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映画「風立ちぬ」を観た方へ
こんにちは。 今更ですがジブリの映画「風立ちぬ」を観た方、ご意見をお聞かせ下さい。 映画の中で本庄というキャラクターが「仕事に専念するために所帯を持つ。これも矛盾だ。」と言いましたが、私はなぜこれが「矛盾」なのか分かりません。 時代が時代ですし、当時は所帯を持つ(お嫁さんをもらう)と、ご飯は作ってもらえるし身の回りの世話は全てしてもらえるし、余計なことは妻に任せて言葉通り仕事に専念できますよね?ちっとも矛盾していないじゃないか?と思うのですが… くだらない質問で恐縮ですが、大好きな映画なので、細かいところまでつい気になってしまいます。 皆さんはどう思われますか?
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男性が「余計なことは妻に任せて言葉通り仕事に専念」していたのは、昭和3~40年代の高度経済成長期です。『風立ちぬ』の時代には、わりとお父さんは定時に帰ってきて、大黒柱として家族と食卓を囲んだり、家庭の大事な決め事をしたり、休日には息子と遊んだり、力仕事をしたりしていたのですよ。 お嫁さんがご飯や家事を一手に担っていたのは、家電品がなかった当時、それだけ家事に時間を要したからであり、それとて女中が嫁の傘下にいた家庭も多かったのです。 単に男女の役割が明確に分かれていただけで、男性は男性で所帯内で活躍していたのです。まったくの余談ですが、江戸時代の町民の男性などは、かなり子煩悩だったようですよ。
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- MONKEYMONKEY
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仕事と家庭が時間を奪い合う関係で「両立」させなければならない関係にあることはいまさら言うまでもないのではないでしょうか?。 「私と仕事、どっちが大事なの?」とはいつの世も女性の常套句だし「家庭を顧みず」とは深夜まで働く男の形容としてごく一般的です。 「家族サービス」という言葉も普段仕事で忙しい人の「罪滅ぼし」のニュアンスです。 「風立ちぬ」のセリフは何も妙な事は言ってないのではないでしょうか?。 それに所帯は「ラブラブの時間」「子づくりの時間」「子育ての時間」も含んでるんじゃないでしょうか?。仕事してらんない。
お礼
こんにちは。 ご回答ありがとうございます。 本庄は結婚に対して少し斜めに構えているように見えましたが、あんな彼でも所帯を持ったら仕事に割くべき時間を妻子のために費やすということですね…。 ラブラブの時間、子作りの時間、は主に夜(仕事外の時間)にすることなんじゃないかなと思いましたし子育ては奥さんや女中さんがしてくれるのでは?だとしたら本庄は結婚前と同じく仕事に邁進できるし、お弁当とかも作ってもらえるかもしれないし(社食がありましたが)仕事に専念すればいいじゃないか、と思いましたが… 本庄のあの様子では迷いなく「家庭を顧みず」に二郎のように仕事に邁進しそうでしたし、そもそも「家族サービス」などという概念があの時代に存在するのか疑問でした。 ありがとうございました。
- dogday
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本庄と二郎の妹の加代は、現代の価値観で過去を批判し、宮崎監督自身の時代解説と自己主張の言い訳の役回りを持ってる道化役。 そうしないと、舞台の世相は戦乱のおかしな時代だし、二郎と菜穂子の思考と行動の異常さが、その時代の人なら普通なんじゃないかと錯覚してしまうのを防ぐために、当時の価値観にそぐわない、視聴者寄りの極めて現代的な言動と行動をとっています。 当時の価値観を語るのは黒川の役割。 宮崎監督は、二郎と菜穂子の考え方や行動に、憧憬はあれど、批判的。 宮崎監督からの現代人へのメッセージは本庄と加代の行動に描かれている。「その状況、俺ならこうするね」って。 だから本庄のキーアイテムはタバコ。現代の宮崎自身の非社会性の象徴だから。 本庄と加代が振り回されることで、二郎と菜穂子の浮世離れたファンタジーを書き上げている。 家族を養う責任をもつ世帯主なるのは責任上、専念できていないよね? これは仕事に専念してきて、家庭を顧みなかった、宮崎自身への自己批判でもある。 息子の吾郎をサラリーマン辞めさせてアニメ監督に転向させて振り回したり、そのせいで社会から批判されたり。 この作品の評価が喧々諤々なのは、こういうところ。 多角的に意図的な演出がされているので、見る人によって読み取る場所が違う。 私がこの作品が嫌いなのは、二郎と菜穂子を正しい行動として純愛を描けばいいのに、作品世界全体からすると悪か呆けのように描いていること。 こうありたいけど、それじゃダメだよねって、言い訳がましいのが、宮崎監督が年取ったなぁと受け取ってしまうのです。
お礼
こんにちは。ご回答ありがとうございます。 お返事したはずだったのですか消えていました。すみません。 二郎と菜穂子の行動は異常なことなのですね。 私も、当時あの階級の方々はああいった突飛な行動に出ることはままあることなのかなと思っていました。 つまり本庄のような「常識的な」男性にとって家庭を築く=時間を取られること(だから仕事に専念する時間や労力を割かれてしまう)なのですね。 あのニュアンスだと彼もまた嫌々結婚していく、仕方ないから結婚する、というふうに見えましたので所帯を持ったら全てを奥さんに任せて二郎のように仕事に邁進するのではないかな(だとしたら結婚前と何も変わらないんじゃないかな)と思いましたがそんなこともないのですね。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます、こんにちは。 そうだったのですか! あの時代のお父さんて家庭を顧みずに仕事をしてそうなイメージだったのですがけっこう役割があったのですね、、、 家庭を持ったら、本庄のような飛行機作りのために生まれて来たような人でも(普通は)仕事ばかりしてはいられないということなのですね。 本庄の、あの様子だと二郎同様、結婚しても夜遅くに帰って来て(もしくは帰って来なくて)家族と食卓を囲むなんてことはレアなんじゃないかと勝手に思っていました。 分かりやすいご回答ありがとうございます。 それにしても目から鱗です。 そうなると、二郎と菜穂子のあの家庭(と呼べるのか?)が異常なのであって、一応「常識人」ということになっている本庄は当時らしい全うな家庭を築いていたと推測できるということですよね。 なるほど、それならば仕事に専念するために家庭を持つのは確かに矛盾していますね…。