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学生の頃に思い描いていた自分の将来が実際には

学生の頃に思い描いていた自分の将来が実際にはほとんど違っていなく想像通りだったという人がいましたら回答ください。35才以上の人にうかがいます。

みんなの回答

回答No.5

私は高校で情報処理を学び、SEを目指すはずだったんですが、プログラミングに夢中になりすぎて「こんなに1日中PCの前に居ては、人間とコミュニケーション取れなくなる!」と思って進路を変え、デザイン専門学校に進みました。 印刷会社に7年勤めて独立し、広告代理店のお仕事などもらってもう14年くらい1人でやってます。当初は1日の大半を打ち合わせなどで出掛けていましたが、今はメールと電話、ネット送信などで事足りるようになり、朝から晩まで1日中PCの前に居て、人間とのコミュニケーションが少なすぎるのでここで遊んでます・・・あれれ? 小学生の頃、将来の自分をよく想像しました。ノストラダムスの大予言で1999年に人類滅亡すると騒がれていたので、26才で死ぬ自分です。そのイメージでは結婚して子供が2人いてなぜかヒゲを蓄えていました。実際の26才のときは結婚はしてましたけど、ぜんぜんへなちょこでしたねw 小学生の26才のイメージは、41才の現在の自分に近いです。ヒゲは蓄えてませんけどw

  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5697)
回答No.4

 只今47歳です。学生のころ・・・、あれは小学校の4年生ぐらいの時だったと思います。作文に「大きくなったらスチュワデスになります」と書いています。それからずっと、中学、女子高、女子大、全部客室乗務員になることを頭に置いて頑張りました。  当時の客室乗務員、今日ではキャビンアテンダント(CA)とかフライトアテンダント(FA)などと呼ばれていますが、当時はスチュワーデスと呼ばれていました。スチュワーデスは女性にとって憧れの職業でしたが、まず学校の成績がかなり良くなくては採用されない大変な狭き門でした。ですから、勉強だけは頑張りました。そして女子大を卒業するころ、外国の航空会社に採用が決定しました。  ただ、採用されたからといってすぐ乗務に就けるわけではありません。何ヶ月もの長い研修を経てやっと検定を受けられるのです。検定は実際にお客様を乗せて飛ぶ定期便に見習い乗務をして、その勤務状況を検査官に審査されるのです。そして、検定は合格、それでやっと晴れて正式に乗務につくことまでたどり着くのです。  でも、これでもまだ有限契約採用の立場なのです。有限契約採用とは一種の契約社員のようなもの、こんな中途半端な立場で一定期間勤務してはまた検定を受けるのです。そして採用から3年目に入ったころにやっと本採用、正社員としてのスチュワーデスとなったものでした。  こうして、小学校時代からの希望がそのまま実現したのです。ですが、この先、わたしは身体を壊してしまいました。客室乗務員という仕事はとてもキツい仕事です。しかも時間的にとても不規則な仕事でもあるのです。そのために当時のスチュワーデス、そして今日のCAさんたちも、多くは、慢性の筋肉痛や神経痛、膀胱炎や尿道炎、肌荒れや外反母趾、便秘、生理不順などといったいろいろな身体の不調を悩んでいるはずです。  そんなわけで、わたしはそれからまもなく退職を余儀なくされてしまいました。父の知り合いの方のコネで、その後、ある大手の会社に中途入社させてもらいましたが、不思議なもので、わたしにはむしろこちらの会社の仕事のほうが自分に向いていたようでした。ちなみに、それからまもなくしてスチュワーデスという呼び方も廃止されCAと呼ばれるようになりました。  でも、今でもまだ、髪をきっちり結い、ナチュラルながら普段よりはややくっきりとしたメイクを施し、腕時計の針を気にしながら、ユニフォームに身を整える、そんな昔の自分をよく夢に見ます。

noname#204018
noname#204018
回答No.3

学生の頃、「俺は一流企業に入って給料をたくさんもらう。でもそんなに出世はしないだろう」となんとなく思っていました。二次オイルショックの最中にもかかわらず、その名を知らぬ人はいない大企業に入社。42歳までは極めて順調、以降ある事件をきっかけに人生観がかわり黙々と養育費を払う人生に。 ポストは同期の一番とビリを両方経験している。若い頃ビリで最後がトップならいいけどその逆。 イメージは、うすぼんやりと浮かべるものや、一度実際の何かを鮮烈に視覚的に記憶しその後忘れていたものが「現実化」しやすいようです。 私の場合、ボストンの再開発で見たウォーターフロントの高層住宅。はじめて室内まで入った高層コンドミニアムでしたが角部屋の270度ひらけた視界に感動。 今の住まいはそれに似てます。 なんとなく思っていたというのは嘘で、実は占ったんです。学生時代に あんなに頑張って大学に入ったのにちゃんと一流企業に就職できるんだろうか。気になったんで占うと、大丈夫、就職できる。というお答え。 つい欲が出て「ならば出世できる?」「うんにゃ。まぁまぁのところだ。偉くはならんよ」というお答えで、そのとき「あ、そっか」とうなづいた自分がいます。 なぜ、頷いたかと言うと、教育熱心だった両親は、別に大学にこだわったわけでなく就職が最終目的だったわけで大企業に入ることが親孝行なのだと思っていましたから。ただ入社して35年後なんて親ももういないだろうから、なにやっていても許してくれるだろうって・・・。そこで、気が付きました。 考えたら子供の幸せを願って親が望んだことで自分が満足で幸せなら、最初からなにやっていてもいいんだということに。 ただ、親の期待に沿うことでかなり自分も満足できる人生を歩んでこれたという事実にも。

noname#194275
noname#194275
回答No.2

もうすぐ、55歳です。 想像通りと言っていいのかわかりませんが、高校の頃はマイコン(マイクロコンピュータ)が無いにもかかわらず、マイコン関係の雑誌を読みあさっていました。 今思えば何が楽しいやら、さっぱり見当がつきません。 それから、情報処理の専門学校に入り、そしてコンピュータプログラマーとしてやってきました。 もう、今はやっていませんが、私とすればその流れだったので、当然プログラマーになれて当然だったので、それが当たり前と思っていたのですが、やはりここでもそんな話題が時々出ますが、自分の望んだ職業になれなかった人がたくさんいるんだなぁ、そう考えれば俺の人生は素晴らしいものだったんだと、後から実感しています。 今のブラック企業なんて言われているようなものも、鼻で笑ってしまうぐらいに大変でしたが、でも充実感はたっぷりとありましたから、とてもいい思い出です。 (って、ほぼ同い年で以前一緒に働いていた人は、まだやっていますけどね)

回答No.1

「1回は嫁に行く」 ここだけ正解