• 締切済み

何故人の為に尽くさなければならないのでしょうか?

こんばんわ。今日も質問させていただきます。 さて…今日質問させて頂くのはタイトル通り、何で人のために尽くさなきゃいけないのか、なんですが…。 最近思うのです。どう人の為に力を尽くそうと、誰の為にもならないんじゃないのかな?と。 誰かの笑顔が見れるなら自分は幸せになれる…というのもわからなくはないんです。 しかし、何かしてあげた時に、ただ都合よく利用されてるだけな気がするなーと感じることもあったり、中には辛そうにしてる子を私が助けてしまったばっかりに、私なしではいられないくらい依存してしまった子も出てしまいました。(その子に関してはやんわりと少し距離を保たせてもらってますが…。) 仲のいい人の笑顔が見たいなーと思ってやった行動で自分が何か欠けたような気分になったり、依存されてしまったり…。少し馬鹿馬鹿しく感じてしまいます。 人の為って…何なんでしょう? 抽象的過ぎて伝わりにくいかもしれませんが、少し参考にさせて頂けたら幸いです。

みんなの回答

  • ecco
  • ベストアンサー率23% (81/346)
回答No.11

イヤイヤやっても意味はないのではと思いますが・・・。 イヤイヤだったら、相手の方もそれをある程度察する気がします。 それではお互いに気まずいのでは。 私の場合は、「自分がやりたくてやる」という気持ちが大切だと思うので、 人の為と言われるから「仕方なく」やるのではなく、 「やりたいから、やらせてもらう」という感じです。 だから、別にそれで「人の笑顔」も期待しないし「自分が欠けたような気分」にもなりません。 やったことが相手の望むことじゃない場合だって考えられる訳で。 やったことで「依存」されるのであれば、やり方が間違っていたかな、と考えて別のアプローチがないか探す。 どんな結果になろうと、全て自分の責任だと思っています。

noname#227653
noname#227653
回答No.10

何故「人のために尽くさなければならない」と思うのでしょうか。そういう規則でもあるのでしょうか。私は思ったことがないのでよくわからないのですが。

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.9

自分の気持の余裕の範囲で出来る事をすればいいだけです。無理をする必要はありません。優先順位をつけても構いません。 譬えで金銭の寄付を考えてみました。10万円持っているとして、10万円全額寄付する人はいません。何%寄付に回せるかはその人の金銭的余裕と「親切度」の指数の掛け算になります。 他人の為の行動も、その時の時間的余裕と自分の親切度との乗数になります。 ところで、Wikipediaの寄付募集に、応じましたか? また幾らにしましたか? 自分の親切度の参考になるような気がします。

  • hiro822
  • ベストアンサー率20% (131/637)
回答No.8

人のことを思うことは、大切なことだと思うし、 手を差し出そうと思うのは素敵なことだと思うので、続けて欲しいなと個人的に思います。 利用する人がいたり、逆手に取る人はいるかも知れないですけれど、 人に親切にすることにも、多分スキルが必要なのだと思います。 あなたに見えているかはわからないですが、 あなたの親切な行動で、本当に助かっている人もいると思います。 そのときは理解できなくても、後になって実感する人もいると思います。 ただ、全ての人に親切な心が届くというわけではないし、 親切な気持ちが、その人の力になるというわけではない。 でも、そういう経験をしている人は、 どうすれば力になれるのか、どうすれば心に響きやすくなるのかということを少しずつ得られるのだと思います。 本当に人に優しくできるという人は、同時にしたたかさを持っている気がする。 したたかさを綺麗に包み込んでしまって、上手に扱える人だと思う。 したたかさのない優しさは、少し危なっかしいし、偽善的な感じがする。

_aquablue
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今後もお年寄りに席をゆずる等の事は続けようと思います。 しかし…自分がやった仕事を丸々食われたりするのは結構苦しいので考え物です…。

回答No.7

そんなことしりたいの?知ってどうするの?彼方は、うつの一番の苦しみの扉をあけたいみたいだね。彼方が弱いからだよ。

_aquablue
質問者

補足

申し訳ありませんがおっしゃってることの意味がよく分かりません

  • taka-aki
  • ベストアンサー率12% (748/6126)
回答No.6

人間には承認欲求、つまり人から認められたいという欲求がありますので。 従って周りの人に認められてチヤホヤされるのは快感なのです。 関係が偏ってて一方的だから疲れるんじゃないでしょうか。 プラスのいい物を与え合える循環が成り立っていればいい気分を与え合って 心のエネルギーがプラスの循環になる。 お互いよい物を持ち寄って分け合えるのが相性のよい相手でしょう。 依存するだけの人とかもらうだけの相手とか、自分が余裕がある時だけ 相手してやればよいんだと思います。 別に人のために生きてるわけじゃないので。 自分が美しいと思うもののために生きてるのです。

_aquablue
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そんな人に巡り合えたらいいんですけどねーw よく人のために尽くせ、人のために生きろ、と言われるのでなんだかなーと思ってました。

回答No.5

自分で尽くしてると思うなら、止めた方がいいです。 すでに自己犠牲だという思いがあるからです。 これで、相手に裏切られたら怒るでしょ? だから止めときましょう。 家族になってしまえば、尽くしてるなんて思わないです。 そういう奥さんもいるかもしれませんが、家の中が暗くならないようにとか 子どもが辛い思いをしないようにとか、旦那さんが外で恥かかないように と思って差し出す手は尽くすと言う感情からは離れています。 家族が辛い思いをすることは、自分が辛いことでもありますからね。 尽くすのではなく、人助けだと思って手を差し伸べてください。

_aquablue
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ええ、自分削ってるなーという感じはしますね。結構くたびれてますし。 人助け程度に接するようにさせていただきます。

  • mink6137
  • ベストアンサー率23% (595/2500)
回答No.4

「情けは人のためならず」という言い伝えがあります。 情けは人のためではなく、いずれは巡り巡って自分に返ってくるのであるから、 誰にでも親切にしておいた方が良い…が意味です。 すぐに見返りを求めるのではなく、あなたに内在している「優しさ」をそのまま 続けて欲しいと願っています。

_aquablue
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 難しい話ですね…。 別に切り捨てる訳ではないので今後も続けては行きますが、少しだけ入り込み過ぎないようにやるようになると思います。私まで疲れては元も子もないので…。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.3

いや別に無理をする必要はないかもしれないですよ。 私は電車で杖をついた老人が乗ってきたら、席を譲ります。それは別に人の為に尽くしたいとかそんな高尚な気持ちではないです。まあそう教育されたというのはありますけどね。正直面倒くさくて隣に座ってる若者を肘でつついて「おい、お前が席を立て」って思うこともあります。 だけどそれでも席を立つのは、目の前で杖をついたお婆ちゃんが立っているのを見て見ぬふりをするほうが私の精神衛生上によろしくないからです。 だからもし質問者さんが、老人に席を譲りながら「なんでこんなババアに席を譲らなきゃいけねえんだよ、ああ、気分が悪い!」って思うなら、「おいバアさん、席を譲ってほしいなら優先席に行けや」というなり、そんな乱暴な言葉づかいは嫌だわと思うなら、「お婆さま、ここは優先席ではなく、私も席に座る権利があります。この場合の優先権が発動されるのは優先席です。ですので、お座りになりたければどうぞ優先席にお回りください」といってもいいと思います。 あと、その人の為にあえて突き放すってことだってありますよ。例えばやたらと依存して聞いてくる部下に対して「いつまでも俺の指示ばかり待っていないで、どうすれいいか自分の頭でも考えてみろ」と突き放すとかね。 ほら、やたらと子供の世話を焼きすぎて自立できなくさせてしまう母親っているじゃないですか。この母親が「私は子供のために身も心も尽くしているのだ!」といったらそれはそれで間違ってはいないけど、本人のためにはなってないよ、というか、人に尽くす自分に酔ってるだけなんじゃないの?ともいえますよね。 なんだってかんだって人に尽くせばいいとは限らないと思います。「人に尽くすことはいいことだ」というのを逆手にとってブラック企業ってやつは若者を使い潰しているわけでしょう?

_aquablue
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 甘やかすのがいいとは限らない…ですか。 私に依存しちゃってる子なんですが完全に突き放しちゃうと後が怖いんですよね。すぐに自殺する!とか言い出して実際に未遂までしちゃう子なので。 かといって話聞いてあげると朝になっちゃって寝れなかった!なんて事もあるので尽くすって何だろう…と。 自立できるようにしてあげれればいいんですけどね…。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

人間という動物は、単独では非力です。 しかし、集団となり組織化された人間は 神も驚くほどの力を発揮します。 人間の特質は、この集団力にあります。 この集団力を発揮する為には、ある程度、利他的で あることが必要です。 つまり、人間は他人の為に尽くすように 出来ているのです。 アジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞した アマルティア・センは実証研究により このことを明らかにしています。 ”どう人の為に力を尽くそうと、誰の為にもならないんじゃないのかな?と。”    ↑ そんなことは無いでしょう。 微力でも、何かの役に立っているはずです。 それが小さすぎて実感が無いだけです。 例えば、仕事をしていれば、それは必要とする 人が必ず存在するはずですから、それだけで 役に立っています。 税金を納めますから、二重に役に立っています。 そんな感じがしないのは、直接的ではないので 手応えが無く、実感が湧かないだけです。 ”少し馬鹿馬鹿しく感じてしまいます。 人の為って…何なんでしょう?”    ↑ ワタシも経験がありますが、人を助ける、というのは ホント、大変なことです。 人生を賭ける覚悟がなければ、人一人助けること なんか出来ません。 だから、自分の能力に応じたことをやれば良いのだ と思います。 一人一人は非力でも、それが沢山集まれば山に なります。 ワタシのように、能力の無い人間はそれで満足する しかないのではないでしょうか。 それ以上に人間を助ける、尽くすなんてのは 傲慢であり自惚れなのかもしれません。

_aquablue
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 別に誰から誰まで助けたい!とかそういう感情はないんですよね。そんな人生賭けてまで守りたいだなんて恋人でもない限り思いません…(いませんが)。 何も無理せずに出来ることをやればいいんですよね。

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