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目標の設定と努力の継続の仕方について質問です

現在、受験浪人(一浪)をしている者です 元々、自分は面倒くさい事が嫌いで勉強も大嫌いだったのですが、浪人を決めた時は高い志を持って一年間勉強しようと思っていました。しかし秋になっても成績が伸び悩み、自分の実力が志望校に遠く及ばない事に気づきました。 自分の一年間やってきたことを振り返ってみると、毎日予備校の自習室が閉まるまでは勉強していたもののそれ以外の時間全て勉強していた訳でもなかったので努力も足りなかったし、勉強法の本や講師の方に聞いた話なども参考にして自分なりの勉強法を考えてみてもあまり効果がありませんでした。 やっぱり結果を出せない努力っていうのは結局のところ努力が足りないっていう事だし、間違った努力をしても結果は出ないな、とその時に思いました。 そう思ったにも関わらずそれ以上頑張れる気はしないし、勉強の質を改善する方法も思い浮かばず、その事以外にも今までしてきたこと(勉強面以外の事も含め)を思い出してみてもほとんど失敗していて、頭が悪くて努力も出来なくて人間的に魅力がある訳でもない人間が出来る事なんてないだろうし、そんな人間にこれから先居場所なんかないだろうなと思ってしまい、色んなことに対しての興味や気力といったものが無くなってしまいました。 それから朝起きても何か憂鬱で食欲も無く、誰とも話したくなくなり、これから先も生きていかなきゃいけないのかと思って憂鬱になったり、勉強を無理矢理始めても前みたいに集中力が続かなかったりして、ここ三ヶ月ぐらい無気力にゲームとかネットに逃避してる引きこもりみたいな生活が続いてます。 自分でも子供っぽい考えをしていると思うし、甘えているだけだとも思うんですが今のままの自分だと、恐らく本当に自分の考えている通り(もちろん悪い方)の人生になってしまうと思います。 (ちなみに受験の方は現状の実力で入れそうな所を受験しようと考えています。) 色々考えてみて、自分は本当にやりたい事というものを持った事がなく、何かに打ち込んだ事がないということに気がつきました。 志望校を選んだのも、ただ単に有名大学で就職もいいし、受かれば自信にも繋がるだろうという打算的な考えで設定した目標でした。 そうではなくて、他人がやりたい事ではなく自分のやりたい事を見つけ、成功させる喜びを実感できればこういった考えはしなくなるだろうし、努力の価値も分かるようになるんじゃないか。こういったマイナスな考えや努力をしない姿勢というのは目標をうまく設定できず、自信がないことも原因の一部にはなっているのではないか。と思いました。 ただ自分のやりたくないことでもしっかりやっている人はたくさんいます。 なので自分のやりたい事ができないからやりたくない事もやらないというのは言い訳にならないと思います。 しかし両者の決定的な違いというものが分からないです。 やりたくない事を継続できる人とそうでない人と他に何が違うのでしょうか? あと、やりたい事を見つけるにはどういった考え・視点でものを見ればいいのでしょうか? 色々なものに目を向けてみる、というのも一策ではあると思うのですが、今まで生きてきて流石にずっと同じものを見てきた訳でもないのに全然見つからず、今と同じ考え・視点で視野を広げても本当に新しく得るものがあるのか。実際に行動した訳ではないのであまり食わず嫌いするのも良くないとは思うのですが、どうなのでしょうか?

みんなの回答

  • cripahoo
  • ベストアンサー率34% (10/29)
回答No.5

わたしは、今年の3月に会社を辞めて、情報発信で生活していこうと 決めた人間です。 しかし、今の今まで少しやっては、違和感を感じてやめて、また違う テーマで探すというようなことをして、この年末になってしまいました。 受験と起業と、目的は違えども、陥っている状況は似ているように 思えましたので、ちょっと今感じていることを書いてみます。 わたしも会社を辞めれば、自由な時間が得られるので好きなことが できるだろう、見つけられるだろう、と思っていましたけど、案外 見つけるのは難しいです。 というか、もしかしたら勘違いしているのかもしれない、と思って います。 というのは、「好きなこと」って、何かそのままそれが、職業に なるものとは限らないのではないか?と思い始めているのです。 どうしても、「好きなこと」、「やりたいこと」って、かっこいい イメージがあるので、何か今の自分と遠いところにあるような錯覚 に陥りがちです。 でも、何かが続くということは、今そのやっていることが楽しい からじゃないですかね? 昔はガマンガマンでなんとかやってこれたかもしれませんけど、 我慢して良いものを得られた経験がない人に、我慢しろと言っても 続きませんよ。 例えばですけど、わたしは、こうやって文章を書いたり投稿する ことが、好きな自分に気づきました。 質問者さんも、この質問を書いている間、自分をさらけ出して書い たと思うんですけど、そうやって、ひねりだした文章を作っている 間って、楽しくありませんでしたか? 文章の内容がネガティブな感じはありますけど、こうやって論理的 にひとつひとつ文章に落としていく過程は、結構冷静になれていた と思うし、充実していたんじゃないですか? そういう小さな自分の中にある感覚を大事にしていきながら、続け ていくものが、「好きなこと」や「やりたいこと」として、自分に 対して誇れるようになるんじゃないですかね。 ちなみにわたしも、ここ2ヶ月ぐらいはパズドラにハマってました(笑)。

回答No.4

tibidebuokです。補足の内容を読みました。 まず学級委員の話ですが、「決められた事を守るのは当たり前」というのもその人の夢と言えるのではないでしょうか。「どうしてもその子が夢や希望を持ってそういう事をしている様には思えない」と書いてますけど。 つまり、「決められた事を守るのは当たり前」というのは言い方を変えると、「クラスの人に決められた事を守らせる」という夢を持っていることに言い換えられるのではないかってことです。 達成できるかどうかは別として、夢を持つことはとても大事だと考えます。夢がないということは目標がないということですから、がんばろうにもがんばれませんよね。 素直にプラス面を受け入れていくには行動あるのみですか? ということですが、行動というより、物事に対する気持ちの持ち方だと思います。

回答No.3

誰だって面倒くさい事は嫌いです。 逆に言えば、誰だって好きなことは面倒くさくないのです。 でも面倒くさいの対象は人それぞれです。 勉強が嫌いな人は勉強が面倒くさいし、勉強が好きな人は決して面倒くさいことではない。 勉強でもスポーツでも音楽鑑賞でも読書でも掃除でも人付き合いでもみんな一緒。 どんなことでもそうですが、物事の習得は成功体験を積み重ねて「好き」という気持ちを育むことが大切です。 そのことを体験的にわかっている人は、やりたくないと思ったことでも、まず簡単なことから始めて成功体験を得るようにします。 そして人から褒められればもっとやってやろうという気持ちになる。 人から褒められなければ自分で自分を褒める。 ですから、「やりたくない事を継続できる人とそうでない人」の違いを簡単に言えば、どんなことでも自己承認できるか自己否定に走るかの違いです。 自己承認できる人にとってはどんなことでもやりたいことです。 自己否定する人にとってはどんなことでも嫌なことです。 あなたは「一年間、毎日予備校の自習室が閉まるまでは勉強していた」のです。 そのことを承認しましょう。 よくやってきた。 ただ、努力は必ず思う結果に結びつくとは限らないということは受け入れなくてはいけません。 思うほどは伸びなかったけれど、でも自分は良くやった。 そう思えれば次に進めると思いますよ。

aderu-2525
質問者

補足

回答ありがとうございます 自分の得意な事ってやはり好きになっていくものなんですね。 確かに自分の好きな事なのに面倒くさいとか聞いた事がありません。 成功体験は本当に少ないです。 そのため自己肯定感がかなり低く、ここで挽回しなくては…!という焦りが常にあったので自然と自分のハードルを上げていたかもしれません。 それで失敗するともうやってらんねーよ。みたいになってしまいます。 やはり回答者さんのおっしゃる通りその時、自己否定に走っていますね。 失敗した→結局、何もしていないのと同じ という考えよりは 失敗した→でもここら辺は割りと上手く出来た と考えた方が気が楽でいいかもしれませんね。 しっかり反省するのであれば必要以上に自分を責め立てる必要もないですよね。 自分の失敗に対して反省し、寛大になれるように心掛けます。

noname#189765
noname#189765
回答No.2

お早うございます。 自分がやりたくないことでもしっかりやっている人 ってスゴイ!と思えないのです。 当面、其れしかやる事が無い?出来ない?ヒトと、 出来る事が有る、質問者さんとは違うのです、 受験ま近くなっての迷いッですね? 結果に囚われて、やりたくない事をやってみて、 想った結果が出ない事は、当然に思えてしまうのは 私の悪い思考ですが、質問者さんも同じ事を思って 居ます。 モノグサで働かなくて、言い訳を考える事は、やがて 質問者さんに代わって働くロボットを開発しそうな 気もします。けど、ロボットに受験をさせて 合格しても、質問者さんが合格をした事にはなりません。 やりたくない事を継続できる人はそれなりの結果が 出ますので、それを受け入れるしか有りません。 そうでない人は、より高めを狙う戦略を駆使しなければ ならないのですが、メンド~ならば諦めましょう。 >ものを見る?考え・視点は? →キョロキョロしない事なのです。

aderu-2525
質問者

補足

こんにちは 回答ありがとうございます 個人的には自分がやりたくないことでもしっかりやっている人というのは凄いと思ってしまいます。 結果的に成功するならロボットみたいな人間でも、やる気が出なくて努力しない人間よりは遥かにいいと思います。 より高めを狙う戦略というのがいまいちピンと来ないのですが、やる気が出ない事も視野に入れた計画を立てるという事でしょうか? 確かにあれこれ考えてばかりで何もしないのは自分の本当に悪い所だな、と思います。 気持ちに左右されないでいきたいですね。

回答No.1

文章が長いので確認ですが、回答は (1)やりたくない事を継続できる人とそうでない人と他に何が違うのでしょうか? (2)あと、やりたい事を見つけるにはどういった考え・視点でものを見ればいいのでしょうか?  という2つについて話していきます。 第一に、やりたいことって何だろう? やりたくないことって何だろう?  第二に、「自分のやりたくないことでもしっかりやっている人はたくさんいます」と質問文に書いているけど、何を根拠にそんなことを言っているのですか。 この2つがあなたの質問に答えるうえでとても重要なんです。 例えば、小学生の時を思い出してください。トイレ掃除ってあったよね。あれは大体の生徒がやりたくないことです。でも、彼らはちゃんとやっている。 これは確かに誰もがやりたくないことではあるが、やって損することじゃないよね。それによって、得られるものは大きいと思う。達成感であったり、将来を生きる術であったり。 ここで言いたいことは一目見てやりたくないと決めつけるくらいなら、一度自分でやってみよ、ってことです。やりたくない=自分のとって損ってわけじゃないんですよ。 だから、「やりたくないことでもしっかりやっている人」ってのは間違い。彼らは夢や希望を持って、たとえそれがやりたくないことであったとしても、やっているわけです。 それが、(1)(2)の答えです。

aderu-2525
質問者

補足

回答ありがとうございます 確かにどんなことに対しても楽しみを見つけられるような生き方というのは、自分にとっては憧れですしそういう考えもとても共感出来ます。 しかし、やりたくないことであったとしてもやっている人が必ずしも夢や希望を持ってやっているようには思えないです。 自分が小学生の時、悪ふざけなどをすると注意してくるような学級委員タイプの子にどうしてそんなに人に対して注意できるのか聞いた事があります。 決められた事を守るのは当たり前の事だ、と答えが返ってきました。 クラスを良くしたいとかなら分かるんですけど、どうしてもその子が夢や希望を持ってそういう事をしている様には思えないです。 自分はそういった義務感から生じるやらなくてはいけない事というものはただの義務としか思えなく、例えば学校行事でも一生懸命やればクラスの団結力が深まるとか、成功させた時の喜びは一入だ、とか色々なプラス面の事があると思うんですが、何故かそういったプラス面の事をプラスと感じる事が出来ず、プラス面としてとらえて取り組んでも自分に無理をしている様な感じがして途中でアホらしくなってきてしまいます。 少し考えれば色々なものにプラス面を見つけ出す事は出来ると思うのですが、自分にとってそれが実感できるものでないとやはりプラス面として認識出来ないです。 一種の固定観念の様なものかもしれません。 悪いものは悪い。良いものは良い。と無条件で決め付けてしまうところが自分にはあるみたいです。 素直にプラス面を受け入れていくには行動あるのみですか?