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「殺意」について
「殺意」とは、いとも簡単に感じるものなのでしょうか? こういうことを書くと、衝撃的であると思われますが、いわゆる「暴力的とされる場面」を観るたびに、わたしは「殺意」を感じます。 たとえば、大晦日の某バラエティ番組。ある落語家が「ビンタ」されてしまう場面ですが、ああいった場面を観るたびに、じわじわと、「殺意」がわいてくるのが、自分自身でわかるくらい、感じます。 そして、その「殺意」の矛先は、たとえば、自分の父親だったり、心無い日本教育時代の教師だったり、いろいろな人々がその対象となります。 そういった、「ちょっとした事情」がありますので、できるだけ、「暴力的とされる場面」は観ないようにしています。
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- suito0333
- ベストアンサー率6% (7/113)
ないともいいきれませんが、今の社会、簡単に殺意を感じる人は大勢いると思います まあ実行する人はほとんどいないでしょうが いらぬ怨みだけは買わないようにしましょう
- kousakasan
- ベストアンサー率13% (7/52)
ある種の恐怖症である可能性があります。 もしも日常生活に支障をきたすようなら、カウンセリングを受けることも視野にいれてはどうでしょうか。 私自身「殺意」とは感じるものではなく、抱くものだと思っています。 好意にしても悪意にしても、感じる分には誤解であることが多いですから。
お礼
コメントありがとうございます。 カウンセリングについては、それがしっかりとできる人々は、日本にいますか?
- poko365
- ベストアンサー率16% (15/90)
そのビンタシーンを見て笑っているだけの「大物芸人(笑)」に 殺意は湧きました。 ただ、それを実際に実行しようだとか、ましてや他の身近な 誰かに向けようだなんて、微塵も思いません。 理性がありますから。 「ちょっとした事情」をちゃんと自身で理解し、 「暴力的とされる場面」を観ないようにしている あなたにも理性はあると思います。 前後しますが、「殺意」とは、いとも簡単に生まれて くるもだと思います。 そして、「理性」もまた然りです。 それが「人間」なのではないでしょうか。
お礼
コメントありがとうございます。 「綱渡り」の状態ではありますが、いちおうは、「コントロール」しています。
- meti009
- ベストアンサー率4% (7/167)
普通は簡単には殺意は湧きません。 頻繁に湧いてたら抑えるのに疲れますよ。
お礼
コメントありがとうございます。 わたしは、もしかしたら、「すごいセンサー」の持ち主なのかもしれません。
- bananagan
- ベストアンサー率3% (6/164)
世界で起こった殺人件数をみればおのずとわかると思います。
お礼
コメントありがとうございます。
- dari1234
- ベストアンサー率3% (1/26)
私の場合はTVを見ていて、他人に殺意が沸くことはありません。暴力的な場面を避けるのは続けたほうが良いかもしれませんね。
お礼
コメントありがとうございます。 そうしたほうが、いいかもしれません。
- marukoqp
- ベストアンサー率3% (1/30)
いとも簡単に感じますよ ですが誰もそれを実行に移したりはしません そこには理性が働くからです 単純に罰せられるからとかではなく人を殺してはならないと いつのまにか刷り込まれているのです
お礼
コメントありがとうございます。 わたしなりの「解釈」ではありますが、罰されるからダメだとか、というわけではないと思うときがあります。
- demik
- ベストアンサー率6% (28/451)
私にはそのような感情は生まれませんが、何か過去のトラウマが元でそのような心理状態になるかもしれませんね。 機会があればカウンセラーに相談してみるのもいいかもしれません。
お礼
コメントありがとうございます。 カウンセリングについては、日本ではそういったものがきちんと実践されていませんので、「自助努力」に頼っています。アメリカであれば、事情は、少々異なりますが。
- 343r110
- ベストアンサー率0% (1/151)
映像でそのような場面を見ても それを実行に移したいという感情はわかないですね
お礼
コメントありがとうございます。
- zacoin
- ベストアンサー率11% (23/196)
感受性が強いお方なのかもしれませんね。 暴力的な場面を見て不快な気分になることはあれど、 殺意を抱くというレベルにまで感情が高ぶるということはありません。
お礼
コメントありがとうございます。 そういったシーンを観るたびに、「あいつを殺したい」と思う、というわけです。
お礼
コメントありがとうございます。