- 締切済み
なんで神様などに祈るときは手を組むのでしょうか?
何気なく思ったことです。 神様にお参りしているときは手を合わせているだけなのにたいして、アニメやドラマの時(頑張って)や(神様..!!お願いします..!!)と言うときには手を組むのでしょうか? 私は説明が下手なのでわかりずらいと思いますがお願いします ps.腕を組んでる親指が右か左で性格が決まったりするそうです 右、現実的でトラブルがあったときにも冷静に対処できる 左、感受性豊かでアイデアが無いとき独自のアイデアで皆を驚かせる 癖とかでもあるんですかね?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
両手の指を重ねる、手を合わせる、掌を相手に向けるというのは全て、敵意が無い、抵抗しない、策略を持たないという意思の表われなんですよ。 指を絡めているとすぐには武器を取って攻撃できないし殴ることも出来ない。手を合わせるもの同じ。 掌を相手にみせるのは武器等を持っていないという証しです。 要するに「私は抵抗しません、全ておっしゃるがまま受け入れます」という姿勢を表す行動なんです。
面白い記事を見つけました。 http://ios.seesaa.net/article/45994979.html 当初は手を挙げて祈るスタイルが多く、その後、仏教のような合掌スタイルとなり、 指を組むスタイルへと変わってきたようです。 ただし、現在でもカトリックは合掌のようです。
お礼
時代の進歩ってやつですね!! カトリックは合掌ってことはそれ以外の教徒は腕を組む..に変わったんですね! 記事検索、お疲れ様でした!!&ありがとうございました!!
- BuriBuri4
- ベストアンサー率28% (150/525)
>神様にお参りしているときは 日本人の場合、通常は神教の神様 なので手を合わせるのが形式 アニメやドラマで祈る神様はキリスト教系の唯一神 なので手を組むのが形式 なぜ手を組むかは、組まないと格好がつかないから。 写真を撮るときに日本人がVサーインを出してしまうのと同じ(1972年に井上順がコニカのカメラのCMでアドリブでピースサインをしたのを真似たのが定着したとするのが通説)で深い意味は無いと思う。 >腕を組んでる親指が右か左で 全く根拠が無い。 血液型占いや右脳左脳などと同じで誰が言い出したのかは分からないが科学的な根拠も無いし検証もされていない俗説
お礼
ああ!!ピースサイン!!その考え方もありましたかスゴいです!! 真似ると言うことは腕を組むのも真似たってことですね! 結構奥が深い?です... 回答をつけていただきありがとうございました!!m(__)m
- takota414382
- ベストアンサー率0% (0/2)
たぶんですけど、 アニメやドラマでその登場人物がどのような心境をしているかをわかりやすく表す為に手を組んだり指を絡ませたりするんじゃないですかね。 最後の、癖とかでもあるんですかね?に対しては僕自身よくは知らないのですが、その人の内情心理が意図的にではなく、無意識下で表されたものかと思います。
お礼
心境...ですか 確かによくアニメやドラマには祈るとき、腕を組んで額にあて目をつぶっているよいな気がします あるアニメやドラマに影響されて今の状態になったのでしょうか? 私の記事について考えていただいてありがとうございました!!m(__)m
- yuukineko
- ベストアンサー率22% (190/861)
それ説明すると、長くて面倒な手順というか人間と言う種の 肉体の部分と思考とを、ずーっと時代さかのぼって順々に 何処か抜けてる部分を独自に幾つかの仮説で穴埋めして その仮説パターンも複数用意して筋書きが何通りかに分かれて それらがぶつかり合う矛盾と、矛盾を内包する外枠の矛盾をぶつけあって 結局それだけの時間費やしても、これと言ってどうなのかを あんまり理解出来ないなーという結論にたどり着いて保留にしようで帰結する。 この一連の流れまでなら読めますよ? 断片説明すれば、手があって人や生物の進化って言葉使って良いか不明ですが それで理解出来るならそれで、その手がとにかく生物にとって便利だと判断した 種が手・触手触角でもいいか誤変換で職種とか出ましたが類してはいるか。 横道は、こうやってそれるが1は全に繋がってそうな予感を浮かばせる。 推論が沢山増える裏付根拠が垣間見えますね? 神様の概念は、自由で不自由で都合で不都合なのです。 都は幾多もあり村も幾多もある。 色んな都があり、同じ都だろうが運営管理支配する物等とそこで 苦楽するもの等次第で、様変わりするものだし村も同じだ。 地球の環境変化によっても都や村は影響するし他の都や村にも影響する。 人だからね。 何を信じるか。 信じるには疑う。 信じる事を信じる。 疑いに疑いをぶつけて信じない事を信じる。 その所作に含まれる手の動作が自然に辿り着く所に手合わせがある。 何時の時代か、手の細かい動作に様々な情報の扱いを集約させて実践で活用した そんな時代があった手で合図したり暗号を含めたり礼儀作法とした。 手って言うのは飲み食いするのも己や他人を助け害するにも使う万能で不自由な代物。 その積み重ねと組み合わせによって現在のその概念が構築されてる。 右と左にも意味があったし前後もそうだ。 方角や天候も絡むし面倒で難儀な所業だと思うでしょう。 その説明も理解を深めるのに必要だし説明するのに千や万や億の言葉費やしたって この問いの答えを説明するに不十分と言える。 だから、先代先々代の先祖らもこう言う系統の解を保留にするとか好きな風に 通じる輪の中で思想の固定化して取り扱ってきた。 ここまで話して、参考資料断片情報は得られますよね? ですが、決定的な解には今の人類で辿り着ける人なんで居るのかねと思う。 助けとなれば幸いです。
お礼
数百年前、数千年前にいろいろなことがあったんですね! 断片的っていうのはよくわかりませんが、大体納得出来ました! こんな長い記事、お疲れ様でした!m(__)m
お礼
なるほど...確かに武器は持てませんね 腕を組んでてもハンマー投げ的な感じで殴ることもできますが隙も多いです... 回答..ありがとうございましたm(__)m