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これはいじめで苦しんだおかげではないですよね?
20代の男です。 学生時代にイジメられたことがあり、 数年苦しんで過ごしていた時期があります。 本来ならば、全く感じる必要のなかった苦痛やストレスを、 5年6年7年と延々感じていました。 そのような過去があるため、 長期間に渡って全く無駄に過ごしてしまった時間を教訓として 今は1分1秒を大切に生きています。 なるべく無駄がないように、 「濃い時間を生きる」ことを意識して 日々生活しております。 そんな毎日を過ごしている訳ですが、最近ふと 「こうやって時間を大切にできるのは、いじめられたおかげか?」 という疑問が浮かんでしまったんです。 「いじめられた『から』、今濃く生きようとしているのではないか・・・」 こういう考えが浮かんできたんです。 ですが、これって違いますよね? 決していじめられたおかげで、 つまり精神的な苦しみを与えてきたイジメの加害者がいたから 今時間を有意義に使えている訳ではないですよね? 僕が、僕の意志で大切にしたいと思った「から」、 今現在時間を有意義に使えているんです。 決してその加害者達のおかげではない。 仮にイジメられていなかったとしても、 今時間の使い方を改めて、 一瞬一瞬を大事に生きられている可能性だって十分にある。 いじめられていようが、なかろうが、いずれにせよ今改めているでしょう。 そもそも、イジメられていなかったら、 もっと早い段階で改められたかもしれない。 よって、僕が今時間を有効に使えているのは 「当時の加害者達のおかげ」 なんて考える必要性は、皆無だと考えております。 「おかげ」なんてありえない。 そこで皆さんに質問です。 第三者の立場から客観的に見て、 今僕が1分1秒を大切にできているのは 「精神的苦痛を与えて来た加害者のおかげ」 か、それとも 「僕自身の判断によるもの」 かの、どちらだと思いますか? 仮に皆さんが僕だったとして、どちらの考え方を選びますか? 理由も具体的に添えて教えて頂けたらと思います。 では、回答お待ちしております。
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