こういう話題を扱う場合には、「誰が」「いつ」話題にしたことかが、割と大切です。
特に、「ありのまま」という言葉は、非常に広い意味を含ませることができるので、乱暴にいえば、どういう理屈でもつけられます。
「ありのまま」と「努力」の組み合わせで語られるとしたら、多くの場合、「ゆがんだ努力」と「自然な努力」の対比になると思います。
言い換えると、「努力」の形にも、「良いもの」「悪いもの」という区別ができるということです。
たとえば、「自分は成績が良いから、親がかわいがってくれる。成績が悪くなったら追い出されるかもしれない。だから、良い成績を取らなければいけない」これが、「悪い努力」です。
これに対して、たとえば、「歴史というのはすごいものだ。こんなにたくさんの人の営みで、今のこの世界があるんだ。もっと知りたい。ちゃんと歴史を研究したい」というのが、「良い努力」です。
自分が、今どう思っているか、そして、どうしたいのかというのが、努力のベースになっています。
これが、いわば、「ありのまま」の「努力」の一例でしょう。
お礼
あぁ~、なるほど。 主体性のない私みたいな人間には、どうりで理解できんわけですな...。