• 締切済み

値段により戒名が違うのはなぜ。

戒名に色々なランクみたいに、値段の差がなぜあるのでしょうか。 高い戒名は成仏しやすい?。あの世で良い世界にいける?。 安い戒名しかつけれない我々とは、差があるのでしょうか。 よく僧侶の人は「人は皆平等、地位やお金や目に見えるものよりも、心が大事です。」みたいな事を言いますが。 やってる事と言う事が明らかに矛盾するのでは? もし僧侶、もしくは関係者の方でお答えして頂ける方、よろしくお願いします。。

みんなの回答

回答No.5

ウィキペディアとかで調べればわかることですが、 戒名とはそもそも、仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして、 受戒した者に与えられる名前です。 つまりは、坊さんの弟子になったという名前です。 基本的に、生きてるうちになるもので、戒名自体にお金はかかりません。 そして、受戒したのち、いろいろとお寺の掃除をしたり、お手伝いをしたり 懇志をしたりして、貢献(功徳)を積むことによって位が上がっていくのです。 それを、生前何もしないで、死んだから戒名をつてくれ 戒名つけるなら高い位にしてくれ 今まで出来なかった分は寄付金をはずむから と言うことを、寺院が受け入れてしまったから 戒名料と言う悪い慣習が出来たのです。 高い戒名だから成仏しやすかと言われると、本人(故人)しだいなんじゃないでしょうか。 (ちなみに私も僧侶、もしくは関係者ではないです)

fire_fox
質問者

お礼

元々、戒名はそうゆう意味があったのですか。知りませんでした。 僧侶といえども、生活がありますからね。いつからか 生活費を稼ぐ手段に変わったのですね。 ありがとうございました。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.4

こんにちは。 私は僧侶ではないですが、先祖代々の戒名に院号と居士または大居士が付いてることで、父親が亡くなった際の戒名も院号と居士の付いた戒名を授けて頂きました。 まず、院号の付いた戒名は「お寺(○○院という寺もある)を建てるほど寄進や社会的功績があった人」に授けるものとされてますから、現代の貨幣価値なら数億円の寄進が必要とされるはずですが、実際には100万円程度から数100万円の御布施で授けてもらえます。 (※院殿号の御布施額は数千万円以上必要とされる) また、戒名のランクでお経の内容(お経の長さ)も違います。 ですから、お経からしても平等でないことは明らかですが、御布施の額が平等でないのですから当然とも思います。 僧侶は、事実上「檀家からの御布施で生活してる」ので、御布施額の多い檀家と御布施額の少ない檀家を平等に扱うことは心情的にも出来ないと思います。

fire_fox
質問者

お礼

”多額の寺への寄進”した方ならば逆に安い料金にするのが、普通の考えだと思うのですが。 戒名の事、色々と教えて頂き、ありがとうございました。

  • organic33
  • ベストアンサー率36% (615/1664)
回答No.3

ランクなんて有りませんよ。 有るとすれば、喪主、親族の方々の見栄の値段。 我が家の宗派は曹洞宗で、受戒という行事が住職の一代のうちに一回、金が許せば催します。 その時だと、5万円くらいで戒名の元となる4文字がもらえます。 亡くなると、その書き付けを持って行って、下に信士を付けてもらえば、金をかけずに戒名になります。 これで十分かと思いますが、居るんですよね、もっと良いカイミョウを、等と言い出す親族が。 そう言うのが居ると、金を取られ放題です。 信士を居士にすると、戒名代5万円プラス胴佛料10万円上乗せとか。 戒名4文字を一文字増やすと2万円とか。 戒名の上に付けるのを院号だと30万とか、軒号、齋号だと10~20万とか。 そして、住職の気持ちですからとか、寺からの気持ちとか言われると、タダだと思っちゃうところ有りますが、納骨までに気持ちを収めないと、 後々、衣一枚寄付させられたとか、本堂の賽銭箱を寄進させられたとかなります。 寺の檀家になっていれば、それなりの最低経費はかかりますが、それ以上にかかってしまうのが、見栄から来る気持ちの問題です。

fire_fox
質問者

お礼

うちも曹洞宗です。後から聞いたのは、他よりこの宗派はお金、自分達が上だと言う感じが強いのだそうです。呆れた話です。 父の葬儀は葬儀社でしましたが、 担当者から30万と言われ、しょうがなく渡しました。 やり切れない話です。 ありがとうございました。

noname#210533
noname#210533
回答No.2

笑っちゃう噺を一つ。 私の田舎の檀家寺の先代の住職は、隻眼。 いつも論破理だから目の病気かと思ってたら、 片目が義眼でした。 村の古老たちが言うことには、かなりの生臭坊主で 酒に汚く金に汚く女にも見境なく手を出すような ハレンチ学園の先生みたいな奴だったとのこと。 他所のご内儀のすそ野に手を分け入れて、出てきた 棒にたまげた所をポコン、ポコンと二三発どやされて 目ン玉が一つ転げ出てしまったそう。 その住職がうちのご先祖の何十回忌かの法事で 生臭いお経をあげて、さあ、酒手、いやいやお布施を 頂いて街に繰り出そうか、という所で、今は無き私の 父が、菓子折りを風呂敷に包んで恭しく捧げ奉り、 深々とお辞儀をして送り出したそうです。 坊さん寺に帰っていそいそと風呂敷を解き、菓子箱の 蓋を開けてみたが、お布施が入ってない。 確か饅頭だったと思うのですが、一つ破いてほおばって、 二つほっぺに押し込んで、妻も一緒にほおばって、とうとう 空箱になってもお布施が出て来ない。 二重底じゃないか、もしかしたら蓋に仕込んであるのではと 菓子箱をバラバラにしても何も出て来ない。 で、住職わざわざ夕暮れの路を我が家まで逆戻り、父に ねめつける事には、 「もしもし、ご主人。 先程頂いた菓子折り。」 「はあ、お口に合いましたでしょうか?」 ニヤニヤすればまだアレなのですが、至って真面目な顔で 「お口汚しでしたか、お気に召したらもう一箱、いかがです?」 「いや、美味でしたがもう結構。先ほどたらふく頂きましたから。 それより、あの、菓子折りに、あの、菓子しか入っていませんが。」 はっきり三万よこせと言えば良いものを、金をくれとは建前上言えない タコ坊主。 ゴニョゴニョと口ごもりながらもなんとかお布施をもらおうと足掻きます。 私の父も悪戯好きな処があったようで、その後もう一箱菓子折りを 押し付けたとかいないとか。 坊さん、今度こそは、いやいやまたもやか、と不安そうな面持ちで 首を傾げながら帰る姿を見送ったことを、楽しそうに話してくれた ことがありました。 普段、ブスッとして無口だった父の、僅かな笑顔の記憶の一つ。 無邪気にクスクス笑った父の悪戯に、小悪党でさえも優しいまなざしで 見ていた、父の秘めた暖かさを思い出します。 坊主の癖に、嫌らしいね、父さん。 そう言って腹を立てた当時の私に、父はまたクスッと笑って いいんだよ、あれはあれで。 そういったのです。 今なら私にも判る。 あれはあれで、いいのだと。 ま、度が過ぎた連中には天誅よいざ落ちん、と願ったりも するのですが、ね。 ~()^^) えへへ。 そうそう、二箱目の菓子折りにはちゃんとお布施は 入れといたそうです。 全く、いたずらっ子なんだから。 父がガンで死んでもう30年近くなります。 今は、その割と真面目な息子のご住職が、父の法事に お経を上げます。 私はちゃんと払いますけどね。(笑)

fire_fox
質問者

お礼

とても微笑ましいお話ですね。 お父様の方が、生臭坊主より1枚上手でしたね。 ありがとうございました。

noname#196575
noname#196575
回答No.1

戒名はビジネスですからw 飛行機だって払う金によってエコノミー・ファースト・ビジネスと分かれるでしょ? これと一緒です。 戒名がなきゃ成仏出来ないなら、それは坊主失格。 何の為に葬式して、焼香して、念仏唱えてるんだって話。 あの世の事を語れる人間なんていないんだから、誰も真偽のほどはわからない。

fire_fox
質問者

お礼

あくまでも「僧侶」とゆう仕事の1種なのですね。 ありがとうございました。

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