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大阪の

大阪の某高校の教師による暴力事件はニュースを見る度に腹立たしくなります。 傷害罪で訴えることは出来ないのでしょうか? 私たち民間の社員や公務員でさえ厳しい競争の中にいるのに 何故か教員だけが競争社会から孤立してやりたい放題のような気がします。 教師はある意味でサービス業と考えます。 教師は良質な教育をこども達に提供すべきです 教師だけが厚く雇用を保証されてるからこのような事になるのでは? 皆様いかがでしょうか? 返答は皆様に出来ないかもしれない ですがご意見をお聞かせください。

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回答No.1

暴行・傷害罪等での立件・告訴は不可能ではないと思います。 但し,自殺に関しては,自殺生徒の保護者からの告訴(損害賠償・慰謝料請求)が必要なこと,具体的な暴行の事実と自殺との因果関係の立証が容易でないこと,自殺生徒以外の生徒からの傷害の事実を証明する医師の診断書の収集,等々,法的手続き要件が簡単ではありません。 公立校教師は地方公務員であり,地域住民の公僕でもありますから,サービス業では?というあなたの考えはある意味当然ですが,国の未来を担うべき聖職者としての一面も否定出来ません。つまり教師は,常に教育者としての人格と識見の向上に努め,生徒の心身の発達に寄与すべきことを自覚し,自らの生活を正すことも忘れてはならないでしょう。それでこそ教師として生徒からも父兄からも,一般社会からも尊敬され,尊重されることになると思います。 報道されているような体罰の範囲を逸脱した暴力行為が,正しい指導であったとはとても信じられません。当該教師は,自身が聖職の地位にあることを完全に忘却しており,校長や他の教師・教委も,半ば共犯者ではと疑います。 教育の混乱や質の低下は,以前から指摘されていました。指摘される都度,勤務評定や日教組攻撃を強めることでその場を凌ぎ,根本原因である教育内容や教職員数の適正化などの改善は行われていません。何か問題が起きる都度,学校や教員の対応の仕方が悪かったとの論調ばかりが目立ちました。教職員の負担は増える一方です。病気求職中の教職員の2~3割の人達が,鬱病に罹っているとも報道されています。 こんな状態では,やる気が失せて行くのも無理でない一面があります。 公務員は国民の公僕という基本理念が薄れつつあるのは,公務員は上司の指示に忠実に従えという行政のあり方とも深く関連しています。個人の自立心や良心に基づくサービス精神が失われつつあるのは,教職員に限らす,広く蔓延しているように思います。それは,個人の良心的判断を抹殺してきた強権的行政の責任ではないでしょうか。 校長・教頭の組合加入権を奪い,勤務評定で教員の自主性を奪ってきた自民党政権の永年の産物です。少なくとも,誰かを罰すれば事件が起きなくなる,などとはとても思えない,根深い社会的病根に目を向けなければなりません。