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氷菓 「クドリャフカの順番」 について

古い作品の話題で申し訳ありません。 この話の最終話(17話)についてです。 駐輪場の場面での話では、陸山会長はメッセージに気が付かなかったということになっていました。 でも、閉会式の陸山会長の挨拶のときに「何か変な事件が起こっていたようだけど」の後に振り向いて田名部委員長にこっそりと「おつかれ」って言ってましたよね。これって実は十文字事件の真意に気が付いていたとも読み取れます。 実際のところ陸山会長は真意に気が付いていたのでしょうか? ご意見をお聞かせいただければ幸いです。

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  • afv2021
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回答No.2

氷菓はとても面白いと思い、アニメから入って、原作小説も全部読んだ者です。 原作には、閉会式のシーンはありません。 アニメでは、〆として開会式がある以上、閉会式のシーンも盛り込む必要があったのでしょう。 とはいえ、アニメを視聴しての印象としては、陸山会長は別に事件の真相を知っているようには思えませんでした。 ただ単に、総務委員長の田名辺さんに“ゴタゴタがあったみたいだけれどうまく処理してくれたようで”「おつかれ」という、軽い感謝の意味合いで、親友でもある田名辺さんに挨拶しただけという感じであり、裏に深い意味合いがあるようには見えませんでした。 また、田名辺さんの言によれば、陸山会長はまったくクドリャフカの順番の原稿を読んでいないので、十文字事件については学園祭にありそうな愉快犯の犯行としか思っていないということになっています。 仮に、クドリャフカの順番の原稿も読んでいて、事件の真相もわかっているとしたら、あんな閉会式の最中で公衆の面前では、親友でもあり、総務委員長でもある田名辺さんに「知っているぞ」というニュアンスの合図を送るとはとても思えません。 もしそうなのだとしたら、田名辺さんの反応は驚愕でなければならないのに、俯いた彼の反応はむしろガッカリしたという反応のように思えましたしね。 少なくとも生徒会長としての立場からは、総務委員長という立場の人物が、文化祭を台無しにするかもしれないテロ行為(ややオーバーですが)を容認する事はできないでしょう。 しかしながら、親友でもある人物なので、もし真相を知っているなら、二人っきりで会って、直接問いただすような行動を行なうであろうと思います。その上で、犯行について罪に問うのか、黙認するのか判断するというのが生徒会長であり、親友でもある立ち位置の人の行動だと思われます。 自分は、「クドリャフカの順番」事件でのキーポイントは、あくまで“期待”であり、絶望的な才能の格差がある人とそうでない人との葛藤、それでも友達や親友という関係、部活の先輩と後輩という関係、生徒会長と総務委員長という立場などが、才能のある人に要求できないもどかしさ、それが“期待”しかできないという事につながるのではないかと感じました。

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 最近氷菓のアニメを見直しておりまして閉会式の場面が気にかかり質問させていただいた次第です。 > もしそうなのだとしたら、田名辺さんの反応は驚愕でなければならないのに、俯いた彼の反応はむしろガッカリしたという反応のように思えましたしね。 ご回答をいただいてから再度見直しました。 たしかにガッカリした反応をしていますね。陸山会長の「おつかれ」の意図はともかくとして、田名辺委員長は会長がメッセージを理解してもらえなかったと受け止めたということですね。質問した際には読み違えておりました。仰ることに納得です。 > 自分は、「クドリャフカの順番」事件でのキーポイントは、あくまで“期待”であり、 温泉旅館の回のお話で、アニメではラストに原作に無い場面をいれて後味をよくしたという趣旨の文をどこかで読んだ気がします。 「期待というのは諦めから出る言葉なんだよ」という里志の台詞とおりでは、個人的に話としてやるせないので、この話でも陸山会長が実はメッセージに気が付いていたという救いの存在の可能性を探してみたかったのかもしれません。

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その他の回答 (1)

  • 4017B
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回答No.1

あれは自分も同じ感想を抱きました。 田名部氏は「ヤツは読みもしなかった…!」と嘆いていましたが。自分は、陸山会長はシナリオを読んだ上で、これは自分の力量では手に余ると感じ、それで田名部氏に「読んでいない」と嘘を吐いたのでは無いかと、自分は解釈しました。なので当然、陸山会長は田名部氏の「真意」には気付いていたと思います。 恐らく陸山会長は飄々とした性格であり、何かを一心不乱に熱中する、いわゆる「青春」を由としない性格なのでは(奉太郎の様に)?また前述の様に、自分の力量を超えたシナリオに内心、会長自身も気付かぬうちに嫉妬の様な感情を抱いていたのかもしれません(ナコルル先輩の様に)。 恐らく、その様な複数の感情が入り混じった結果。照れ隠しの様な「シナリオは読んでいない」と言う答えを、相棒の田名部氏に返したのだと思います。彼がポスターを描いたのは、せめてもの罪滅ぼしの意識があったのでないでしょうか? P.S. 何故、自分がその様に考えるのかと言うと。他のキャラクターの様々な心理描写が描かれますが。それらは往々にしてすれ違い、互いに誤解を産む要因ともなっています。例えば里志と摩耶花、奉太郎と女帝、えると奉太郎~それぞれはそれぞれの心の中を正しく読み取れず、互いにすれ違って事件が大きく展開していってます。これはアニメ版の最終回のえると奉太郎の最後のやり取り等に顕著に描かれてますよね。 また『クドリャフカの順番』では、田名部氏と陸山会長の関係は敢えて深く描かず。周囲の類似した人間関係を描くことで、擬似的に解釈を試みさせる手法では無いかと思います。つまり漫研内での摩耶花とナコルル先輩、摩耶花とコスプレ組、部長とナコルル先輩~等々の関係や内面を描く事で、視聴者側に「陸山会長は何を思っていたのだろうか?」と解釈の幅を残しているのだと思います。 後、これは実際に創作というか漫画を描いた事が無いと分かり辛いと思いますが。陸山会長はやはり、田名部氏などの周囲の人間が「お前、上手いよ!」と褒め立てるほどに、当人は逆に「こんな画力ではダメだ…」と自己嫌悪に陥っていたのでは無いかと推測します。芸事、特に漫画やイラストみたいに、当人の技量がハッキリと目に見える形で現れるジャンルの場合。好意で言ってくれてる事は分かるのですが、当の言われてる本人は内心、心をえぐられる様に傷付いいている事も多いのです。 つまり素人目には区別が付かない技量の差でも、ある程度、いやむしろ陸山会長並にプロレベルの領域に達しているからこそ。自分程度の力量ではとても頂点は取れないと、既に最初の時点で描き続ける事を諦めてしまったのだと思います。

siffon9
質問者

お礼

陸山会長の飄々とした性格というのは何かわかるような気がします。 ただ一点、陸山会長は田名辺委員長に「読んでいない」と嘘をついたと仰られておりますが、アニメの駐輪場での会話では折木の「なぜこんなことを?」という問いに一番の理由は「口で言えなかったから」と答えています。つまり田名辺委員長が陸山会長に直接問うとことは無かったのではないでしょうか。 田名辺委員長の、原作を開いてもなかったというのは、十文字事件に対する陸山会長の反応から判断したのではないかと思います。 陸山会長に対する深い考察、興味深く読ませていただきました。 ご回答ありがとうございました。

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