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もう自分は大人なんだ…
もう自分は大人なんだ、子供じゃないんだ。もう子供ではいられないんだ…と思った瞬間ってありましたか。 それは、どんな時のことだったのか、さし支えなければ教えてください。
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バス代が大人料金になった時。 だからといって小遣いが倍になるわけでもないので、結構シビアな経験です。 小遣いは学年で一番少なく、節約の為に台所から食品を持ち出して昼食にあててました。弁当作れれば良かったのですが、台所は使うなと言われていたので、高校時代はほぼスナックやおやつ、食パンを昼に当ててました。朝ご飯はジャガイモ一個でした。 親をあてにしないで自分で生きて行くと、ちょうどその頃から思い始めました。 学校で禁止されていたバイトを冬休みの郵便局なら堅い場所だから大丈夫だろうと見切り発車したら学校に連絡が行ってしまいましたね。
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最近同居を始めたのはご存知かと思いますが、 この家の運営を任されている事を実感した時に、 もう自分は大人なんだ…と思いました。 義父母の病院関係のスケジュール管理、医師へ伝える事、言われた事の解釈、実行、 最近の常識を義父母に理解させ、詐欺などに遭わない様に伝える事、 義父母達の事を、本人達を前に私に大事な事を第3者に言われたり、 などなどなど。 もう第3者から見ても、私が運営主に見えるのだと思った時に、 もう自分が中心に動いている、と感じた時に思いました。
お礼
ご回答有難うございます。 ご高齢で具合もお悪いお舅様とお姑様とか。お二方の面倒を見ながら家庭のなにもかもをすべて取り仕切っていらっしゃるkyoujaku様のご努力、頭が下がります。 これまでは親がいて、そして義父母がそれに加わる。娘であり嫁であれば、彼らは常に頭の上にある存在だった。なのに、ある日気がついてみると、彼らはいつの間にか庇護を求める立場に退いて、自分こそが彼らを見守る立場に立ってしまっている…。 もうはっきりと、なにもかもが自分を中心に動いている…。となれば、今こそひとりの大人としての自覚を持たなくてはならないのだし、それだけの責任も権限もわきまえなくてはならない。おそらく、そうした考えに身もひき締まる思いでいらっしゃることでしょう。ご自身のお身体のこともお大切になさってくださいね。
すみません。まだないです。 今年10月で還暦を迎えます。それでも自分は大きな存在の元では 一人の小さな子供のままなんだと思っています。 部下を育て、子供を四人大学院・大学を卒業させても自分の意識は ヤング アット ハートを失わずジジイになっても少年のままでいたいと 思っています。 http://blogs.yahoo.co.jp/blue_traditional/62887225.html 石津謙介というVANの創設者がいます。彼は大人でありながら いつまでも少年の心を持ち続けて生きた人なのだと思います。 10年近く前に父母が亡くなり私は名実ともに独立した大人になったし 頼る存在は何もなくなった 子供じゃないんだ。もう子供ではいられないんだ…と思った瞬間は まさに海岸の近い斎場で感じた思いであったはずですが 成熟した大人の魅力と子供っぽさは決して共存できないものではない そう考えているのは、尊敬する作家がみなどこか子供っぽさを残していて それが作品の、作家本人の魅力になっているからでしょうか。 私はそういう意味では社会人としては欠格者かもしれません。 無駄な回答を書いてしまいました。お許しください。
お礼
ご回答有難うございます。 今月還暦をお迎えになる…、四人ものお子様を立派に社会に送り出され、多くの部下の方々を育て鍛え上げておいでになったこれまで長い日々、還暦はそうした人生のひとつの節目、大変おめでとうございます。 でも、今の還暦世代はまだまだとてもお若くダンディでいらっしゃるように感じます。これからも、いつまでもいつまでもヤング・アト・ハートでいて頂きたいと思います。 石津謙介さんはいつまでも少年の心を持ち続けて生きた方だった、なるほどそう思います。わたしの知る限りでも、著名な建築家の方、デザイナーさん、料理人の方、ミュージシャンの方、皆さますでに還暦を迎えながらも、等しく、まだまだ遊び心一杯のやんちゃな坊やたち。 彼らはそれぞれとんでもなくファンタスティックな夢を抱いていらっしゃるのです。そうした夢と遊び心、それが彼らを生き生きと若く保たせ、その活力がそれぞれの仕事にも自然に生かされているようにも思えるのです。男の方だからなのでしょうか、健康でいらっしゃるからなのでしょうか。わたしにはそうした大きな坊やたちがとても羨ましく思えます。 ご両親様がともにお亡くなりになり、そしてご自身こそがいまや誰からも慕われる身に…、なにかにつけて感慨も深いものがおありになることでしょう。
こんばんは。。。。 僕の場合、子供じみていたので、、、 カミさんと結婚した時かなと思います。 幸せにします。 実現できてないので、、、頑張らんとアカンと思いますが、、、!! ま、晩婚でしたので、、、仕事でこの前書かせて頂きましたが、時間に、心にゆとりが無かったので、 今は、貧乏でも幸せなのかなと思います。 後は、子供が生まれた時ですかね。正直責任の重さを実感しました。 今と成っては、生意気に口答えしますが、可愛い娘、息子と思うと許してしまいます。 ただ、カミさんと、僕とならいつも、カミさんに子供がなびくので少し寂しい所有りますが、、、 正直、そういった大きな転換期で気付いた気がします。 それまでは、子供のままだった気がします。 Nannette 様はどう行った時に思われましたか?
お礼
こんばんは~、ご回答有難うございます。 愛する妻、そして可愛いお子様たち、お幸せですね。家族ができる、暖かい家庭がある、奥様やお子様たちにとっては、パパは一家の大黒柱、優しくてしっかり頼れる大きなケヤキの木のような存在…。こうした立場はひとりの男性をみごとにひとりの大人にしてくれますよね。 えっ、わたし…ですかぁ。う~ん、困ったな。わたしの場合は…、ある日少女から一応女性へと身体が変わった、その時だって、それはそれ、別にそれで大人になったなぁ…とも思わなかったな。でも、ある日からブラジャーというものを身に着けることになった、そのことで、突然のように異性の目というものを意識するようになった、その感覚は、今思えば、わたしがひとりの女性という大人になったことを表していたのかもしれません。 女子高や女子大に進学した時、それからは今までと違って高額な授業料がかかる、それを負担してくれる両親に感謝し、その恩に報いなくてはと責任を感じたか…というと、そうでもなかったみたいでした。 成人に近くなってさえも、まだ、家のことを手伝うわけでもなければ、自分の洗濯ものも下着までみんなお手伝いさんまかせ、ただ好き勝手なわがまま放題に過ごしていたみたいでした。とんでもなくバカお嬢だったと思います。 こんな調子ですから、ある時、何かのきっかけで突然大人を意識した…という実感がありません。でも、しいて考えてみれば、女子大の頃に、ひとりフランスのパリに短期の留学をしたことがありました。それまでは家族の愛に包まれ、お手伝いさんや父の仕事の関係の看護師さんや医師の方たちにもお世話になりながら過ごしていた毎日。でも、パリでの生活は突然のまったくの一人っきり。なにもかもすべてが自分で切り盛りしなくてはなりませんでした。 ことにパリは自己責任ということにとても厳しい都会です。とても自由に過ごしたパリでの一時期でしたが、その一方で、自分をとても厳しく律することも覚えたようでした。帰国したとき、母は驚いたと言います。見違えるようにしっかりとした自分の娘が目の前に立ったからでした。 就職、転職、結婚、こうした節目もまたわたしを少しずつ大人にしてくれたことでしょう。こうして、今はなんとか大人としての感覚を身に着けていると自分でも信じたいところです。でも、わたしって、ほんと、皆様のような意識の切り替えがなかったことがとても恥ずかしく思えます。
- jun-tsuboi
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こんばんは(⌒∇⌒)ノ" 車の免許を取った時です。 車に乗せた人々の命を預かりますし、 歩行者や自転車に乗っている人に気を配る必要があります。 私の周りを走っている車にも気を配る必要があります。 その時に大人になったと思いました。
お礼
ご回答有難うございます。 車の免許を取った時…、 免許証を受け取ったその時から、権利とともに大変大きな社会的責任を背負うことになります。たしかに、その時点で人は大人になるのだと思います。 大人になれない人が高性能の車を買って、それでなんの罪もない子供たちを死傷させたりする、これぐらい腹が煮えくり返ることもありませんね。
むかついた相手を攻撃するとき曲がりなりにも体裁を整えるとき。
お礼
ご回答有難うございます。 ほう、そういうものなんですか。自分の守りは鉄壁のごとく固いものにし、相手に対しては悠然とした威圧を持って臨むってことなのでしょうか。戦国時代の武将たちもきっとそうだったんでしょうね。
第1回目は、高校生になった時ですね^^ これからは、お金払って勉強するんだ・・・。 今までの心を入れ替えなきゃ、 お金を払う両親に申し訳ないと思いました。 第2回目は、 就職した時ですね^^ 随分大人なつもりで居たんですが、 働き始めてから、自分がいかに子供だったかを痛感しました。 これからは、自分で自分を食べさせていかなきゃ・・・と思いました。
お礼
ご回答有難うございます。 第1回目は、高校生になった時…、 これからは、お金を払って勉強するんだ、だから…と、ご両親への感謝と責任感をお感じになった。素晴らしいご覚悟だったと思います。 第2回目は、就職した時…、 働き始めてから、自分がいかに子供だったかを痛感しました…、いよいよ自分も社会人、なによりも責任とマナーがついて回ります、身が引き締まる思いがしましたよね。
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お礼
ご回答有難うございます。 バス代が大人料金になった時。だからといって小遣いが倍になるわけでもないので、結構シビアな経験だった。お小遣が少ないたために、お台所からなにかしらの食べ物を持ち出してお昼に召しあがっていた、朝ご飯はジャガイモ一個でお昼は食パン…、食べ盛りの高校時代では、さぞお腹も空いていたことだったのでしょう。 ごめんなさい、わたしにはそうした経験がなかったので、ここでなにを書いても実感が伴わなくて、言葉が浮いてしまいそうなことがとても恥ずかしいのですが、でも、自分の手で自分自身を見守り、温め、工夫を凝らして凌ぐ…、それこそが子供には難しく、大人の知恵がなくては成し得ないことだったのではないでしょうか。 親をあてにしないで自分で生きて行くと、ちょうどその頃からお考えになっていた。でも現実は厳しかった。考え、行動に移し、そして壁に突き当った…。言うのは簡単だよと言われてしまうかもしれませんが、そうした経験のひとつひとつが、今の穏やかなKoalaGold様を作り上げていたのではないでしょうか。