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これはいじめで苦しんだおかげではないですよね?

20代の男です。 学生時代にイジメられたことがあり、 数年苦しんで過ごしていた時期があります。 本来ならば、全く感じる必要のなかった苦痛やストレスを、 5年6年7年と延々感じていました。 そのような過去があるため、 長期間に渡って全く無駄に過ごしてしまった時間を教訓として 今は1分1秒を大切に生きています。 なるべく無駄がないように、 「濃い時間を生きる」ことを意識して 日々生活しております。 そんな毎日を過ごしている訳ですが、最近ふと 「こうやって時間を大切にできるのは、いじめられたおかげか?」 という疑問が浮かんでしまったんです。 「いじめられた『から』、今濃く生きようとしているのではないか・・・」 こういう考えが浮かんできたんです。 ですが、これって違いますよね? 決していじめられたおかげで、 つまり精神的な苦しみを与えてきたイジメの加害者がいたから 今時間を有意義に使えている訳ではないですよね? 僕が、僕の意志で大切にしたいと思った「から」、 今現在時間を有意義に使えているんです。 決してその加害者達のおかげではない。 仮にイジメられていなかったとしても、 今時間の使い方を改めて、 一瞬一瞬を大事に生きられている可能性だって十分にある。 いじめられていようが、なかろうが、いずれにせよ今改めているでしょう。 そもそも、イジメられていなかったら、 もっと早い段階で改められたかもしれない。 よって、僕が今時間を有効に使えているのは 「当時の加害者達のおかげ」 なんて考える必要性は、皆無だと考えております。 「おかげ」なんてありえない。 そこで皆さんに質問です。 第三者の立場から客観的に見て、 今僕が1分1秒を大切にできているのは 「精神的苦痛を与えて来た加害者のおかげ」 か、それとも 「僕自身の判断によるもの」 かの、どちらだと思いますか? 仮に皆さんが僕だったとして、どちらの考え方を選びますか? 理由も具体的に添えて教えて頂けたらと思います。 では、回答お待ちしております。

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.5

>仮に皆さんが僕だったとして、どちらの考え方を選びますか? 君は私じゃないからね。 だからその質問には無理があるが…単純に「今の私がどう考えるか?」ということなら答えはあるよ。 それは「考えない、決めない」ってこと。 何のお陰とか考えない。 理由は問わない。 なぜならば「物事の理由は皆、複合的なもの」で成り立っているから。 あれもあれば、これもある、ということ。 自分に課す考え方というのは、浮動的なものでいいんだ。 物事は全て、正解なんて無いのだから。 その時点で、自分が感じていることを正解として、疑問が浮かぶならば変更することもやぶさかではない、とする。 いろいろな経験や、思考があって、その上にまた違う思考が現れる。 考え方が磨かれていくには、その分過ちを繰り返さねばならない。 結局、人生は考え続けることでしか無いし、その最終地点が死ということになる。 最後まで「何が正解か」と言う回答は、出ないんだよ。 自分でその時々信じることが正解なのさ。 間違っていれば変更するだけだよ。

  • chokoita
  • ベストアンサー率19% (55/280)
回答No.4

判断によるもの、でしょう イジメ受けて苦しんだ人間が、皆あなたのように前向きに生きてはいません ずっとイジイジして過去だけ見て立ち止まってる人もここ見たら多いです イジメ受けて無くても、前向きに生きてたかもしれないし もっと良い人生だったかもしれないし 必ずしもイジメ受けたから良かったとは言い切れません

  • poyo3
  • ベストアンサー率30% (260/857)
回答No.3

相手が何かはあまり関係がないと思います。 いじめでなくてもたとえば自然災害でも同じことではないでしょうか? 要は自分に対して苦難や試練の一つであって必ずしも特定の誰かである必要はないと思います。 なので結果的にはそれがきっかけでもそのおかげということはないと思いますよ。 もしかしたらもっと幸せな人生があったかもしれないわけですしね。 艱難辛苦は汝を玉にする。ということで人生における経験の一つということではないでしょうか? また今こうしてその当時のことにこだわっているところからしても、いい影響があったとは思えませんしね。

回答No.2

人間は自分の経験、気づき、他者との関わり、出来事などなど色々な要素で意識や思考が変化する生き物です。 虐められていたから今を大切に思えるというのは結果であって、いじめっ子が居たからとも言えるし貴方自身の判断とも言える。 同じ虐められていた人の中でも、精神的に負けてしまい引きこもってしまう人、いじめる側に回った人、自殺を選はざるを得なかった人も居るはずです。 貴方はその何れでもない現在の結果を手にした。 いじめっ子のお蔭、自信の判断、どちらも正解ですよ。 大病をしたり、雪山で遭難したり、飛行機事故で生き残ったりなど、一度死ぬような経験をした人はその後の人生観が変わると言います。 それは短い人生をどう生きるかというのを深く考えた結果だと思います。 同じく貴方もそういった生きる事を深く考えた時期があったから今を大切に出来るのだと思います。 切欠には結果があり、今の結果が良いものであるならそれで良いと思います。 どちらだと決めつけないと前に進めないなら自分の都合の良い考え方をすれば良いと思います。

  • ange45
  • ベストアンサー率26% (118/443)
回答No.1

既婚者女性です。 いじめられた経験あり、(当時のいじめで修学旅行も行っていません。転校もあり) まずは、その時はとてもつらい経験でしたね。私も遠い昔色々ありましたので、質問者さんも悲しかったり、苦しかったり したのだろうなぁ と想像します さて、今の人生の時間ですが、いじめの加害者のおかげではないと思います 思いますが、そのような経験も質問者さんは良い方向に今もってっているのだ と思います。 もっと早い段階で>それはどうでしょうか おかげではないですが、辛い経験や苦しい事があってこそ、今が尊いと感じられる事もあると思いますよ。 というのは、幸せでいると幸せが気が付かない事も多いのです。健康もそう。あたり前って思う事が出来なくなって 初めてその何気ない事も それで十分だな って感じる事が出来る でも 20代で時間を大事に感じる事ができたのは素晴らしい事ですね。これからも時間を大事にしてください。 アラフォー女性でした。。。