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人は信じたくないものは信じない?

人は科学的根拠に基づく事実を知ったところで、信じたくないものは信じない(米研究) http://karapaia.livedoor.biz/archives/52167740.html 皆さんはこれは正しいと思いますか?経験がありますか? 私は経験があります。 相手に対してまともな統計が無いと言っても、「私の周りでは」などといい加減な話で話を反らす(多分話を反らしているという自覚が無い)だけでまともに聴いてくれない。統計や議論の仕方やサンプリングについてまで説明してあげたのに全然聞いてくれないと言うことがありました。

みんなの回答

noname#197435
noname#197435
回答No.9

いま知り得る科学で証明されれば、普通の教育を受けているなら信じてますよ。あとで結果がひっくり返ったら、それをまた信じるのが普通の人でしょう。しかしながら、常に変化し、よくわからないが、とりあえずの判断をするしかない場合、それが「自分の絶対」になりがちです でも論理的に納得すれば、コロッと変えて、また突っ張るのです。

20140713a
質問者

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ありがとうございます。

  • mota_miho
  • ベストアンサー率16% (396/2453)
回答No.8

福島第一原発の安全性(あるいは危険性)がそうでした。 大津波による電源喪失の可能性が指摘されていたのに、東京電力や政府は耳を傾けようとしませんでした。正に、「信じたくないことは信じない」だったのでしょう。  

20140713a
質問者

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ありがとうございます。

  • LOLIPON35
  • ベストアンサー率30% (861/2838)
回答No.7

もっと端的に、「見たくないものは見えなくなる」、あるいは、 「見たいものだけ見ている」という感じですかね。 信じたいものだけ信じて、それを否定するような 都合の悪いものは、事実を歪曲してでも、 究極のところで決して信じようとはしない。 人の認識って、そういうものだと思います…。 もちろん、これをひっくり返されるような体験をして、 それでまた別の信仰に切り替わってしまう、 極端で厄介な人もいますが…。 ○○元議員の場合も、ある意味でそうだと思います。 宗教や○○商法などの集団的な幻想を信じている人で、 普通の会話をしていたのに、突然まったく話の通じない 壁のようなものを感じたことは、何度かあります…。 もっと日常的な場面で、目の前にあるのに、 「ここにはない」という思い込みによって、 探し物が見つからないということは、ままあります…。

20140713a
質問者

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ありがとうございます。

回答No.6

はい 「信じたくないものは信じたくない」です 例えて言うならキヨの薬物疑惑 KK時代の私は清原さんの大ファンだったので、誤報だったと信じたいです (でも、限りなくグレーですが)

20140713a
質問者

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ありがとうございます。

  • berntakii
  • ベストアンサー率12% (117/957)
回答No.5

記事を見ると、前提としてかたくなに信じ込んでいる宗教的あるいは政治的なことなどがあって、 それのせいで客観的な事実を提示されても素直に受け止めることができないと言うものですね。 そのような前提ありきの話だと思うので、多くの場合は科学的根拠がきちんと提示されれば最終的には皆折れるだろうと思います。 話し手の力量が足らず、わかるように説明できていないから信じてもらえない、ということならありうると思います。

20140713a
質問者

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  • -9L9-
  • ベストアンサー率44% (1088/2422)
回答No.4

日本ではかつて「バカの壁」という本がベストセラーになっていますので、そんなことは当然と思っている人は多いと思います。 私も経験的にそういう憤りを持つことが多かったのですが、この本を読んで、人とは所詮そういうものなんだと悟ることができました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%A3%81

20140713a
質問者

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ありがとうございます。

noname#197347
noname#197347
回答No.3

「進化論」って、具体的にどんなことを言っているのかな? 「キリンは毎日高いところの葉っぱを食べていたから、首が長くなった」なんてのは、否定されているハズだけど。 進化論は「突然変異」と言うのが、定説になっていると思うけど。 みんな、どう思っているのかな? それはさておき、日本人はすぐに「良い人/悪い人」だからな。 一度、悪い人に認定されると、いくら本当のことを言っても「どうせあの人の言う事は信用できないから」と一生信用されない。 それに、自分が信じたくないものだと、それを言った人を悪い人に認定することも良くあるし。

20140713a
質問者

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ありがとうございます。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.2

星空を見て「あれが小熊座」こっちが「蠍座」って、見えないよーとしか言えません。 ただの点々なのにギリシャ神話をどうやったら当てはめられるのか、こじつけも甚だしい。 信じられません、って最初に言い出した人の考えが。

20140713a
質問者

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ありがとうございます。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.1

たしかにその傾向はありますね。 信じたいものを信じて、信じたくないものはなかなか受け入れません。 情報の選り好みをして自分の考えに都合の良い物ばかり取り上げて安心する。 これは自然科学の分野から歴史や経済、教育、果てはギャンブルなどの社会事象まで広きにわたって見られる傾向だと思います。 一般的には物理などを専門的に学んで思考面でよく訓練されたひとは自分の考えが誤りであることを認めるのに吝かではない、という態度ではありますが、ずいぶん頭の良い人でもつまらない迷信や陰謀論に振り回されるのを見たことがあります。 もちろん私自身も含めて、人間は自分で考えているほどは利口ではないようです。

20140713a
質問者

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