自分は、このような質問に回答する時、質問者が何を一番訴えたいのか?
本当に伝えたい事は何なのか?を考えるようにしている。
だから、自分の回答は、決して同情ではない。
君の、この質問ではない質問には、「一番」訴えたい事、「本当」に伝えたい事など、無いように思う。
ただ漠然とした苦しみと、ただ平坦な辛さが、ただただ君の前に広がっているだけ。
だからずっと解決出来ない、だからずっと正解が出ない。
一体いつから、解決する事を諦めたのか?
一体いつから、正解を探そうとしなくなったのか?
人が苦しみを味わう時なんて、いつも「自分を捨て切れない」時なんだよ。
君はどんなに自分自身を卑下してたって、まだ自分自身を捨て切れてなんかいないんだ。
>誰に何を相談しても助けてくれない。
>一生懸命自分を努力したつもりでも、苦しみだけ。
努力とは、いつも自分の為にするものだ。
苦しみしか残らない君の努力とは、一体誰の為のものだった?
誰も助けてくれなくても、友達がいなくても、大事な人が離れて行っても、家族が君の話を聞いてくれなくても、死にたいのに死ねなくても、どこまで行っても君が君である事には変わりない。
今の自分の現状を、人のせいにするなよ。
誰かが助けてくれたら、友達がいてくれたら、大事な人が離れて行かなかったら、家族が君の話を聞いてくれたら、それで「君が変わる事が出来た」事だったなら、それは「最初からその程度の悩みでしかなかった」と言う事だ。
いいかい?
自分自身に取って、この世の全ての事象、出来事は、全部「きっかけ」でしかないんだよ。
それをどう受け止め、どう判断し、どう行動するかは、全て君自身にかかっている。
それが、いかに責任が重く、何と可能性のある事なのか、君には分かるか?
病気なら病気で、仕方のない事だったんだろうとも思う。
それが、どう君の人生に作用し、どう君の道を狭めて来たのか、自分には知る由もない。
でも、君自身の中でも、それだけではどうしても割り切れない部分も、確実にあったのではないだろうか?
「病気に対する理解の無さ」だけが、今の君を作ったのか?
違うだろう?
目の前に広がる道は、無限にあるように見えて、実際に通る道は一本しかないものだ。
自分の通っている道が、自らの理想とするものでは無かった場合、また、自分が想像していた通り、悪い方へと向かうものだった場合、人は今ある現実から目を背けようとする。
しかし、未来は、常に今ある現実の延長線上にあるものだ。
道を違えてしまった事が悪いんじゃない。
今の自分が生きている道を、正解へ近づけようと努力を続けていけない限り、到底、自分の理想とする場所へ辿り着ける訳がないんだよ。
誰かに助けて欲しかったら、自分自身を助けようと必死になる事だ。
自ら助かる気の無い者を、他人が救えるはずが無いんだよ。
これから先、君が心から「生きていて良かった」と思う時があるとしたら、「君がいてくれて良かった」と言う周りの気持ちに、「君自身が気付けた時」だろうな。
たかが二十数年そこらしか生きていないのに、「そんな奴はいない」などと、簡単に答えを出そうとするなよ?
生きるとは、本当に責任が重く、苦しい事この上ない事だからこそ、価値がある事でもあるのだよ。
頑張りなさい。
お礼
真摯に回答くださってありがとうございます。 自分を苦しめたのは自分自身かもしれません。 そうとわかっていても受け入れられない自分がいます。 すこし前を向けそうな気がします。 ありがとうございました。