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人の為にやっているのは、ただの自己満足ですか?
人の役立つことをすると、周りから「ありがとう」「○○さんは優しいね(気が利くね)」と、言われ、人の役立つ事をした人は、【良い人】と見られます。 逆にしない人は「気が利かない」「優しくない」と、【良い人ではない(意地悪な人)】と、見られます。 しかし、する側は「何故、親切にするのか」と、問われれば、「人の役に立ちたいから」「好きな人だから優しくしたいから」等の理由があると思います。 一見、優しそうな人に見えますが、別の見方をすると、「~したいという気持ちがあるからする」。つまり、「そのしたいという欲望(気持ち)を満たす為にする」になると思います。 他にも「人を傷つけるな。自分がされたら嫌だろ」というのを耳にしますが、このようなことをする人には近づきたくありません。つまり、孤独になりやすいです。 孤独になれば、困ったとき、助けてもらえません。 結果として自分が困る。だから、するな。となると思います。 責任能力がある年齢になると、法で裁かれることがあります。 前科がつくこともあります。 会社等の履歴書には、前科を書かなければなりません。それが理由で断られることもあります。結果として困るのは自分です。 人の為にするのは、自分の為にするのではないだろうか。と思います。 これは、個人的な意見ですが、実際のところはどうなのでしょうか? 「人の為でもあるが、自分の為でもある」ということを言っているのではありません。 親切にするのは、自分の為でしているのか否か。 「嫌なら、親切にしなければいいじゃん。嫌われるけどね」「マナーが~」「しないのは人としておかしい。非常識だ」と言ったこの質問に無関係な回答はご遠慮下さい。 論点がずれたり、トラブルの原因原因にもなります。
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>人の為にするのは、自分の為にするのではないだろうか。と思います。 いや、まさにそのとおりです。 昔から、「情けは人のためならず。」と言いますが、これは、「人に情けをかけるのは、その人のためにすることではなく、自分のためにすることである。(だから情けをかけると言う行為は自分に利益をもたらすためにやる行為なのだ。)」と言う意味ですので、そっくりそのままです。 では「人に情けをかけるのは結局利己主義か?」と言うと、そう言う訳ではありません。 利己主義と言うのは、「他人に損をさせて自分がその分得をする行為」のこと。 人に情けをかける行為は、自分が得をするけれども、かけられた他人も得をするので、いわゆるWin-Winの関係です。 利己主義でも自己犠牲でもない、もっとも理想的な関係であると言えます。
- SPROCKETER
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母親が病気にかかって死に掛けている子供を必死に看病している姿を見て同情しない人でも、母親の努力も空しく、子供が死んだ話を聞いて同情しない人は少ないでしょう。人間は他人の気持ちを共感出来る能力を持つ点で、他の動物と違う生物なのです。 親が子供の為に看病するのは本能です。猿でも同じ本能を持っています。ところが、それが集団の中の他者に対しても向けられる頻度を比べると、人間は他の動物と大きく違います。 貨幣が必要になったのは、集団の中の他者に対して貢献する努力を正当化する為の報酬が必要だからだとも言えます。貨幣は国家という大集団を建設する上で無くてはならないものですが、他者への貢献に対する報酬が与えられなかったら、国家も維持出来ないからでしょう。 国家よりも巨大な貿易圏や文明圏が必要になると、国際貨幣が必要になります。これも他国への貢献が必要となるからでしょう。互いに必要となる集団の規模が大きくなるほど、貨幣価値も国家を超えたものになります。 利益を求めない貢献を美徳だと言うのは政治だと思います。本来は貨幣で繋がった貢献が必要で、それが経済なのです。自分の為におこなっているのだと言っても、他者との相互貢献が無ければ社会は成り立たず、国家も同じです。人間とは相互に貢献する事で社会を形成し、それを維持する為に貨幣を作り出して来たと言って良いでしょう。 利益を求めない貢献は自己満足かもしれませんが、他者との相互貢献で得られるものがあるから、利益を求めない貢献が成り立つ面があるのかもしれません。
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