えてくれます 浮いたお金でグルメ三昧 今より景気良かったですね(笑) そして、どういうわけだか自室にその当時(20年前)購入した60cmの竹尺とカーブ尺があります なんで引越しの荷物に入れたのか、不思議です
お礼
michiyo さん、こんばんは。 回答ありがとうございます。 >isokenさん、ワンコの機嫌はどうですか? 機嫌も何も、いつも通り私の事は無視です。 でも我が家は子供がおりませんから、家内が溺愛しておりまして・・。 >私なんて吠えられましたよ >学生のときは夏休み・冬休みしか地元に帰らなかったので、犬が【不審者扱い】するんです まだ骨があっていいじゃないですか。 うちの馬鹿犬はもう食っちゃ寝・食っちゃ寝でして、誰が来ても吠えないんです。 あれじゃあ泥棒に入られても何の役にも立たない、恐らく。 >なんだかんだ理由をつけては両親から資金調達 歳は違えど、みんな似たようなもんですね。 >裁ち鋏なんて名前と学校の紋入りですよ? いらんでしょ? 確かに・・。 >浮いたお金でグルメ三昧 神戸近辺って、美味しいものが沢山ありそうですよね、羨ましい。 >そして、どういうわけだか自室にその当時(20年前)購入した60cmの竹尺とカーブ尺があります >なんで引越しの荷物に入れたのか、不思議です 洋裁って素敵じゃないですか、止めるなんて勿体ない。 勝手に入ったんじゃないですか?、また使ってくれって・・。 ではでは!
補足
michiyo さん、この度は御要望を賜りまして誠に光栄です。 ただ我が家の馬鹿犬の住まいは特注品でして、見る方が見れば恐らく瞬時に分かっちゃう代物。 つまりは少々支障がありまして、何卒御容赦を・・。
- haiji1996
- ベストアンサー率14% (232/1633)
isokenさんだ~、平日にご質問とは珍しいですねo(^^)o 前回の、スケベ心のご質問では、isokenさんの他の回答者の方へのお礼文も含め、貴重な男の本音が伺えて実に参考になり勉強になりました~。やっぱり、女はやらせたら最後ですね(^_^;) 私も最近初めて質屋を利用しました。ジュエリーボックスを整理してたら、ずいぶん昔に人に貰ったアクセサリーで、何年も使用していないものがあったので、眠らせておくくらいなら現金化しようかなと思い立って、いくつか質屋に持って行ったら、なんと20万円くらいの臨時収入になりました!やっぱり腐っても純金ですね。後、石は、ルビーやエメラルドはお金にならなくて、ダイヤしか価値が無いんですが、小粒のゴミみたいなのでも、結構なお値段がつきました。今度、奥様の引き出しを物色する時は、金とダイヤが狙い目ですよ(^o^) 貧乏な時代、と言えば高校時代のお小遣いが少なかった時、喫茶店に3人で入って、1人しかコーヒーを注文しなくて、私ともう一人は、お冷やだけ飲んでて、店員さんが何度も注文を聞きに来たんですが、いいです、と断っていたら、そのうち店長のような角刈りのコワオモテの男性が出て来て、こっちは商売やってるんだ、遊びでやってるんじゃないんだ!と巻き舌で怒鳴られて怖かったです(>_<) その喫茶店は、某ルノ●ールだったんです。。あそこで、無料で席だけ座りに入った私達が無謀でした(^_^;)
お礼
haiji さん、こんばんは。 早速の御回答ありがとうございます。 >平日にご質問とは珍しいですねo(^^)o ウイーク・デーの夜はいつも疲れてるんですが、今日は帰宅するなり家に入る前に車の中で寝ちゃったんです。 一歩家に入りますと、家内が離してくれませんから・・。 >やっぱり、女はやらせたら最後ですね(^_^;) あれはですね、私の本音中の本音なんです。 嫌悪感を持たれる方も当然おられるでしょう、依ってあからさまに女性に申し上げるには、若干の躊躇いと差支えがある、そういう事と御理解頂きたい。 >ずいぶん昔に人に貰ったアクセサリーで、 貢がせたんじゃないですか?、今なら私も貢げますけど・・。 >今度、奥様の引き出しを物色する時は、金とダイヤが狙い目ですよ(^o^) ああ、それ駄目なんです、昔やりましたから。 ・・といっても貴金属ではなく彼女の貯金通帳ですが・・。 結婚当初の私は、多額の借金の肩代わりを家内にしてもらった影響で小遣い制、当然貯金もゼロ、でも或る日競輪に行きたくて行きたくて・・、宅内を物色しておりましたら彼女名義の郵貯カードを発見して、CDに挿入後カミさんの誕生日を入力したら見事ピンポ~ン、勿論発覚してコッテリと油を絞られましたが・・。 >貧乏な時代、と言えば高校時代のお小遣いが少なかった時、喫茶店に3人で入って、1人しかコーヒーを注文しなくて、私ともう一人は、お冷やだけ飲んでて、店員さんが何度も注文を聞きに来たんですが、いいです、と断っていたら、 げに恐ろしきは若い女性の向こう見ずですが、怖いって・本当はそんなに怖くなかったんじゃありません? でもそれって本当に困るんですよ、私も喫茶店のウエイターをやった事がありますから、よく分かります。 ではでは!
お礼
sofaa さん、こんにちは。 回答ありがとうございます。 >聞いてください~まさに今ですよ、今。自分史上初くらいに…笑 またまた、話 1/3 程度には伺っておきますが・・。 >光熱水費から電話代、何から何までクレジット払いにし、それはもう鶏が先か卵が先かと言わんばかりの貯め様。 我が家も事情は殆ど一緒、何でもかんでもカード決済でして最近では病院でも使えちゃう、ついでにホテルも提携先でダブル・マイルなんてね・・。 尚どのマイレージにするかは恐らく好みの問題でして、 JAL ・ ANA はやはり日本が起点ですから、例えば渡航先が東南アジアの場合は到着の時間帯が良いが、3年という縛りがある。 さて私は UA のマイレージ・プラス・メンバーでして、アジア以西のコード・シェア便を除いた直行便が台北・香港・バンコク・シンガポールの4ヵ所しかない一方で、やはりスター・アライアンスの中核会社ですから、パートナー会社の選択肢が秀逸。 しかもマイルの貯め易さは恐らく NO1 でしょう 、18ヶ月に1度でもマイルの付与があれば更に18ヶ月ループ、実質的には無期限という事ですから。 >結構強引に旅行を決めちゃう主人 素敵な御主人じゃないですか、好きだなそういうタイプ、ただお子様がおいでになる御家庭としては負担にも限界がある訳で、そこでブレーキを掛け・手綱を引っ張る時こそまあ奥様の出番なのでしょうが、ちゃんと役割分担がされている健全な御家庭、そう感じますが・・。 >台湾はおもしろい国でした。 最後の台湾訪問から結構経ちまして恐らく数年以上前になりますが、例えばかつての香港とは異なり美食の都という訳ではない、加えて目を見張る名所・旧跡がある訳でもありませんが、何故か居心地がよく・ほっとする国であるのもまた確かであるようです。 >共通するのはどちらも親日家。不思議だったのはすごく日本に感謝しているとのこと。 釈迦に説法でしょうが、日本統治以前の台湾は、明末辺りから始まった福建省南部からの移住漢族と、高砂族を始めとする先住少数民族が混在する社会でして、漢族は福建省南部の閩南語(これが俗に言われる台湾語というやつです)、少数民族はそれぞれが各自の言語を用いていた訳で、当然両者間には殆んど交流がありませんでした。 ところがその状況下で日本領に編入される訳でして、その際日本語という両者共通のコミュニケーション・ツールを得た事が、混然一体としていた社会に、初めて台湾人というアイデンティティー意識を齎したのです。 日本敗戦後、大陸から逃れてきた蒋介石率いる国民党という、主として北京語を喋る一団が出現した事に対する反感と違和感が、その実態以上に日本統治時代を美化させ、加えて年配の方々にほぼ共通する、往時を偲ぶノスタルジー、そういった面もあるのかも知れないですね。 >博物館内にあります「故宮晶華」の多宝閣というデザートです。 故宮博物館には何度か行きましたが、御指摘のレストランは未経験です、是非行ってみたいですねぇ。 さてこちらでお知り合いになった方々と御一緒出来たら、さぞや楽しい事と思います、特に sofaa さんとは差しで・・。 では!