氷菓はとても面白いと思い、アニメから入って、原作小説も全部読んだ者です。
原作には、閉会式のシーンはありません。
アニメでは、〆として開会式がある以上、閉会式のシーンも盛り込む必要があったのでしょう。
とはいえ、アニメを視聴しての印象としては、陸山会長は別に事件の真相を知っているようには思えませんでした。
ただ単に、総務委員長の田名辺さんに“ゴタゴタがあったみたいだけれどうまく処理してくれたようで”「おつかれ」という、軽い感謝の意味合いで、親友でもある田名辺さんに挨拶しただけという感じであり、裏に深い意味合いがあるようには見えませんでした。
また、田名辺さんの言によれば、陸山会長はまったくクドリャフカの順番の原稿を読んでいないので、十文字事件については学園祭にありそうな愉快犯の犯行としか思っていないということになっています。
仮に、クドリャフカの順番の原稿も読んでいて、事件の真相もわかっているとしたら、あんな閉会式の最中で公衆の面前では、親友でもあり、総務委員長でもある田名辺さんに「知っているぞ」というニュアンスの合図を送るとはとても思えません。
もしそうなのだとしたら、田名辺さんの反応は驚愕でなければならないのに、俯いた彼の反応はむしろガッカリしたという反応のように思えましたしね。
少なくとも生徒会長としての立場からは、総務委員長という立場の人物が、文化祭を台無しにするかもしれないテロ行為(ややオーバーですが)を容認する事はできないでしょう。
しかしながら、親友でもある人物なので、もし真相を知っているなら、二人っきりで会って、直接問いただすような行動を行なうであろうと思います。その上で、犯行について罪に問うのか、黙認するのか判断するというのが生徒会長であり、親友でもある立ち位置の人の行動だと思われます。
自分は、「クドリャフカの順番」事件でのキーポイントは、あくまで“期待”であり、絶望的な才能の格差がある人とそうでない人との葛藤、それでも友達や親友という関係、部活の先輩と後輩という関係、生徒会長と総務委員長という立場などが、才能のある人に要求できないもどかしさ、それが“期待”しかできないという事につながるのではないかと感じました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 最近氷菓のアニメを見直しておりまして閉会式の場面が気にかかり質問させていただいた次第です。 > もしそうなのだとしたら、田名辺さんの反応は驚愕でなければならないのに、俯いた彼の反応はむしろガッカリしたという反応のように思えましたしね。 ご回答をいただいてから再度見直しました。 たしかにガッカリした反応をしていますね。陸山会長の「おつかれ」の意図はともかくとして、田名辺委員長は会長がメッセージを理解してもらえなかったと受け止めたということですね。質問した際には読み違えておりました。仰ることに納得です。 > 自分は、「クドリャフカの順番」事件でのキーポイントは、あくまで“期待”であり、 温泉旅館の回のお話で、アニメではラストに原作に無い場面をいれて後味をよくしたという趣旨の文をどこかで読んだ気がします。 「期待というのは諦めから出る言葉なんだよ」という里志の台詞とおりでは、個人的に話としてやるせないので、この話でも陸山会長が実はメッセージに気が付いていたという救いの存在の可能性を探してみたかったのかもしれません。