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空虚感の原因がわかりました。これからどうすれば・・

人に褒められるために頑張っていたこと。認めます。 自分の意見とか、実力とかなにもないこと認めます。 だけど、これからどう生きていけばわからない。 今まで自分がなかった人は、これからどう自分を作り上げればいいのか、わかりません。 そんな経験されたかたアドバイス願います。

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  • Glory_777
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回答No.2

色々不安になるかもしれませんが、自分だけではなく、全ての人が同様ですよ。 その中から、やっと大事なことに気がついていきます。 何が大事であったかを説明します。 心が苦しくなったり、物事が上手く行かなかったり、自分に自信が持てないのは、 何か罪を犯していて、罰を受けているのだと、思いませんか? しかしこの罪が何なのか、どれくらい重いものなのか、誰も教えてくれないのです。 人に自慢すること、人に対して思いやりが無いこと、自分のことばかり考えること。 人に誉められようとすること、実力がないこと、自分がないこと。 罪として、良く語られるのはこんな事ですよね。 ですが、それらは罪ではなく、そこに原因があるわけではありません。 本当に改善し、自分が生まれ変わっていく様な進化を遂げるためには、 次に話す罪に気がついて、思考法を変えることです。 多くの人が気づかずに、何気なく犯す罪と言うのは、 「自分と他人は違う」と考えてしまう傾向にあります。 例えば、自分の体調が悪い時、他の人の体調は悪くないと思うのが普通ですよね。 これで罪を犯してしまうのですよ。 自分と他人が違うと思っている人は、 「きょう体調が悪くて、辛いんです」 と他の人に連絡します。普通にある会話ですし、普通にある話です。 ですが自分と他人が同一であると確信しているならば、 「今日はみんな体調が悪いのでは?」 と考えますよね。こうした体調や心の働きは、何故だか時期も含めて同調しているため、 本当にそうなります。 体調が悪い人が、他の人に「自分だけ体調が悪い」様な発言をされたら、 これは確かに腹が立ち、普段より悪く感じますよね。 不機嫌になり「どのくらい悪いの?」と聞かれるかもしれません。 すると、「体調が本当に悪いのに疑われてしまった。ひどい」となりますね。 こんな、小さな諍いは意外と多いんでは無いでしょうか。 また、自分がピンチなのだから、他の人もピンチだろうし、「あてにしても頼りに ならないのではないか?」と考えられます。 大概において、まさしくそうなります。 こうした、自分と他人のシンクロは、体調だけでなく心も同じであり、 まるで最初から同一のものを、それぞれの器に分けているようです。 これを念頭にいれて行動するか否かで、物事の成り行きが大きく違うのです。 自分対他人と言う発想。これが罪の正体です。 例えば、 自分の心が幼いと感じたら、「他の人も幼いのだろう」と考えるのが正しいのです。 全く同じものならば、そういう答えが出てきますよね。 そう考えて、色々振り返ると符合するものです。もしそこまで気がついて、面白いと 感じたら、「自分は幼くない。だってあいつなんか・・・」と言う苦しい怒りのループ から抜け出せますよね。自分vs他人と言う構図を無くすと、悩むことが難しいとわかります。 故に、悩みを生む最大の罪は、自分と他人を違うものとして捉える発想です。 更に応用するならば、 友人と話していて相手が眩しく見える、または相手がやな奴に見える、ときがあるとします。 こうした時は、友人も「誰かに対して同じ様に思っているのではないか?」 と考えるのが正しいのです。 別の誰かに対して嫉妬し、自分を守るために自己肯定しているのでしょうね。 自分からは、自慢する嫌な友人に見えますが、その友人は自分の知らない誰かに傷つけられ、 自分に助けを求めているだけなんですよね。 ですが、自分と他人は違うと思い込んでいると、これに気がつかず、 「友人の嫌な発言にきずつきました」となります。 友を救える人になれるのか、友人に傷つけられたと苦情を言う人になるのか。 ここが分かれ道になってしまいます。 こうして考えると、「自分だけが傷つきやすい」としてしまう罪から生まれる罰ですね。 つまり自分が感じている心は、実は相手の心が そのまま飛び込んできているだけなのです。 このとき、自分と他人が同じであると確信している人は、 「いったい誰に対して不満を持っているのか?」 と考える事が出来ます。 しかし、自分と他人は違うと思っていると、「嫌な人」思い込んでしまい、 余計な反応をしてしまいます。これで、上手く行かないんですよ。 こうして考えていくと、 自分の感覚と言うのは、かなり精度で他人の感覚を言い当てることができる、 強力なセンサーなんです。 自分の窮状と勘違いし、自分に何かが起きているとパニックを起すこともあるでしょう。 こうしたときは、「他人の感覚が飛び込んできているだけかもしれない?」 と落ち着いて考え直してみると、周りの人の誰かが発信していることが良くあります。 私たちの生物としての構造なのでしょう。 それぞれの良く似た器が、ほぼ大筋で同じ様に動くため、直接的な通信をしなくとも、 他の状況が、自分の無い感覚で知れるように、最初から作られているんです。 子供から大人になるときの難しさは、 自分の悩みや苦痛の感覚があると、自分の体の中や自分の状況の中から探ろうとします。 しかし、ある程度成熟すると、他の人の感覚も飛び込んでくるため、これらを識別して、 「これは自分のもの」「これは不明、きっと周りの誰かのもの」 と、感覚自体を吟味し、 「状況は大して悪くないのに、これほど腹が立つのは、おかしい。この怒りは別の人のだろう」 と気がつかないといけないんです。 普通の人は腹が立てば、無理に原因を考えます。こうして、誰かに罪を着せてしまう。 そうではなく、感覚自体が他から飛び込んでくるんですよ。 こうした素晴らしい人間のセンサーと一体感は、積極的に活用すると、日常から仕事まで成り行き が好転します。 無理に良い行動を取ろうとしても、それは根底にある部分が偽物なので、成長しません。 根底は、 「人の作りは同じなので、自分の感じている感覚は、多分他人も同じ」 でなければ成らず、これを応用しての考え方であれば、全て好転します。 ある人は、自分の悩みが他の人から伝染していると考え、冷静に職場等を見渡し、 ストレス原となっている本当に困っている人を見つけ、 この人の窮状を「自分が楽になるために」救うことに決めるかもしれません。 当然ながら、職場全体が明るくなります。 リーダー行動の本質は、 これまで話してきた「自分と他人のシンクロ」 を意識し、「自分の窮状が実はもっとひどい他人の窮状である」と知って、 より利己的な目的で「自分も煩わしいので、自分ために、解決する」 のが本来正しいのです。 親切、優しい、頼りがいがある、大人っぽい、実力がある、謙虚である、思いやりがある。 これらは、 「人は他人の感覚まで共有しちゃう面倒な生物なんだな」 と言う簡単なことに気がついた人が、「自分のために仕方なく、原因を探って取り去る」 行為をしているだであり、 「自分と他人は違うものである」としている人が、そうした人の行動を見たとき、 優しいとか、立派とか、いい人とか言うんですね。 さて、まとめますと、 質問者さんだけではなく、別の悩みも含めて、コミュニケーションや、 メンタルや恋愛や仕事、頭の回転、知識の活用等で、悩む人が多いです。 これらは罪を犯している人が受ける罰のせいです。 他人も自分も全く同じ器であり、しかも同期が取れており、心すら下手をすると共有している 可能性があると考えて、「頭が回転しないのは、自分の頭が悪いのではなく、そばにいる人が 何か悩みを抱えていて、それが飛び込んでくるせいでは?」と気がつくことが大事なんです。 これは、自分と他人が違うと信じていると、 絶対気がつかないですし、原因について対処できませんよね。 少なくとも、こうした気遣いをすると、意外とあたるので、これまで損をしてきたとわかります。 それでも、人は、意地でも自分を他と違うものとして確立したいと願います。 「人に誉められたい」とか、「実力を認めてもらいたい」とか、 更に言うならば、「自分を作り上げていく」とか。 これは、自分と他人が違うものである時に成立する話ですから、 罪の発想です。きっと苦しい運命になります。 他人が努力し、立派に成ると、実はそのそばにいる人も立派に成ります。 繋がっているからですね。 とした場合、成りたい自分に近い人が沢山いる場所に移動し、一緒に働くことです。 しかし、そこから離れれば元に戻ることは当たり前であり、 けっして自分を作ることが出来ないと、知らないと、苦しみますよ。 個人には思い出だけが蓄積するのです。能力や感覚は複数の人で共有されるものであり、 これを自分だけで独占したいと言う野心があると、これが罪として罰につながるんですよ。 以上、ご参考になれば。

noname#192544
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • gouzig
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回答No.3

日本は明治以来、富国強兵や経済至上主義が中心になり耐えて頑張ることを国民に強いてきました。 ですから、皆がより上の目標に向かって生きるような風潮がありますね。 でも、人生はそんなに頑張っても大差はないのですね。 身の丈という言葉がありますが、自分の身の丈にあった生き方でいいと思います。 それで人生十分だという考えで過ごしましょうよ。

noname#192544
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#244462
noname#244462
回答No.1

プロ野球の元監督、野村克也さんの言葉です。 『心が変われば態度が変わる。 態度が変われば行動が変わる。 行動が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。 人格が変われば運命が変わる。 運命が変われば人生が変わるる。』 どう解釈するかは人それぞれでしょう。私は「態度」「行動」「習慣」はその気になればいつでも変えられると思います。 でも明日変えようと思ってる人は変えられません。「いつやるの?今でしょ!」いい言葉ですね。 他人の請け売りばかりですが参考になれば・・・

noname#192544
質問者

お礼

ありがとうございます。