あはは!
よくあります。
何かを思い出す、やらなくちゃ、取りに行かなくちゃ、あるいは、そこで何かをする・・・でいって、なんだっけ?・・・と。
作業の道中で、’もの’ではなく、’取りに行く’という行動そのものが、目的化されるからです。
面白い話があります。
昔々、敵方の武将につかまって、首をはねられる。
で、’この思い、呪い殺してくれる、末代までたたってやる!’とかなんとか。
敵の一同はそのすさまじさにおびえた。
殿様がいいました。
’ふん、どれほどのことがあるか。 オマエの切られた首が
前の岩にでも飛んでいって、岩に喰いつきでもするなら、
その恨み、すさまじかろうから、信じてもよかろう’と
で、首を切った。
首が飛んで、岩にかじりついたから、もう大変。
・・・・家来一同、殿様に、どうするんだぁ!状態。
殿様、少しもあわてず。
’死者の存念が、おぞましいのは知っている。
だから、あのままなら、たたられるであろう。
が、しかし、首を飛ばして、岩に喰いつくのは並大抵ではない。
ソレを完遂するに、集中するなら、’たたり・怨念’が
出来ない。
死ぬときに、岩に喰いつくという存念だけが残るから、
いかほどの呪いもたたりも残らない’・・・・というわけです。
人生最後の存念でさえ、行動をして・・・だと、元々を忘れる。
人の行動というのは、そういうものらしいですよ。
一生懸命に、何かをしてから・・・だと、
’何かをして’のほうが目的化されて、まぁ、満足しちゃう。
生きているなら、もとに戻って、思い出すことは普通に出来ますからね。
何でもいいから、ともかく逃げろ・・・みたいな、回路として行動が基本設定されいるのでしょう。
だかこそ、'犯人’は現場に戻るとも言われている。
自分のやったことの記憶が欲しいから。
補足
よく解りませんでしたが、ありがとうございます。