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「とっつきにくい人」という、真っ赤なウソ!
恋愛において「とっつきにくい人」とは、(社会のなかで生活をしている大多数の人々と比較して)<共通点>の少ない人々であるとされます。お互いに分かちあえるものがないので、パートナーとしえ受けいれにくい、ということになると思います。 しかしながら、ここでいう<共通点>とは、「完全に一致するようなもの」として認識されることが多いのではないでしょうか? ひとりひとりが、ひとつひとつの個性の持ち主であることは、否定できません。そして、「完全に一致するようなもの」を他者に要求することによって、恋愛において、「不都合な経験」をする人々、あるいは、「みじめな経験」をする人々がでてくるのではないでしょうか? たとえば、わたしが好むものを、いくつか挙げてみたいと思います。 愛読書の(一部): ・http://www.amazon.com/American-Slavery-Freedom-Edmund-Morgan/dp/039332494X ・http://www.amazon.com/Different-Mirror-History-Multicultural-America/dp/0316022365 ・http://www.amazon.com/Modern-History-Japan-Tokugawa-Present/dp/0199930155/ よく聴いているもの(一部): ・http://www.youtube.com/watch?v=85KJkpbh_us ・http://www.youtube.com/watch?v=sIExQ1Rsoy4 ・http://www.youtube.com/watch?v=E7kbJzThbP0 ・http://www.youtube.com/watch?v=74hgehfzJz0 ・http://www.youtube.com/watch?v=9Qov_qrY7RI ・http://www.youtube.com/watch?v=FTV9SYMGOXU 客観的なまなざしにおいては、わたし自身は外国のものを読んだり、聴いたりするので、そういった点においては、わたしは少々「特殊」なのかもしれません。 しかしながら、「歴史が好きであること」や、「音楽が好きなこと」とった点については、「共通点」、あるいは、「共通項」であると思います。さらには、その方向性においては、いくつかの「差異」があるものの、それらは他者の理解を容易に得られるものではないかと、思います。 「とっつきにくい人」という言説、イメージからうかがえることは、恋愛において、パートナーにたいして、「完全に一致するアイデンティティ」を求めることから発生する「弊害」ではないでしょうか? そして、これは「他者の理解」にも関連しますが、ささいなものであれ、「共通点」を見出すことで、恋愛関係は発展するものではないでしょうか?
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- ok-nayam1-muy0
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理屈っぽさって(笑)閲覧者にわかりやすく書いたらそうなっただけやろぼヶ あんたが読んでる本、全く 興味がない。というのはウソ。 だって一緒にアメリカン行こ? なんて誘われたら喜んで行くし、 現地の暮らしや価値観も知りたいな!そうは思うけど。。 めんどくさいんよね。あんた読んでる本、英語で書いてあるからわかんないもん。 音楽はまぁメロディーがよければって思っても邦楽のが好き。エグザイルとか。 ってのがあるから、とっつきにくい人→めんどくさい じゃあないかなって思う。 友人が、恋人が!自分の読まなさそうな本 を愛読してるなら!是非読みたくなるよう、興味出てくるようプレゼンしてほしいな!
- drum_KT
- ベストアンサー率43% (1108/2554)
私がこの質問だけから判断するに、あなたの「とっつきにくさ」の正体は趣味趣向がどうとか共通点がどうとかではなく、この質問の文章に見られる「理屈っぽさ」です。 恋愛関係は、理屈で相手を説得するものじゃないので。実際、全く趣味趣向が異なる同士で恋愛関係に発展することなんてザラにあります。
お礼
コメントありがとうございます。 あなたは「理論」というものに、嫌悪感を感じているのかもしれません。 まず、わたしは「理屈っぽい」印象を相手にいだかせるために、文章を書いているわけではありません。そのような文章は、わたしだって、読みたくないものです。自分自身が読みたくないと感じるものを、わざわざ、書くことは、基本的には、ありえないことです。 さらには、人間である以上、「理論」は重要ですし、「理性」も尊重しなければなりません。あなたの考えですと、恋愛においては、その相手が女性であることを前提とするため、情緒的であるべき、ということになると思います。そういったことも、大切かもしれませんが、対人コミュニケーションについても考えなければなりませんので、やはり、「理性」を優先すべきだと、思うことがあります。