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誕生日プレゼントをめぐって友人にいらついてます
20歳の男です 昨年10月に成人を迎えた友人に先に成人していた友人に協力してもらい日本酒をプレゼントしました しかし友人は苦い表情をして「飲めないけどこんなの でもありがとう」と言っていました ここは友人の好みを考慮できない私が悪かったと 思います そして12月に私は成人を迎え別の友人から酒をいただきました その友人の隣にいたわたしが日本酒をプレゼントした友人は「俺は本当に感謝してる人にはものではなくて気持ちで伝える じゃあ来年の俺の誕生日にはチューハイ六缶パックでくれ」と言われました 正直ムカつきました そもそも気持ちで伝えるとかいいながらその友人はその一言しか言ってないです とても気持ちで伝えると思っているとは思えません 単に金がないだけの言い訳じゃないのかと思いました おまけに自分はあげてないのに来年のプレゼントまで指定してきて図々しくはないでしょうか こんな事でムカつく私は変ですか?もうプレゼントはあげたくないです
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- rukking15k
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損得勘定で考えればムカつく話。 20歳の大人としては、 常識のない相手に対してグッと呑み込む懐を持たないといけない年齢になったのも事実。 確かに理不尽だが、客観的に見れば、 相手は「本当に感謝している人には気持ちで~」、といっている、 この時点であなたはそういう人と、友人に認識されていて これにたいして喜びを感じるべきなんだよね、20歳の大人として。 これを喜びではなく、面と向かっての相手の丁寧な「お礼の言葉」をもらうべき!、 物でプレゼントしたんだから当然物で返すのが筋!と思っていませんか? 来年のプレゼントを要求する行為は一見、図々しいですが、 今年にのめない酒を渡されてしまった困った事実に遭遇した友人さんが 来年はのめる酒をくれ、と意思表示するのも大人としてしなくてはいけないことです。 あげたほうからすれば、図々しく感じるでしょう。 ですが友人関係であれば、必要な図々しさもあるし、 それが受け止められないのであれば、イラついているだけではなく 相手に大人としてはっきり言い切る強さも必要なのです。 相手はそれが難なくできる、あなたはできない、それだけなのです。 仕事なんかしてて、有難迷惑なものをもらったとき、そのままにしておくと 大惨事が起こるケースもあります。 理不尽にこちら側が金銭に損したりもします。 これはいい勉強代ではないかと。来年はあげない教訓を得たのです。 常識のないヤツから社会の厳しさをどの同年代よりも先にプレゼントされたのです。 大体プレゼントなんてのは誕生月早い奴が貰い得なのです。 私も誕生日が同級生の中で遅いので、少ない小遣いでプレゼントを何度か したんですが、その間に一時的な喧嘩や、決別やっちゃうともらえないこと 多々ありました。かなり悔しいし、理不尽を感じました。 仲直りしてもこっちの誕生月から、大分過ぎちゃってるよ、 相手もわざとなのか完全に忘れてるのか、話題にも触れないし、こっちから いいにくいし、みたいな葛藤があります。(笑) 日本は19歳まではなんとかしてくれます。 20歳になったら理不尽なことがあっても自分の責任として考えなさいという国です。 その責任を20歳になった今、冷静に考える機会を国からもらったのです。
どっちもどっちですね。 あなた方の関係はビジネス上の契約関係ですか? ギブアンドテイクってか。 そんなのほんとうの友情ではありませんね。 たしかに要求されれば、ムカつきますね。 でも、ムカつくより先に「あーあ、友情なんてなかったんだ」って、 冷めた気分になるでしょう。
- ROKABAURA
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どうだろう。 人って人で磨かれるものじゃないか。 もし質問者が笑って「そうか」と言いながら 誕生日に「おめでとう」と笑顔で酎ハイをあげ続けていたら・・・ そいつはいつか感謝する時が来ると思うな。 恥ずかしそうな迷惑そうな顔をしながら それしか出来ないちっぽけなプライドを恥じながら 「もういいよ」とか「なんでいつもくれるんだ」とか言う。 であなたはこう言う 「おまえのお祝いだからおまえが欲しそうな物をあげるは当たり前じゃ無いか」 で彼は考える。 そこで彼が磨かれるかそうでないか分岐する。 友人なら互いに良い機会を与え合った方が良くないか? 愛情とは互いに存在を認め 良く与え合うものだよ。
その人の好みってどんどん移り変わるものですから、 好みを考慮できないのはある意味自然な事と思えます。 また。 人が使う言葉はある意味身近な人の受け売りが多いものです。 自分がよく言われたり、言われて深く印象に残った言葉を 口ずさむものです。 言葉をただ言葉どおりにのみ受け取って生きるか? 言葉の裏にある気持ちや経験まで見て相手と接するか? それによって人物の見え方は大きく異なります。 恋愛や結婚などではそれが致命傷になる事も珍しくなく。 それと。 もしあなたが人生の節目になる記念日に、 あなたの友人達が祝いの品を持って来てくれて、 それがお世辞にも好きと言えない物だったらどう感じるでしょう? 友人達を傷付けまいと正直苦手だったり嫌いなものを 別に苦手や嫌いではないと空気を読んでいた事が仇となって、 友人達があなたは平気もしくは好きかもしれないと勘違いし、 よかれと思ってあなたに贈った品が苦手な品だったら。 自分の事を思いやってくれた気持ちには ありがとう。 でも苦手な品を贈られた事に心の片隅には、 むしろこれは嫌味なのでは? と不安や疑心暗鬼な気持ちも湧く。 しかし友人を疑う気持ちを抱いた自分に自己嫌悪もする。 そうした葛藤からの、 >じゃあ来年の俺の誕生日にはチューハイ六缶パックでくれ という発言だったのであれば、 これは彼なりの優しさ、強がりとも受け取れないでしょうか? 善意はしばしば思わぬ形で相手を「苦しめる」ものです。 例えば、自分と同じ失敗をさせまいと世話をし過ぎ、 相手の経験を削ぎ、失敗を恐れ萎縮し自発性を欠かせる等が、 親子、教育、会社などあらゆる場で負の循環を生んでいます。 何の悪気もない善意ですら時に相手の人生を狂わせるものです。 相手に抱きたくもない自己嫌悪を伴う気持ちを抱かせる事も。 人と人との関係はすれ違い傷付く事は避けられぬものです。 心に傷を溜め込むと皮肉ばかりが口に出る様になります。 今あなたが傷付いている循環の様に。 心の傷を溜め込まず、時に笑い話などに変えて吐き出し、 それを受け入れあえる者同士の関係が途絶えず残るでしょう。 好みも興味も移り変わり、時間の使い方もどんどん変わる。 学校、仕事、恋愛、結婚と生きる形もどんどん変わる。 人と人との関係は永続するものではなく形は変わるもの。 合わないと思ったら適度に距離を取るのも1つの手でしょう。 もし自分には無い考え方や視野があると思えるなら、 今までと違う価値観と姿勢で相手と向き合うのも1つの手。 嫌な思い出からも何かを得て学び痛みも越えて前に進むか、 嫌な思い出に縛られ囚われ立ち止まり抱え続けるか。 誰の視点、立場、気持ちでその思い出を見直し見返すか? 恋愛、結婚、育児で衝突を増やすか理解しあえる事を増やせるか? 今件は自分の未来の幸不幸も変えうる経験とも言えるでしょう。 自分の感情に抗えず、ただ踊らされ続け 同じ失敗を繰り返す人も多く居ます。 深呼吸し違う視点で見つめ直すと、今件を人生の糧にする事もできるでしょう。
- milkcocoa24
- ベストアンサー率36% (51/140)
『ものではなく気持ちで伝える』とか明らかに冗談でしょう。受け狙いで言ったつもりが本気に受け止められたって感じなのでは? そのお友達、気の効かないタイプなだけですよ。プレゼント貰ったらお返しするという感覚のない人って、大人になっても時々います。会社でも、出張行ったらみんなお土産買ってくるのに、絶対に買ってこない人とかいますよ~。 あまり、気にしない事です。 来年のプレゼントはおめでとうという言葉だけで良いでしょう。それで、もしプレゼントは?とか言われたら『俺もお前を見習って気持ちで伝える事にしたよ』と言いましょう。
- SEI-R
- ベストアンサー率31% (361/1146)
そしたら「気持ちの方がいいんだろ?だったらメールだけするよ。」と言ってあげればいいです。 「目には目を、歯に歯を」ってね。