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嫌いだった筈の人が死んだら美化する奴が大嫌い
例えば職場の上司なり、オーナーなり、生前は「~さんは人の気持ちがわからん人だ。キライ怒。」みたいな大してよくない印象だった筈が、いざ死んだら「~さん…なぜ…アナタは素晴らしい方でした。あぁぁ…想い出が…」みたいに極端に美化(本気で過去のことを作り替える)する人に寒さを感じます。 いやまぁ…自分の知人がそうだったから余計悲しくなりました。 本心で憎んでいた、いなくなれとさえ思っていた癖に死んだら美化する人いますよね?実は大して想い出があるわけでも仲良しなわけでもなかったはずなのに。 こういうのってある意味病的ななにかじゃないのでしょうか?
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- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
死んだら美化する、過去を美化する、 そういう個人の傾向、ありますね。 大して中身がない思い出に、尾ひれ背びれをつけて。 わたしも・・・ 苦手ですね~ ちょっとひねくれてるな、と思います。 あとで美化するくらいなら、共にいる間よくしてやろうよ、と真面目に現実的に思います。 わたしは、生きてる最中は優しくされたいと思いますが、 自分が死んだら、きれいさっぱり忘れてくれてかまいません。 私の知る限り、そういうタイプの人は、人に心を開かず、あまり他人に深入りしないため、 自分は人と比べてあたたかい思い出や、人との心のつながりに乏しいと感じているらしいです。 ドラマが足りない人生・・・みたいに感じているのかな? そういう印象です。 だから思い出や絆に、憧れとコンプレックスがあり、憧れですめばよかったけど、 ちょっとひねくれて、ねつ造癖になっちゃったのかな・・・。 この前もたぶん、ちょっとねつ造されました。 見栄張りたいのかな・・むしろ私は相手の方がうらやましいのに・・・ と思いつつ、そっと触れないでおきました。 その人の癖はちょっと困るものの、 わたしにとっては、これまで出会ったどの人よりも、 比べ物にならないくらいその人と深い絆を感じています。 相手もそうだと思います。 相手がそれを心から受け入れてくれて、私に対してはその心の壁を溶かしてくれたらいいな、と思っています。 わたしなどは、波瀾万丈すぎるほうだったので、ちょっと人生ドラマに疲れてしまい、 とにかく安らぎがほしい一方です。 わざわざ思い出をねつ造したり美化する気持ちはありませんし、 過去より未来にばかり目が向いている方です。 叶わなかった青春の憧れのシチュエーションとかは、いろいろありますけどね。 くやしくてジタバタしても足りないぐらいに、満たされなかった部分、損したと思う部分も、もちろんたくさんあります。 はっきりいって辛いこともたくさんあったけど、 人生の終わりになれば、苦も楽もすべてが懐かしく感じられるだろうと思っています。 そういう意味では、恵まれていたのかもしれませんね。 でも、過去に心が行くばかりに、未来を見失ったら、本末転倒だと思うんですよね。
- mits0709
- ベストアンサー率28% (44/156)
たぶん、そういう人は「人の気持ちがわからない」のが絶対的に許せなかったのではなく、 「自分の気持ちを逆なでする言動」が嫌だったのでしょう。 相手が亡くなってしまえば、もう決して不快な思いをさせられる事はなくなるのですから、 「まあでも良いところもあったよね」とプラス面に目を向ける余裕も出てくるでしょう。 要は「『死んでも許さない』というほど心底憎んでいたわけではなかった」というだけです。 物言いの大げさなタイプなんだなとは思いますが、病的というほどではない気がします。
お礼
ありがとうございます ムカつくよねという発言にも一応気持ちがわかったので相づちうってたのに、亡くなった途端に、良い方だったという発言突然されてうなずけなかったです…
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
それでもイヤミを言いたければお仲間内でどうぞ ご遺族の方に聞かれないように
- xxi-chanxx
- ベストアンサー率37% (556/1484)
本人は亡くなってしまっていても、遺族がいますから、本音は一生言えないと思います。 人の腹の中までは見えませんし。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
俺はそういう、偽善だと言いたそうで、実は自分が「生きてるうちに褒めて」とかまってちゃんとしか取れそうにない歯の浮くような事を言うのが、不幸っぽくて病的に感じる。 これがヒトという、群れを作って生きる種の、言葉で群れの和を乱さない術なんだけどね。死ねばもう嫌なことはされないし、嫌なことしかしないヒトなんていないからね。嫌なことをずっと探してるのってかなり病的でしょ?ストーカー的だ。 幸せな人って実は「いなくなれ」ということなどの、マイナス思考的なことを考える回路が細いんだよ。そういうのは3歳までに構築されるからね。つまり、嫌なことってのも、太い回路であれば過剰に反応するし、細い回路なら気付きもしていない。これがまた悪循環を生む。 発達障害もそうなんだけど、マイナス思考のヒトってのは、そういう回路なんだな。
お礼
ありがとうございます 知り合いがキライだったはずの亡くなった方をいい方だったとか話すから頭がハテナになったもので、正直理解に苦しみました。 自分の場合、キライな対象者が亡くなられても「あぁそうなんだ」としか思えないので…
なぜそうなったかというと日本人だからだと思います。 井沢元彦と言う作家が日本人の精神性について書いていました。 そのなかで、日本では人は死んだら神様(八百万の神がいる多神教なので)というものがあったと思います。 美化までは抵抗があっても、相手が死んでまでねちねち言うよりはマシだと思います。 生き残っている関係者のこともありますしね。
お礼
ありがとうございます。 ねちねちまではまぁ言わなくとも嫌いから好きでしたはさすがに極端に感じます。
- kingyo_tyuuihou
- ベストアンサー率30% (1237/4120)
>こういうのってある意味病的ななにかじゃないのでしょうか? というより、ごくどこにでもある 大人の処世術ですが。 死人を悪くいう人は、 普通につまはじきにあいますから。
お礼
建前ではなく、本心で過去のことを美化するひとがいるのでそれがなんだかなと…。 なぜそうなった?的なことが身近にあったので。
お礼
ありがとうございます。 美化する人なんですが、他にも、たとえ、仕事などで役に立たないな的な嫌いな同僚がいたとしても、『超些細な出来事』でコロッと好きになるひとがいるので正直「オイオイ…」と呆れてしまいます。趣味が同じだったとかジュース奢ってもらったとか。 どうもキライだった過去が消え去るみたいですね汗 本当に人間はわからない生き物ですね