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砂の器(映画)について、疑問点がいくつか・・・
最近、この映画を見ました。とても感動しすごくいい映画だと思いましたが、一方ではいくつか疑問点がありますのでお分かりになる方よろしくお願いします。 ・鉄道から白い布をまく女のことをたまたま新聞のコラム欄で見て、刑事が殺人事件と結びつけたこと。 あまりにも不自然では?普通、これだけで事件と結び付けないですよね? ・三木が映画館で和賀が写っている集合写真を見て、すぐに秀夫と分かったこと。 秀夫とは6歳の時に分かれてそれから20数年経っており、小さく写っている写真だけではすぐに気づかないはずです。ましてや、名前も変えているのに・・・。 ・三木が本浦千代吉に親切に接し、隔離するために病院へ搬送される際にもずっと付き添っていること。 当時の時代背景として、らい病に対するひどい偏見がありますが、三木はらい病を全く恐れなかったのでしょうか。いくら三木が立派な人格者だとはいえ、当時はこの病気に関する正しい知識もなかった頃ですし、自分(及び妻)に感染するのではないかという恐れはなかったのでしょうか?秀夫を養子にする決意までしたということですが、秀夫に感染している可能性もあったわけですよね(少なくとも当時はそう思われていましたよね)。 ・和賀の大阪の本籍がなぜ分かったのか。 これは、単に私の見過ごしかもしれません。 本浦の故郷を訪ねた後、いきなり大阪の役所で「この戸籍を調べてくれ」という場面になりましたが、その戸籍の出所は何でしょうか。 ・和賀が三木を殺害したこと。 三木は非常に誠実で人情味あふれる人物だということなので、軽々しく和賀の過去・出生の秘密を口外して和賀の将来をダメにするような人物ではないはずです。 また、映画の一場面に「今はやりかけていることがあるからそれが終わるまでは父親に会えない・・・」という三木と和賀のやりとりがありますが、ということは、あのコンサートが終われば父親に会うつもりだったということではないのでしょうか? いまいち殺害の動機がよく分かりません。
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家族が小説と野村芳太郎監督作品劇場公開が好きだった影響で、 感動し、 ニュープリント劇場公開時にきれいになった和賀音楽作品を聴きに足を運びました。 ・白いキレ 確かに根拠も無い結びつけだと思います。 ただし、 刑事達が殺害時にあびたであろう血の付いた衣服を探し出すという、 実際に森田健作若刑事が沿線ではいつくばって探す執念というものが演出されていますので現実的では無いにせよ、 物語としては意味がある演出だと思いました。 ・集合写真 東京に住む者にとっては食堂車ですれ違っただけでわかる有名人でも、 田舎のご隠居さんには、 時の政治家はわかってもそのような芸術肌の青年の写真ははいりにくかったのでしょう。 だからこそ、 容易に普通の若者の顔写真に幼少期の、 しかも本当の我が子のように育てようと思った子どもの面影を容易に見つけることが出来たかも知れません。 ・らい病への恐れ もちろん、 三木巡査自らが隔離の必要性を訴えていましたので、 病気の大変さは知っていたことでしょう。 人格者という側面もあったと思いますが、 村人の健康を守るための職務という面で真摯に対応した結果があの行動ではなかったでしょうか。 他の村の巡査が行ったように追い払うだけでは根本的な解決はしないという考え方故の行動だと思います。 もちろん、 千代吉を運ぶことを手伝った村人や秀雄、 彼らに接した自分や妻の健康診断を充分に行ったと思います。 ・戸籍 当時の警察でも、 和賀という人物の現住所、本籍地は何も問題なく調べられるのではないでしょうか。 ・動機 日本で、世界で有名になりつつある音楽家が、 また政治家を確実にバックにつけられる結婚の時期に、 過去のことが暴かれようとしているのは充分に動機にあげられると思います。 ただし、 小説も映画も描きたいのは、 家族や村から追われても父子で仲むつまじくやっていけると思った自分が、 父の入院をきっかけに、 父とも過去とも別れを決心していつ崩れてもおかしくない成功(野望)や絆のなかで生きはじめます。 父との別れと三木を殺すことは和賀の中では同じくらいのことではなかったのでしょうか。 大阪丁稚奉公先での自転車商の夫婦の籍を勝手に変えることも、 愛人を幸せに出来ないことも、 愛人との子も幸せにできなかったこともすべて和賀の中では同じ罪だと思います。 どのような贖罪をしていいのかもわからない和賀は、 その宿命を背負い音楽創作に打ち込んでいたと解釈します。 もし、 三木の言葉を受け容れて、 過去を受け容れていたら、 自分たちを捨てた村や家族も受け容れることになりそれが許せなかったのではないでしょうか。
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- masuling21
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>・鉄道から白い布をまく女のことをたまたま新聞のコラム欄・・・ 当時は、駅弁の殻を窓から投げることもあったと思いますが、女性が窓からそんなことをするのは珍しいし、捜査も行き詰まりがあった。 >・三木が映画館で和賀が写っている集合写真を見て、すぐに秀夫と分かったこと。 すぐに確証を得られず、2日(?)にわたって見に行ってます。 >・三木が本浦千代吉に親切に接し、隔離するために病院へ搬送される際にもずっと付き添っていること。 三木巡査の職務にかける情熱です。昔は、そんな人が多くいました。 >・和賀の大阪の本籍がなぜ分かったのか。 いまや、本籍は就職や結婚のときにも聞いてはいけないものですが、当時は、その人物のルーツを知るための第一歩で、住民登録がわかれば、本籍を知ることはできました。本当は今でもできるのですが。 >・和賀が三木を殺害したこと。 映画「飢餓海峡」と似たような状況だと思います。立派に成長した青年に会いに行った善良な老人が、過去を知っているというだけで疎まれて殺害されてしまう。人間の悲しい性ですね。
お礼
なるほど、捜査が行き詰っており、少しでも何らかの手がかりを得ようとして新聞を隅から隅までチェックしていた中で目についた、というのなら分かる気がします。 映画館の写真については、確かに二日間確認しに行っていますが、一日目に写真をふと見ただけで「秀夫か?」と気づいたわけで、このことが不自然では?と思ったのですが・・・。 どうもありがとうございまた。
- kanayuu7
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伝記ではなく、観察文でもなく、単なる物語ですから、映画を満た人が感動すれば良い悪いと単純にお考えになった方が良いかと存じます。
お礼
勿論そのようなことは分かっています。 その上で、疑問に思った点について他の人の考えを聞きたいと思い、あえてこの場で質問した次第です。
- lemo
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映画「砂の器」は、松本清張の原作をお読みになれば分かりますが、映画版とは全くと云って良いほど別物です。 普通、原作の方が名作と云われる例が多い中、「砂の器」に関しては、映画の方が名作と云う声が多いような気がするのも、原作があまりにも「荒唐無稽」だからです。 松本清張が提唱した「社会派推理」と云うのは、従来の「名探偵が不自然きわまりない犯人が仕掛けたトリックを暴く」と云った、古い探偵小説に反旗を翻した形式で、謎解きよりも、犯行に至った動機に重点を置いた現実的な内容が多いのですが、その新鮮さが大人気となり、たちまちベストセラー作家になってしまったため、きちんと全体の構成を練り上がる時間もないまま書き始めるケースも少なくなかったようで、本格もののように、フェアな手がかりを伏線として順々に書いて行く、と云うような気配りはされていませんし、謎解きとして、読者に100%満足のいくような答えも書かれていません。 書いて行く途中で、何となく、もっともらしい「想像」を推理と云う形で読者に納得させると云う「後講釈風の書き方」もしくは「空想の域を出ていない説明」で終わっている部分が少なくないため、「本格謎解きもの」のような「してやられた感」は少ないのが特長です。 「砂の器」の原作の方は、そうした社会派作品としてみても、犯行手段が、古い探偵小説である海野十三の名作「振動魔」からヒントを得たのではないかと思われるようなSFまがいの突飛なもので、リアリティなど全くない、清張らしからぬ凡作になっています。 映画版は、その原作の「荒唐無稽な部分」を削ぎ落としてしまったため、それなりにリアリティと云うか風格ある作品に仕上がっていますが、逆に、改変してしまったが故に不自然になってしまった部分や、逆に、元々原作では重きを置いていなかった要素が強調されたり(「ライ病」に関する部分は、原作ではとって付けたようにちらりと書かれているだけ)で、映画版でも、随所に不可解な部分が目立ちます。 ただ、「砂の器」に限らず、元々、映像に本格謎解きは不向きと言われていたりもしますし、ミステリ映画の細部の疑問点などは、観客各自の想像に任せると言う風に解釈した方が良いのではないかと思っています。
お礼
原作を読んでいないのですが、色々と調べていく中で、原作と映画とで違う点がいくつかあるということは知っておりましたが、少しではなくかなり違うようですね。 映画がすばらしく、大変感動しましたので、その後で原作を読むとちょっとがっかりするかもしれませんね。 でも、ぜひ読んでみようと思います。 確かに、「観客各自の想像に任せる」ようなことは、よくあることですよね。 でも、この作品は推理小説(ミステリー映画)ですし、謎解きものとしても傑作と言われているということですから、それなら抽象的な部分をできるだけ減らし具体的に表現してほしいと思いました。
この作品は当時からストーリーを簡素化しすぎたために内容がよく理解できないとの批判がありましたので、ご指摘の回答としましては単に省略したということなのだと思いますが、原作を読んでいない人が見た場合は、辻褄の合わない難解な作品という印象を受けると思います。
お礼
原作を読んでいないのですが、ぜひ読んでみたいと思います。
お礼
ありがとうございます。 しっかりとしたご自分なりのお考えをお持ちなのですね。 参考になりました。 戸籍についてですが、調べようと思えば勿論調べられると思いますが、「なぜ和賀の本籍を調べようと思い立ったのか」、というきっかけ(?)が分からなかったもので・・・(但しどこかの場面にあったがそれを単に見過ごしただけなのかも?と思っておりました。)。