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相談に乗ってもらう際の鬱憤晴らしのポイント
- 相談に乗ってもらう際、厳しい意見が返されることもある
- 話し合いをせずに意見を並べられる場合もある
- 相手の反応によって鬱憤晴らしが行われることもある
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質問者が選んだベストアンサー
相手も人間ですから、相手を選ぶんじゃないかと思います。 わたしも、ある人に対しては極上の自分を見せようと頑張っています。 そうでない人は、まあそれなりに。 ヤバイと思える人は、追っ払います。 そのある人は、誰に対しても丁寧で、気遣いをしています。 この周囲にいる人は、必死に成って自分の良いところを見せようとしています。 ですので、私だけじゃないようです。 ところが私の肉親なんですが、 かわいそうなことに、この肉親の周囲にいる人は、誰彼かまわず、敵に回ります。 何とかしてあげたいと思って、私も接するのですが、1時間と持たず喧嘩になります。 その人もさすがにもう年配なので、 実は自分の態度が問題で、他の人が腹を立てていると気がついているようです。 ですが、うちの親が注意をしなかったんですよ。 この人は、社会に出てやはり苦労して、最後はウツになって退社しています。 心配ではあるのですが、やはり会話をすると短いときは数分で喧嘩になります。 ある種の才能かと思うくらいで、体験してみないと分かりません。 本人はわざとじゃないので、止めようが無いみたいです。 物は試し、 わたしの会社の同僚で、少し人格面で問題があるなあ、という人がいたので、 (どっちが勝つか) ためしに引き合わせてみたら、この人が驚いてしまい、 「さすがにあれは・・・・」 と、私の肉親を心配してしまいました。 その後怖くなったのか、、ああは成りたくないと自分で自分を律するようになりました。 上には上がいると知り、彼は立ち直っています。 私の肉親は、周囲の人が自分にだけ冷たいと主張しているのですが、 夢にも自分が「おっぱわれようとしている」とは思ってないんですよ。 友人どころか、関わりあいたくない。 それでも、本人は(嫌われていることが)分かってないので友人だと思っている。 これで相手を怒らせたまま、よっていくので、追っ払われる。 そこまで嫌われていると言う自覚が無いので、 「酷い人だ、私は何もしていない」 とかいっちゃってるんです。 ところが相手は、嫌ってもらっても結構、とにかく傍に来てほしくない、 と本気で思っているわけですから、 「酷い人でいいから、近寄らないでください」 と本気で言い返します。 仲の良い友人同士でも、ボタンの欠け違いで喧嘩をすることがあります。 しかし、どちらかのメンタルに慢性的な欠陥があると、喧嘩が絶えず、 疲れてしまう場合があります。 このときどちらも、相手が悪いと主張するものです。 ですので、ここは互いに仲直りせず、関係を切ってみるのがよいのです。 すると、正常であったほうは、楽になり、別の友人が増えます。 異常があるほうは、孤独になり、友人が減っていきます。 物事の正しさではなく、一緒にいて気持ちがよいかどうかですから、 どちらも正しいと主張し、それに対して賛同する人が多いか少ないかです。 自分の考え方や正しさについては、折に触れて発想を変えないといけません。 自己を否定して生まれ変わるわけですから、悔しくてたまりませんよ。 ですが、新たな発想が定着すると、 見違えるように周囲の反応が変わり、驚くくらいです。 この手ごたえを感じれば、 今の自分の正しさを主張することが、馬鹿馬鹿しいと思えるようになります。 でまあ、こういう習慣がないと、諍いが増えます。 普通にしていて友人が増えてきたり、周囲が必死に優しくしようとしていたら、 多分、人に好かれる正しさなんです。 普通にしていて、どんなに苦労をしても、周囲の人がイイキミだと喜んでいたら、 多分、人に嫌われる正しさを身につけているんです。 人に好かれる正しさを持っている同士は喧嘩をしません。 人に嫌われる正しさを持っている人と、好かれる正しさを持っている人は喧嘩をします。 人に嫌われる正しさを持っている同士は、憎しみ合うほど喧嘩をします。 正しさについては、誰もが色んな証明をして、正しいと言います。 しかしそのテンプレートが人に嫌われることに対して効果がある場合がありまして、 正しければ正しいほど、人に嫌われるのです。 これを捨てて、取り替えるのが大事なのですが、 そこに気がつくまでは、色んな人に冷たくされ、心がぼろぼろになっているものです。 その状態で、入れ替えることは難しいですよね。 ちなに憂さを晴らすという発想は、一般的じゃないですし、やりませんよ。 非常に気持ちが悪いことです。 まともな発想ですと、綺麗なものを見て心を洗うほうが楽しい。 わざわざ近づいていって、嫌物を見る人はマゾイですよ。 単に意見があわなかっただけじゃないでしょうか。 世の中の全てのものは常に自分を否定しているはずです。 何故ならば、人一人が摂取するカロリーを、新生児に分け与えれば、もっと多くの命が 新しい可能性に向けて育つはずだからです。 大人になって、偉人並みの力を発揮していない場合は、 生きているだけ無駄であるというのが、暗黙知じゃないでしょうか。 誰も望まない中、生き汚く生き、 「あれ、この人無駄じゃないか?」 と言われるのを恐れて隠れ、 見つかってしまったら、仕方なく諦めて、新しい世代の養分になる。 これが普通です。 以上、ご参考に成れば。
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- goodnight1
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メールなら あなたが見なければ それで済む事
お礼
ありがとうございます。 色々分かって来ました。