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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自己成長を目指すのって駄目なこと?)

自己成長を目指すのって駄目なこと?

このQ&Aのポイント
  • 自己成長を目指すことは駄目なことではありません。努力し、挑戦し、自分の成長を試みることは素晴らしい行動です。
  • 過去の経験があなたの思考や行動に影響を与えているかもしれませんが、そのような過去のトラウマに縛られる必要はありません。
  • 自己成長を目指すことは自分自身を肯定する行為であり、やりたいことをやり、考えたいことを考える自由を持つことは大切です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • twin_user
  • ベストアンサー率29% (17/58)
回答No.4

私も「自己成長を目指す」ための思考や行動をしてよい、と思います。 が、それを「やってほしくない」と感じる環境があるみたいなんですよね… どうして「やってほしくない」と考えるのか、考えるばかりか言動に表すのかは 私もその気持ちがイマイチわからないですが、 そういう環境があることはたぶん事実なので、 そういう環境でないところに行くのが良いんだろうなきっと、と思います。 「自己成長を目指す」のが歓迎される場所に行くことを目的に動いてみてはどうでしょうか… そういう環境の例として、スラムダンクの、赤木と同級生のシーンが思い浮かびました。 (ご存知でしょうかスラムダンク) (赤木は「自己成長を目指す」環境になるまで、動かず自分を貫き通していましたが、 安西先生やメガネ君など、理解者がいたからできたのかもしれませんね。フィクションですが。)

その他の回答 (3)

noname#246720
noname#246720
回答No.3

勿論、全く構いません。 その前提で書かせて頂きます。 いじめが原因でマイナス思考になってしまったのですね。 でしたら、少し違った視点で考えることをお勧めします。 まず日本人というのは伝統的に、大多数より少し違う人を嫌う傾向にあります。 年齢を重ねるにつれて緩和されますが、中学生くらいだと一番顕著のような気がします。 恐らく質問者さんには、他の人と少し違うところがあったのだと思います。 それも、才能と呼べるようなプラスの面であったと思われます。 どうしてこう言い切れるかと言うと、手前味噌ながら…私自身がそうだったからです。 私は幼少期から周りに比べて突出した部分があり、中学くらいの時にはかなり目立っていたように思います。 勿論、自覚はありませんでした。 しかし今思うと、いじめていた人たちは明らかに私のその「突出した部分」を潰しにかかっていました。 (それに必要な道具を盗んだり、成果物を破損させてみたり…といった、本当に解りやすい行動でした) それ以外にも、明らかに私の意欲を削ぐようなことをして、私の無気力化を狙っていたように思います。 こうやって当時を俯瞰で見られるようになるまでの経緯は省きますが、質問者さんも24歳ということですから、そろそろ過去を昇華させても良いのではないかと思います。 質問者さんにどんな「突出した部分」があっていじめにあっていたのかはわかりませんし、もしご自身に思い当たる点がないということであれば、いじめによって自己封印してしまったのかもしれません。 しかし今そのような考えに至っているという事は、これからそれを開花させる時なのではないかと思います。 ぜひ頑張って下さい。 ちなみに、いじめられる原因について反論があるかもしれないので蛇足までに…なのですが 容姿が醜いとか背が小さいからとかいう理由がいじめの原因になる、と考える人がいるのですが 少なくとも近代の日本では、それだけではいじめの対象にはなりません。 必ず「容姿が悪いけど頭がいい」とか、「背が低いけど絵がうまい」とか、誰かが羨む要素がセットにならないといじめは発動しません。 言い方は難しいですが、例えば 「容姿が悪く頭も悪く、そして重病で余命が数ヶ月」というような、誰が見ても可哀想という感想しか出ないような人はいじめの対象にはならないはずです。 なので、変な言い方ではありますが、いじめられたということは何かしら見込みがあります。 自信を持って下さい。

  • hssteadd
  • ベストアンサー率45% (10/22)
回答No.2

自分の行動を自分で決めるには、自立が必要なんだと思います。 誰かに言われたからやるのではない、誰かに許可されたからやっても良いのではない、自分で決めて、自分の責任で行うのだ、という意識。 行動の結果困った事になっても、誰のせいでもなく自分の決断の結果なんだと受止める責任。 親や学校からうるさく指示され、いちいち許可されて育つ日本の子供たちは、自立の機会をずるずると先送りされてしまう傾向があるのかもしれません。 もっと言えば空気を読んで周囲との摩擦を避けるあまり対立意見をぶつけ合う事を避ける文化がある。議論と喧嘩の区別がつかないような人々が蔓延している。 幼い時は親や先生の言う事を素直に訊いていても、いつか疑うときが来る。ましてや同級生だのいじめっ子だのの言う事は真に受ける前に自分の判断で評価しなくてはいけない。 昔から大人に言われ続けてきた事や世間で常識とされている事でも、一度くらいは自分の頭で真偽を確かめて取捨選択をすることも必要。そうしないと、自分の出した結論が、本当に自分の頭を通して出した「自分の判断」として自信と責任を持てない。 自尊心を傷つけられたままでは自分の判断に自信と責任を持つのは難しい。 おかしなことを言う人のことは内心少しバカにしてみるのも、自尊心の回復には必要かもしれない。 「上から目線」なんて言葉が幅を利かせて、人から見下される事を極度に警戒しまくる人々が多いのは、自分の自尊心の根拠が不明確で、些細な見下しにも耐えられないからなのでは? 人はそれぞれ優れた面も劣った面もある。自尊心を保ちながら互いを尊重しあう事は何の矛盾も無い。

回答No.1

成人した人には、納税の義務があり、働いて、お金を稼ぎ、自立していたら、生活が苦しくない限りは、幾らでも好きなことをして、構いません。 しかし、親や税金に食い付く寄生虫であれば、働かないといけません。

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