こんにちは、少しばかりお話ししまょうか。
質問者様の前提とご子息では、比較する範疇が異なりもする。このことを先ずは理解しておかねばならないでしょう。
世間での入試偏差値によるランキング付けとやらのつまらない指標すらも、法学系と経済学系そして文学系でそれぞれ別の比較を行ってもいます。
法学部と文学部でもそこに在籍する教員スタッフと講座も異なります。先日他界された渥美東洋先生はこの中央の法学部で刑事訴訟法を専門とし、その厳しさでも知られていた方です。
一方、現在の同大学の文学部歴史学専攻課程には僕の同僚もいますが、実績として日本史学界では相当に高い評価もなされ、東洋史学には川越先生をはじめとするスタッフもおります。
過去に同大学の日本史学専攻で教員として在籍していた(非常勤も含む)名前を挙げてみますと、佐藤進一・佐々木銀弥・百瀬今朝雄・永原慶二・網野善彦・峰岸純夫・黒田弘子といった中世史学の歴々をはじめ現在では坂田聡・白根靖大といった中堅からベテラン、そして古代史学の飯田瑞穂・太田晶二郎・皆川寛一・石井正敏、明治維新史の松尾正人といった研究者の名前をみることもできますので、歴史学を専攻するには適正な環境下にあるといえます。
実際に就職等といった問題ですが、専門を生かすなどの些末な問題と仕事は仕事として本人が割り切った理解をするか如何にも関わりますので、当時者以外のものとしては何も申し上げることはできない、との答が正解でしょう。
30年前ならば大して難しくはなかったとはいっても、それも根拠は曖昧です。実際に70年代から80年代後半にかけても中央の入試ランクがそれほど低いともいえない。
ただ一つ気になるのはご子息が「史学でMARCHだったらどこでもいい」との部分で、MARCHそれぞれの大学による研究志向の違いや教員に違いがあるとの部分をどれほど理解しているのかによっても、実際に違いが生じるとの現実的な問題を忘れることはできません。
その上で比較的バランスのとれている大学をあげれば、中央と明治が挙がります。むろん青山にもかつて吉田孝や立教にも野村忠夫、法政にも石母田正といった碩学はおりましたが、現在では小粒です。
なぜ中央がそれほどまでに教員スタッフの充実を図れたかといえば、そこに在籍していた教員が学界で評価される実績を積み上げ、それによって他大学とのチャンネルを切り拓いてきたとの背景があることも忘れることはできません。
佐藤進一も永原慶二も佐々木銀弥氏の存在によるものであり、太田晶二郎や皆川寛一も飯田瑞穂氏による功績といえ、何れも史料編纂所の系列下の先学達です。
殆ど聞いたことのない、といってもそれは専門外の分野だから仕方ありません。何もかも全て知っているとお考えになることの方がよほど世間知らずともいえます。試しに中央大学の公式サイトをご覧になれば、人文社会学科との専攻は学部・院のどこにもありません。