原爆の恐ろしさを報道すればするほど、
それほどの効果があるものならば自分の目的を達成しやすいからたくさん作っておこうというような人がどこかに出現するのではないでしょうか。原爆ドームはそれほどの迫力はないかもしれないが、毎年被爆者が大きな声を上げれば上げるほどどこかで自分の政策が間違っていないいう確信を与えてはいないでしょうか。化学兵器については日本では問題にされないが報道で悲惨さが伝えられると同じことになっているのではと思います。少しずれますが日航機墜落も修理の際の溶接の不完全さから尾翼部分が飛行中に吹き飛んだとされています。遺族の悲しみをいくら報道しても溶接の不完全さが繰り返されることを抑制できないようにも思います。悲惨な出来事を報道する目的が少しわからなくなっていますが、皆さんどのようにお考えでしょうか。