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受験と推薦、どちらが賢い選択?
- 受験と推薦、どちらが賢い選択なんでしょうか?私は当時、受験する事を挑戦だとか、推薦は姑息だとか思っていましたが、あれは若気の至りだったのでしょうか・・・。
- 高校受験は私が考えていたよりもはるかに出来レースだったような気がします。大学受験は一浪したのにどこにも受からず、結局だれでも受かる所に行きましたが、正直ウンザリしました。
- 高校の学友の中には東京の有名私立に推薦で入った子も居ます。この推薦は誰もが羨むものでした。同じく高校に推薦で入って来た子もまた、やはり大学に推薦で入りました。ただ彼は、有名私立の方の推薦入学を取れず地元の冴えない私立大学に推薦入学しました。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者の方は今何歳なのでしょうか?今現役の大学生ですか? 少なくとも、Sirou10さんが言われているように、 >高校受験は私が考えていたよりもはるかに出来レースだ というのは事実であり、同様なことは大学受験や公務員試験にも言えるようです。 非常に大規模に出来レースが行われていて、日本の人口の1割とか2割という方がこの出来レースというインチキにかかわってしまっているはずです。 結果的に、多くの方が、本来の自分の力・能力を磨くことなく、青年期を過ごしてしまうことになり、それは、その人自身だけではなく社会全体としても大きな問題を引き起こすことになるでしょう。 >受験と推薦、どちらが賢い選択なんでしょうか?私は当時、受験する事を挑戦だとか、推薦は姑息だとか思っていましたが、あれは若気の至りだったのでしょうか・・・。 という疑問はよく分かります。ただ、「どちらが賢い選択」かという疑問は、その背後にどちらが得かという視点が隠れているように思います。いい会社や高い年収というものへのこだわりがあり、それが外形的に得られると考えられているように思います。 しかし、多くの場合、それは間違えです。特に、今の状況は、「出来レース」が基本的に植民地化のために行われているわけで、優遇されている方たちは基本的に利用されているだけです。 基本的に自分の人生は自分で切り開いていくものです。他人によって与えられるものではありません。ましてや、出来レースというインチキで得た学歴や職業は、いつか大きな災厄として意識されるようになるでしょう。 自分自身の力で、実力で生きてきたという誇りを持つことです。もっとも、それが単にサボりの結果であるのなら、ここでそれを反省する必要はあるでしょうね。今の日本はかなり恵まれた世界です。それなりに頑張ればかなりの程度その努力は認められていきます。社会的な関心を持ちながら、自分の人生は自分で切り開いていくという努力を続けるのが最も必要ですね。また可能であることです。 それだけ、大きな潜在力が一人一人の人間に、特に、若い人にはもともと備わっているのです。そういった力に信頼を置くことです。「若いときは苦労を買ってでもしろ」いう昔からの格言はそういう意味があるのです。
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推薦入試に出願することが姑息かどうかについてはコメントしませんが,いくつか質問文に書かれた事実の範囲内で思うことはあります。 1.「受験する事を挑戦だ・・・大学受験は一浪したのにどこにも受からず、結局だれでも受かる所に行きました」なら,挑戦と気負うだけの実力が,あなたになかっただけのはなし。つっぱるなら,<学科筆記試験のみしか実施していない大学>を突破できる実力が必要だったのです。 2.「高校の学友の中には東京の有名私立に推薦で入った子」よりも総合的にあなたが優れているという自覚があったのに,あえて「挑戦」するために高校内部の選考に志願しなかったのですか? たぶん,その学友よりも評定平均が低いか,とりたてていう特技がないか,生徒会で重要な仕事をしていないか,人間としての魅力がない,という自覚があったからじゃないかと推測されます。もしそうなら,他人が姑息なことをしたような発言をしてはいけません。 3.「あれは若気の至りだった」と思うことは,だれにもあります。でも,たいていの人は,「まあ,時間は巻き戻せないから,しょーがねーな。いまでもそこそこだし,これでいいじゃん」と前向きに生きていくものです。いまのあなたは,たぶん「そこそこ」じゃないんでしょう。その原因を入試制度にもっていくのは,高校生のころから人間として成長してませんね。
お礼
ありがとうございます。個別にお礼申し上げます。 1.についてはおっしゃる通りです。結果論ですが、良い大学に受かっていれば受験した事実を結果同様に受け入れられたでしょう。 2.については少し語弊があると思います。私は姑息と言われようと誰にどう後ろ指をさされようと、最終的に要領よく推薦をゲットしたその結果自体は認めざるえないという事です。むしろ推薦を得る為ならどんな事でもする。それにそんなゴマスリが世の中でも出世するんですよね・・・。 3.についてはごもっともです。人間的成長が無いのは・・・全くその通りです。まぁしいて成長したといえば・・・世の中を上手く渡り歩くには、他人をいかに出し抜くか。どんな手段を使ってでも・・・という諦めにもにた境地に至ったという感じですかねぇ。 人の不幸を利用してでも幸せになりたいと心底思う自分がいます・・・。
大学3年の女です。 >受験と推薦、どちらが賢い選択なんでしょうか? 正直どっちが良いとかわかりませんが、 でも私は受験して良かったと思ってます。 私も高校はみんなが行くような学校から ワンランク…もしかしたらツーランクw 下の学校に通いました。 某大学の付属校だったので受験しなくても 内部推薦で楽に大学生になれましたが 高校も妥協して入っているし… なんかキッカケがないと、 私はずっとこのままかもしれない!と思い 内部推薦を蹴り、外部受験をしました。 約2年半、塾に通って (学校は内部受験で進路が決まるのが 8割超えだったので外部受験の勉強には 向かないと思ったのです。) 結局、誰でも受かるような学校にしか 受かりませんでしたが それで納得していますよ。 その間、勉強は自分なりにやったし、 それまで、なかなか妥協した人生を 送っていましたがw 大学受験に関しては胸を張って 精一杯頑張った、と言えますから。 また私にとって大学受験は 青春だったんです。 毎日、朝から塾が閉まるまで ずーーーーーっと塾で勉強しました。 その塾には一緒に頑張る友だちがいて 応援してくれる先生と先輩がいて 励ましあって、助け合って。 私にとっての学校は塾でしたねw いま大学3年ですが 今でもよーく、その時のことを 思い出して濃密な毎日だったな。と 思います。 で、その毎日は楽しかった。すごく。 (もちろん勉強は大変でした。辛かったですw) なぜ濃密な毎日だったのか? 楽しかったのか? 精一杯やったからだと思います。 私は大学受験で精一杯やると 毎日が楽しいって知りました。 あと、自分ってこんなに 頑張れるんだ…ってびっくりしましたw それから人との繋がりですね。 一緒に頑張った友だちや 応援してくれた先生・先輩とは、 今でも、なかよしですよ☆ 家族や塾以外の友だちも もすごく支えてくれたんで ありがたみが分かりました。 なによりも自信がついたし、 やりきった経験というのは やはり受験を経験した人にしか 味わえないものですよね。 その経験はこれからの人生で すごく活きて来ると思います。 私は受験によって成長できたところ たっくさんあると自分でも思うし 周りの人からも受験を通して すごく変わったね、と言われます。 受験できる経済力と環境にいるなら 受験した方が、なんか人間的に 成長できると思います。
お礼
ありがとうございます。 とても丁寧な、実感の伝わるご回答でした。大変参考になりました。 思ったのは・・・受験は推薦と違い自己責任でもあるという事です。つまり結果を誰のせいにもできない。 日本は自己責任を重んじる傾向がありますが、それゆえに受験は過当競争・ラットレース・出来レースのそしりを受けながらも、それでもなお正当とされる所以なのかもしれません。 推薦は、受験結果によって本当の自分を知るのが怖い人かもしれませんね。しかし・・・これは感情論だから、賢いかどうかのテーマとは違いますが。
あなたの言うことは、良く分かります。しかし、過去に戻って人生やり直すことは出来ません。結局、この先失敗しないように生きていくしかないのではないでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 過去に戻れるもんなら戻りたいですね・・・。 これこそが人生最大のテーマになりそうです(つまりタイムトラベル)
お礼
ありがとうございます。もう30代半ばに至ります。 植民地化という言葉が斬新に感じました。もう少し言い方があってもと思う位、ザックリとぶったぎってくれましたね(笑) すると推薦というのは植民地化の中でも最たるゴマすりの類ですね。受験派というのは、ある意味で植民地の中でもラットレースですか。 日本は長いこと右肩上がりで寄らば大樹の影という社会が現実でしたし、私はその最たる時代の人間ですから、未だに引きずっているのかもしれません。 改めて考えさせれました。