• 締切済み

「ドラマの主人公のようだった」こと、ありますか?

こんばんわ。40代主婦です。 皆さんの人生のなかで、「あの時は私(俺)、ドラマの主人公のようだったな~」ということ、ありませんでしたか? 私は中学生時代、学業が優秀で(それ以降下降線を辿りましたが笑) 県内屈指の進学校への推薦枠に入るか入らないかの瀬戸際に、学年主任より職員室に呼び出されました。 学年主任: 「これ以上あいつら(不良グループ)と付き合っていたら推薦できないぞ!」 私: 「誰と友達で居るかは私が決めることです!」 と啖呵をきって勢いよく職員室を飛び出しました。扉までバーーンっと閉めて・・・ 若気の至りってやつです。今は怖くてそんなこと よーしません!(汗)先生ごめんなさ~い! ・・・・・・でも、ちょっぴりかっこ良かった私です(笑) どんな思い出でも構いません。皆さんの主人公シーン、教えてください。

みんなの回答

  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1825)
回答No.8

sofaa さん、先日は御回答ありがとうございました。 >「ドラマの主人公のようだった」こと、ありますか? おっさんに成り果てた我が身には、過去のちょっとした恋愛の記憶が何ともノスタルジックな気分へと誘う、つまり恋愛のシーンに於いては、誰も彼もが須らく主人公なのでしょう、御多分に漏れず私もそう。 さて話は10年ほど前に遡ります。 当時40歳を幾つか過ぎたこの私、渋谷での所用を済ませて帰途に就くべく地下街へと降り立ったその瞬間、正面方向からこちらに駆け寄ってきた妙齢の御婦人が 「 K ちゃん! 」 と話し掛けて来たのです。 「 ??? 」、こんな美人を忘れる私ではない、きっと後ろの人の事だろう、そう思い無視して通り過ぎようとしたその刹那、今度はかつての私のあだ名を呼ぶ声が・・、鈍感な私にもようやく事態が飲み込めた。 思えば高3の夏、男女何人かで出掛けた首都圏近郊の海岸キャンプにて、ふとした事からそういう関係になった同級生の可愛い女の子。 何故か彼女・彼氏の関係にはならなかったが、何の因果か同じ大学の同じ学部へと進学し、友達以上・恋人未満という曖昧な関係を引き摺りつつ卒業と相成り、当然別々の進路を歩んだ結果自然と疎遠に・・・、私の記憶からは遥か遠い存在となっておりました。 約20年振りで再開した彼女は、女性の美のピークは決して10代や20代には非ず、そう感じずにはいられない良い歳の取り方をした御婦人へと見事な変貌を遂げ、いまだ衰えぬその美貌といい、一目で高価と分かる身なり・装飾品の数々といい、「 ああ、きっと幸せな結婚をしたんだろうな 」、そう感じた私自身も幸せな心持となったというのが正直な気持ち。 「 Kちゃん、全然変わんないね、あの頃のまま。」 「 んなこた~ね~よ、もう40過ぎてんだぜ。」 やはり体を知り合った者同士、ブランクとなった長い空白を取り戻すのも早かった、どちらからともなく「一杯やろうか」という事になり、その辺りのバーに入って四方山話をしておりましたら、よくよく聞くと結婚して実家を離れたのではなく、婿さんをもらって御両親の敷地に家を建て、暮らしているとの事でした。 だったら地下鉄の駅を挟んで我が家からは 1km 未満、今まで出会わなかったのが不思議なぐらいでして、それは草木も眠る丑三つ時、玄関で脱いだ靴を両手に握りしめ、抜き足・差し足で2階の彼女の部屋へと忍び込み、当時20歳を前にして、生まれて初めて間男の真似をさせられた往時を思い出し、笑い合った二人です。 さて酒が進んでボルテージも最高潮となり、かつて我々が闊歩した渋谷の変貌をこの目で見てみようか・・、そんな気持ちからセンター街~百軒店~道玄坂へと至る二人、ふと見やるとラブ・ホテルの入り口が・・。 「 違う、そんな気じゃなくて、これは本当に偶然なんだ~!!!」、心の中で声を大にして自身にそう言い訳をしたその刹那、彼女が小声で何かを囁いた、「いいよ!」。 少なくとも私には100%そう聞こえました、黙って手を握りその先へと歩めば、そういう関係になったのかも知れない。 ところが柄にもなく躊躇った私、あの思い出が壊れちゃう、恐らく瞬時にそう判断を下したのでしょう、且つ私にもその程度の自制心があったというのが我ながら驚きでしたが・・。 ところが後日談がありまして、何しろ家が近いものですから、その後くだんの彼女とは地元のスーパーなどで結構会っちゃう、しかもいつも家内と一緒の時でして、あちらさんも御主人と一緒の場合が多い。 艶っぽい流し目(気のせい?)で「 ちらり 」とこちらを見やる彼女、一方の私といえば、俯き加減の伏目状態。 そんな不自然な状況を見過ごす家内ではない、・・というか女性の第6感は実に鋭い。 「ボク(恥ずかしながら私の事)!!!、あの人知り合い?」 「知らね~よ、なんで?」 「こないだも、あの人こっちを見てたよ」 「俺がいい男だからだろ!」 「馬っ鹿じゃないの」 長い前振りの果てのエピローグ、何も知らない女房殿と胸中複雑な旦那、しかしながら幸せな家庭という構図は、まるで三文芝居のエンディングを見るようです。

noname#201496
質問者

お礼

isoken様~☆素敵なドラマのワンシーンありがとうございます! 「嘘でしょ~!!??」isoken様のアイコンが目に飛び込むや否や身体がエビ反りになるほどの衝撃が走りました。憧れの大御所様からのご回答ほんとうにうれしいです! 今日はisoken様はじめexhivisionist2様と、okwaveの二大vipからのご訪問に加え、素敵な皆さまからのご回答も含め、もっとも豪華な板になっていますこと、有頂天の極みです! さて、ストーリー感慨深く読ませていただきました。 初々しい高校性時代のはじけるようなお付き合いから、長い年月を経て今度は酸いも甘いも経験した成熟した大人同志での再会。そこには二人にしかわからない時空を超えた空気が流れる。 (まさに大人の世界だ~☆) 恋人未満だったにも関わらずしかも20年の歳月が経っても「kちゃん」と明るく声をかけられるところはさすがisoken様の特権!並みの男じゃこうはいきませぬ。 しかしどうしてそんなチャンス、手を引かなかったんですか~? 思い出がかすがいのステキなこの関係を大切に思われたのですね~ でもご婦人の悶々とした気持ちがびんびんに伝わってきます(笑) isokenさん罪なお方… でもきっとここが「モテの神髄」と言われる所以なんでしょうね~ヤバい☆ うたかたで甘い大人の世界と幸せなご家庭との共存。 こんな奥行きのある人生を送れるような人間になりたいな~ とわが身に切に願ってしまうストーリ-です…!

noname#204018
noname#204018
回答No.7

sofaaさま、お礼ありがとうございます。 身に余るお言葉光栄です。 「ドラマの主人公のようだった」こと、ありますか? この素敵な「タイトル」のおかげです。人は常に輝いているわけでは ないけどふと思い出す自分らしさを発揮していた時期のこと。すると あの時代何か特別頑張ったわけでもなく、たぶん明日からでもきっと あの頃のように「主人公」になって生きていける。 なんかだ先妻の好きだった歌手を思いだしますが 「ドラマの主人公のようだった」こと、ありますか?のほうが お前は主人公だと諭されるよりずっと元気をくれる言葉ですね。 あーあ、もう下品なことは書けないですねw ありがとうございました。 おかげで今日だけアンカテの主人公になった気分を味わえました。

noname#201496
質問者

お礼

おお~そのように言っていただいて…こちらこそ身に余る光栄です!頬がポッ(*^^*) >もう書けない とんでもな~い(笑)ex様はじめ先人様の偉大な人生行路は、教科書に載っていない貴重な人生マニュアルです!特に嘘のないex様のお言葉は清々しいです☆

  • catra
  • ベストアンサー率23% (67/291)
回答No.6

11年前のことです。 ある事件がきっかけで鬱病になり、会社もクビになって自宅療養している私を励まそうと、本当は猫嫌い(というか触るのが怖い)の母が子猫の兄妹を連れてきました。 知人の紹介でもらってきたそうですが、まだ人口授乳で育てなければならない時期で、小さな命を育てていれば私に生きる気力がわくだろうとの思いもあったようです。 私は喜んで子猫たちの世話をしました。(元から家には他に2匹の猫がいました) 夜は子猫たちが入っている段ボールの横に布団を敷いて寝て、数時間おきに哺乳瓶でミルクをあげました。 私は子猫たちが可愛くて可愛くて、我が子のように思っていました。 その子猫たちがようやく離乳した頃です。 子猫たちが遊んでいる横で、私は猫用のタオルや毛布が入った段ボールを抱えて運ぼうとしました。 その時、私の足元にお兄ちゃん猫がするりと入ってきたのを、私は段ボールに隠されて見えなかったのです… 次の瞬間、足元に柔らかい、でも背筋が冷えるような感触、続いて「ギャッ!」という声… 私はお兄ちゃん猫を私の足で踏んでしまったのです。 子猫は血を吐いて動かなくなったように見えました。 それから私がどうしたか、しばらく記憶にありません。 父が子猫に人工呼吸すると、ケホッと血の塊を吐いて弱々しく呼吸をしたそうです。 私は震える手でタウンページをめくり、片っ端から動物病院に電話をしました(夜の10時半ごろでした)。 ようやく一件の病院で診察してもらえることになり、父が運転して私は猫を抱いて車の中でガタガタ震えながら子猫の名前を呼び続けました。 病院について獣医さんは難しい顔をしながら「非常に厳しいですが、とにかくできるだけのことはします」と言って預かってくれました。 しかし翌日からちょうど体育の日の連休で病院は休み。 子猫がどうなったか、知りたくて翌日の朝から病院に電話しましたが当然電話は繋がりません。 車で病院の建物の前に行って、中にいるはずの子猫の無事を祈るしかありませんでした。 妹猫は何も知らずに離乳食を食べてすやすや寝ています。 妹猫に対しても「きょうだいに対して私は何ということをしたのか」という罪悪感でいっぱいで、いてもたってもいられませんでした。 その日の夜中、思い立って願掛けで有名な隣の県のお地蔵様にお願いに行こうと、一人で車で出かけました。 必死だったので家族にも知らせずに出かけました。 途中のコンビニでペンと便箋を買って祈願文を書き、高速を飛ばしてお地蔵様に向かいました。 明け方に家族が気づいて携帯に電話をかけてきましたが、運転中でしたし一秒でも早くつきたくて電話を取りませんでした。 まだ暗いうちにお地蔵様に着きました。 昼間は参拝客も多くて参道には土産物屋もたくさんありますが、ひっそりとして誰もいません。 黒々とした木の影と建物が見えるだけです。 でも全然怖くありませんでした。子猫が助かるなら、という思いだけでした。 一人で中に入り、本堂の前に座り込んでひたすら拝みました。 家から持ってきたお数珠とお経の本を手に、携帯の明かりで本を照らしてお経をあげ続けました。 空が明るくなってきた頃、背後から名前を呼ばれました。 家族が、私がここにいるに違いないと思って父の車で駆けつけてきたのです。 無性に涙が出ていて母にしがみついて泣きました。 それから家族全員で拝んで、朝早くにお店を開けたお茶屋さんでしょうが湯をいただいて帰りました。 帰って荷物を置いた時、家の電話が鳴りました。動物病院からでした。 当直の看護師さんが「猫ちゃんが意識を回復しましたよ!」と教えてくれました。 受話器を持ったまま座り込んで泣きながらお礼を言いました。 その猫「裕介」は、その時の怪我で視力を失いましたが、獣医さんが驚くほど回復して何とか目も見えるようになったり、不自由になった足が動くようになったり、いくつも奇蹟を起こしてくれました。 ですが、たくさんの奇蹟とひきかえに、「裕介」は5ヶ月で天国にゆきました。 死因は急性腎不全で、獣医さんは「怪我とは関係ありません」と言ってくれましたが、私は今でも「裕介」の命を奪ったのは私だと感じています。 それでも、「裕介」が起こしてくれた奇蹟を思い出す時、私は何か見えない力によってドラマの人物のように動いていたような気がします。

noname#201496
質問者

お礼

……マジ泣きです。。 「裕介」は死んではいません。。 きっとcatra様に出会うために生まれてきた小さな命。 優しいご両親とともにあたたかいオーラとなって、いつまでもあなたを守ってくれていると思います。 catra様…素敵なドラマのワンシーンありがとうございました!

回答No.5

専門学校の卒業式を3月くらいに終え、私はクラスメイトより1ヶ月ほど早く就職先に通い始めてました。 専門学校をさぼってばかりいた私は就職してみて自分が何も学校で学んでなかったと痛感し、夕方学校に行っては先生をつかまえて教えを乞うていました。 その日も学校に寄りました。まだ春休みでヒマなクラスメイト達が、何人か暇つぶしにクラスに集まってたので、ちょっと話したりして、その後気まぐれに誰もいないはずのコンピュータ室に行ってみました。 すると、クラスのマドンナAちゃんが一人でパソコンに向かって何かしています。聞くと、バイトを辞めるにあたって、バイト募集のポスターを作ってるんだとか。何でそんな事やんなきゃなんないのさ?とツッコミながらも、「これはもしかして、神が与えた告白するチャンスか?」と感じました。 Aちゃんは私がたまに学校に行くと気さくに声を掛けてくれて、スタイルも良く、コンタクトにしたらえらい美人になっちゃって、ずっと気になっていて卒業までに告白しなきゃ!と思っていたのに果たせず、もう二度と会えないと思っていたところでした。 Aちゃんにソフトの使い方を聞かれ、一通り教え、私も何か作業するフリしながら世間話などしてタイミングを見計らいますが、告白する勇気が出ません。「やっぱムリだ」と思って「そろそろ帰るね」と声を掛けるたびにAちゃんに呼び止められてまた操作を教える繰り返し・・・「もしかしてだけど~もしかしてだけど~俺の告白を待ってるんじゃないの?」と、「どぶろっく」じゃないけどそう思いました。 しかしそれでも勇気が出ない!結局夜になって学校を追い出されるまで告白できず、「じゃあね」と言うと「ゴメンmikasa、荷物が多いから運ぶの手伝って」と、また呼び止められました。 荷物を持って玄関を二人で出ると、三日月と金星が輝くキレイな星空。「お前、これだけの舞台を用意してやっても告白できないのか?」という神様の声が聞こえました。 「Aちゃん、あの、は、話があるんだ!」おどおど話す私に 「なに?」とAちゃんは立ち止まって笑顔で言葉を待ってくれたことで、勇気が出ました。 「前からAちゃんの事、す、す、好きだったんだ」 「ほんと?嬉しい!」 ・・・と言う割りには「友達からなら」という返事でしたけど、Aちゃんはすごく嬉しそうで、99.99%OKだと感じて私は車での帰り道浮かれすぎて、軽く縁石にぶつけて車体を凹ませましたが、私の有頂天の心は凹ませられませんでしたw まあ、その後1年半で別れちゃいましたけど、自分の人生の中であのドラマのような成功体験は今でも輝いています。

noname#201496
質問者

お礼

mikasa様…素敵なドラマのワンシーンありがとうございます! アハハハハ♪縁石にぶつけちゃったとこで笑っちゃいました。 (ついさきほど別記事にてもぶつけたお話拝見したばかりだったので♪) それにしてもなんとも美しい青春のワンシーンですね☆ 絶対マドンナAちゃんもチャンスを狙ってたと思いますよ~ 「友達から」なんてもったいぶっちゃって…(笑) でもここでも男気を出せてやっぱり偉いです!いつキメルのかドキドキしちゃいましたよ… きれいな星空の下、美男美女のおふたりの初々しいやりとり… 青春だ~…

noname#204018
noname#204018
回答No.4

ドラマの始まりは、晴天の霹靂でした。1995年の年始の休暇の土曜日。明後日から 忙しい日々が始まる朝のことです。妻がいきなり告白をしはじめました。妻が隠れて不倫していたというのです。 それも妻の口から伝えられたのですから、TVドラマでもありえない展開です。 妻はおそらく私が不倫をしていると思い込んでいたのでしょう。ショッピングモール の視察団に参加したメンバーの中に仕事仲間の女性がいました。私たち夫婦は確かに 不仲が続いていました。しかし、当時の視察団はドル高の貧乏旅行で男の二人部屋。 何も事件など起こらなかった。 しかし、妻は仕返しに2年も間、昔の恋人に抱かれて続けていたというのです。 ここから先の、私の行動力こそ思い返すと超人的なパワーによるものだったと思えます。 相手の名前を白状しない妻からやっとのことで訊きだしたN島という苗字と愛知県にある 市の名前から八重洲の全国電話帳から該当する人間を15名ほどメモして番号を控え こだま号に乗って当時車内の公衆電話でかたっぱしからかけてさがしあてた。 3時間弱でN島の住む街につき、駅の公衆電話からかけて本人をつきとめた。 そこから先、妻のうわき相手を捕まえて東京の自宅まで連れ帰ったのですが 昨夜の「昼顔」の吉瀬美智子の夫と同じで、二人ならべて簀巻きにして一刀両断 というわけにもいかず、まさにTVドラマ同様に、悪態ついて顔をゆがめるだけで それ以上何かすれば自分が犯罪者になることを悟りました。 不倫と言うものはやった方はいい気なもので、その後郊外にマンションを買わせて 引っ越したり、車を買いかえたりして気分転換をはかるものの、悲劇の主人公は 鬱屈した気持ちが晴れないままに、子供がある程度大きくなったのを機に離婚。 自由になった私は「泳げタイ焼きくん」の気分でしたね。ただ、やっていたことは 自分が不倫ドラマの相手役になったというだけですが、ワインバーやレストランや 超高層ホテルですごした夜とか自分が、ドラマの主人公になりきってましたね。 そういうバカな恋愛をいくど繰り返しても先妻から受けた心の傷は癒えませんでした けれど。 先妻に頭を抑え込まれ、やりたいことを何一つできなかった自分が、自分に正直に 生きていくなかで、やっと自分が人生のドラマの主人公なんだという実感がもてた ころ、自分の生き方を肯定して一緒に支え、楽しんでくれるパートナーが現れ ました。 なんか、気障なこと言ってしまいましたね。

noname#201496
質問者

お礼

exhivisionist2様…素敵なドラマのワンシーンありがとうございます! きゃぁぁぁ!大ファンのexhivisionist2様からついにコメントいただけ、失神&失禁しそうな勢いです!(落ち着け落ち着け) ex様の数々の各所でのご回答を拝見するのが大好きで、その活き活きとした壮大な人間ドラマを毎回うっとりと読んでは余韻に浸る…そのような日々を送っているのは私に限らず、ここに居られる皆さんも同じかと思います。 はぁ~…ついにわたくしの板にも物語いただきまして悦に入っております。当分フルパワーで日常を戦えそうです(笑) ex様の何が粋かと申しますと…始まりが奥様の方からなんですね!これが男性の方から始まった浮気だと、ただのスケベ爺に過ぎませんが、ex様はちがう… これまでにご自分を素直に投げ出し、荒れ、人生にぶつかっていかれたのは、先奥様を愛しておられたが故の、まっとうで至極男らしい生き方ではないでしょうか… 故遠藤周作のエッセイに、「結婚とは…信じること」といういたってシンプルなことばがあり、シンプルが故に一番難しいと筆されていました。 ex様は先奥様を信じておられたのです。これこそ人間味のある素晴らしい尊きことではないでしょうか… きっと先奥様もex様の魅力をわかっておられると思います… モデル並みの美人さんとの出会いは神様からのプレゼント☆ そして現奥様は究極のパートナー… 生意気言いまして、お許しください! これからも各所でex様のストーリー拝見できますのを何気に楽しみにしております!これからもどうぞよろしくお願いいたします!

  • acchipoo
  • ベストアンサー率44% (175/394)
回答No.3

私も質問者様と同じ世代の主婦です。 そのセリフ、今まで1回だけ言ったことがあります!! 日曜日の昼下がり、主人と幼い長男のことで何だったか軽く言い争いをしていました。 普段ほとんど言い争いをしない私達。ほんとによその人から見て 「言い争いしてるってその程度?!」な感じですが、まあとにかく私の心拍数は 珍しく上がっていたのでしょうね。 「もう、わかったよ!!」みたいなセリフを吐いた瞬間に「うっっっっ」と口元を押さえて トイレへ。 気持ち悪くうずくまる私。心配で見に来た主人。二人して「もしかして・・・?」 はい。二男くんを妊娠していました。 妊活中だったのでよりいっそう二人してすぐにぴんときたのですが、思わず私、 「すごーい!!ドラマみたい!!」 まあもともとほんとにたいしたことない内容で言い合っていたので、そんなことすぐに どうでも良くなっちゃって、主人も「気持ち悪いなら横になってなよ!」といたわりモード。 あの後2人産みましたが、「うっっっ」→トイレ→「もしかして?!」なんて二男くんだけでしたw ドラマの中だけじゃないんだなぁ・・・

noname#201496
質問者

お礼

acchipoo様…素敵なドラマのワンシーンありがとうございます! とっても幸せいっぱいのおめでたいドラマですよね--♪ バトルモードから一気にハッピーモード♪おかげさまで遠い昔の我が家のワンシーンも思いだせました(笑)

回答No.2

高校2年生のとき、教育実習に先輩がウチのクラスへ来ました (過去問でネタにしている先輩です) 2週間という短い期間でしたが、最後の授業は研究発表会と言って他の先生方が授業を視察するんです そこで私、ショートコントを英語でやる役に抜擢されました!! ショートコントと言えば大げさかもしれませんが、教科書に載っている英会話を再現したものです それから20余年のお付き合いがありますが、後で知ったことなんですけど、クラスのみんなに「誰にやってもらおう?」って相談していたとか みんなもみんなで私推し まんまと罠にはめられました ちょっと目立つのは好きでしたけど恥ずかしかったなぁ~

noname#201496
質問者

お礼

michiyo様…素敵なドラマのワンシーンありがとうございます! 人気者でいらっしゃるのは、学生さんの頃からも同じなんですね~!英語でショートコント…めっちゃ難しそうじゃないですかぁ。

回答No.1

中学生の時、お爺ちゃんの仏壇に線香あげに、お婆ちゃんちへ行きました。どうゆうなりゆきだったか覚えてないけど、私と弟は自転車で駅まで行って電車に乗って行き、母は後から車で来て合流しました。 お婆ちゃんちに、仕事から自宅に帰った父から電話が来ました。「ゴローが死んでるぞ!」 ゴローとは飼い犬の柴犬で、最近お腹が膨らんで、よその犬と交尾して妊娠してたのかと思ってたんですが、元気が無かったし、後になって考えればフィラリアにやられていたんですね。 自分がそれに気付いてやれなかった事が悔しくて、悲しくて、すぐにでも泣き出してしまいそうでしたが、母と弟の手前こらえてました。 外はどしゃぶり、母の車で駅まで行き、弟の自転車は車に積みましたが、「俺のはいいよ、自転車に乗って帰るから」と、自転車で冷たくなったゴローの居る家に向かいました。 どしゃぶりの雨の中、大泣きしながら自転車をこいでいたあんときの私は、ドラマの主人公っぽかったなぁ~(遠い目)

noname#201496
質問者

お礼

mikasa様…素敵なドラマのワンシーンありがとうございます! じんわりきてしまいました。 みんなが去った後、しずかに逝くなんて…ゴローのやつ(泣) どしゃぶりの中自転車こいだmikasaさんの男気、ゴローもきっと天国から眺めていたと思います!

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