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大人になるということ

自分は19の男なのですが最近不安に思う事があります。 自分はもうすぐ誕生日がきてハタチ。大人になります。今まで子供の側から沢山の大人を見ながらついに自分も此処まで来ました。その過程で「絶対にあんな大人にはなりたくない」と思う事が沢山ありました。それらの気持はもやもやとごちゃごちゃになって、自分でさえもなんの具体性をも取り出せないような状態で今自分の中に存在しています。 最近、そんな具体性の取り出せない「もやもや」に照らしてでも、いつの間にか自分も「嫌な大人」の方向にベクトルを向けているんじゃないかと感じる事があります。 例えば、本当に仲が良く、お互いの恥ずかしいこともすべて知っているような親友に対しても何か反射的に見栄を張ってみたり、ただその友達と会うだけなのにファッションに気を使ってみたり… 他にも、高校生時代は先生とかの発言に対して「それは違うな」と思うと間違いなく反論したものですが、いつの間にか似たような状況でもただ黙っていることが多くなった気がします。 「このままじゃ嫌な大人になってしまう」とは漠然と感じているのですが、ただ時が刻々と自分を大人へと押し上げていく日々のなかで、何を考え何をすべきかがわかりません。 既に大人の人、子供でも似たような事考えたことがある人。 なんでもいいので何か意見を下さい。

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noname#8670
noname#8670
回答No.10

わたしは30代で、子供もいます。でも、正直 自分が大人なのか、いい年して、 子どもっぽくて恥ずかしい存在なのか よくわかっていません。 ただ、自分が、苦手とする人や、いやだなあと思う行為をする人を、 眺めて分析して 冷笑してしまうことも 多々、あるんですが、 まあ一応気がすむまで分解したら、 ”それを見習わないで置こう”、という 意志 はもっていたいなと思ってます。 で、有効と思うのは、この人はいいな、と思える人をよく観察することだと思います。 私が、いいな、と思うのは、 心は温かいのに、行動や判断は、冷静 その人がそこにいるだけで、なぜか、ケンカ.がおこらなくなってしまうような人 謝るときに謝れて、人の間違いも 必要以上には、追求しない人 何歳とか立場じゃなくて、名前がある一人のオリジナルな自分として人と接している人 わたしが知る こういうひとは いいまのとこ、 3人います。 一人は80代、一人は90代です。 ひとりは、 著書が世界の色々な国で、出てるほどの人です。 でも、私の顔を見て、もっと近くにおいで、といってくれ、名前をきいてくれた。 (私は彼に何の利益をもたらさない、フツーのおばちゃんです。) こういうひとがほんとうにいて、かかわりを一瞬でももてたことが、 すごく嬉しいです。 90までに 私は 彼には、まず、追いつけない(業績、地位とかのことじゃなく) だろうけど、一日でも長く、彼をみていたい! (あ、用心のため、宗教がらみじゃないです。私は宗教は雑食です。。) こういうひとたちを見ると、(思い出すだけで)ほんと、うっとりします。 これは私の好みであって、ご質問者さんはまた違う好みをもたれてると思います。 ご質問で触れてあるように、嫌悪にベクトルを向けるんじゃなく、 これからの自分が、なにを選んで、どこに力を入れるのか、どこを選択して捨てるのか、 それは自分の責任と好みでいいと、私は思っています。 いい(魅力的な)大人を探してみてください。 嫌な人を探して注目するよりは、楽しいですし。 迎合するでもなく、闇雲に反発でもなく、 相手と、一緒にいいみちを探す方法だって、時にはあるかもしれないです。ほかの方法だって捜せばあるかもしれない。 これまでの自分も大事だけど、これからどうするかを いつも考えていていいと思いますよ!

aaa666
質問者

お礼

これからの自分が、なにを選んで、どこに力を入れるのか、どこを選択して捨てるのか、 それは自分の責任と好みでいいと、私は思っています。 この言葉には大変安心しました。とくに肩肘はらずに、自分なりの理想を追求することで、魅力的な人間にちかずいていけたらいいんですよね。魅力的な大人を探すことを楽しみながら目指していこうと思います。

その他の回答 (9)

  • mas703
  • ベストアンサー率21% (16/74)
回答No.9

49歳 いつごろ大人になったのかわからないまま こんな年齢になてしまったというのが 正直な感想です あなたには そんな風にはなって欲しくないです でも、そんなに気張らなくても 年を取ればなってしまえるもんでもあります 30年前は長髪が全盛期で 僕は髪の毛を切るのが嫌で 就職を拒んだのですが 今は勿論短髪です

aaa666
質問者

お礼

回答ありがとうございます。年を取ればいつのまにか大人になっていくのかもしれませんね。しかし自分の納得いく方向に自分を発展させていくことはなかなかたいへんなようで、これから頑張っていきたいです。

  • NANDEYARO
  • ベストアンサー率29% (43/144)
回答No.8

具体的に取り出せないもやもや・・ということなので、その中で、例に挙げられたことについて。 知りたいことと少しずれているかも知れませんが。 今までは反論していたことが、黙っていることが多くなった・・ということですが、 反論しなくなった=いやな大人になってしまう と、漠然と感じているようですね。 学生時代などに、先生などに異議を唱えたり、反論したり・・というのは、そういう過程を経験する時期、というのでしょうか・・その年代の、特徴的な面だと思います。う~ん、うまく表現しずらいのですが、 例えば、年を重ねても、同じように反論、異議などを言うべき時は言ってかまわないのですが、その場の空気、状況、イロイロあると思うのです。 見境なくやっていると、周囲から顰蹙だったりする場合もあるので、たぶん、ご自分で無意識に、分かっているけど、言わない方がいいだろうという判断が出来るようになっているんではないでしょうか? まだ、19歳ですよね。 これから、イヤでも人のいい面、悪い面が、見えてくると思います。また、そういう中に自分の身をおかなくてはならない状況も沢山あります。 理不尽だと思うことも山ほどあります。 私は、特に大人というのを意識したこともなく、そういう点では、aaa666さんは、その歳でそういうことを疑問に思うのは、感心しました。 私の周りの環境も、ずるい人、要領だけいい人、自分勝手な人、あきれるほどです。 自分に言い聞かせてきたのは、何事も勉強!と、言い聞かせながら、耐えてきました。まだ、若いのだから・・・と。 でも、中堅くらいの年齢になった今でも、まだまだ、不満を言ったらきりないほどです。 そういう中で、異議を唱えることが大人だとは思ってませんが、自分の中でこれだけは言わないと、という線、ここまでは許せると言う線、おぼろげながら自分で、なんとなく分かっている・・という感じです。 なにか、いやなことがあった時や腹の立つ時なんか、 私のお気に入りのフレーズ・・ブルーハーツでしたっけ? ”いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもない” これを思い出して、妙に自分で納得してます。 確かにそうですもんね。 だいぶ横道にそれました。すみません。

aaa666
質問者

お礼

横道だなんて、「なんでもいいので…」といったのは自分の方ですし、むしろ言葉足らずな質問の意図を的確に汲んでいただいたようで、大変参考になりました。 特に、自分の中の一線を持つことで世界と自我との兼ね合いを保ちながらというのは、なかなか実践的ですね。これから使えそうな考え方です。

  • hirakawa
  • ベストアンサー率27% (509/1821)
回答No.7

貴方と似たような年齢のアルバイトを沢山使っています。 貴方と同じような質問も何百回も受けました(なぜか、私にしかそのような相談しないんです) 大人と子供を私なりに定義しました(定義の仕方は複数あります。 1、二十歳の誕生日をもって大人とする(日本の法律では二十歳以上を成人としていますね) 2、自力で生活している人を大人とする。 3、学生は大人ではない(誤解の無いようにお願いします。いわゆる勤労学生や、社会人の学生などの方たちを対象にはしていません。この場合の学生とは、一般的な大学生や専門学校生のことを言います) 貴方のご質問を考えてみました。 嫌な大人…これは否応無しにそうなってしまいます。 ご質問の中で、反論云々の記載がありましたが、一般社会は高校の閉ざされた環境とは違うことはわかりますよね? そうです。今までは、親や学校、社会に、保護されていたのです。 下司な言い方をしますが、自分の尻拭いを他人にしてもらっていたんです。 まだ勉強中(社会勉強も含みますよ)ですから、許されたのです。 大人になるということは、それだけ経済的にも、社会的にも、責任を負うと言うことです。 私が思うに、貴方はきっと大丈夫ですよ。 このサイトで、こんな質問を立ち上げているのですからね(微笑) きっと、しっかりと問題意識を持っている方なのでしょう。

aaa666
質問者

お礼

否応無しにですか。 つまり、しっかりとした問題意識を持たないままだと、社会的にひとり立ちしたときに自然とそうなってしまうということですよね。 それならば、いつでもそうなってしまわないようにしっかりと問題意識を持つことを、心がけていきたいですね。

  • Komiker
  • ベストアンサー率16% (83/518)
回答No.6

 61歳、男性です。  あなたの文を待つまでもなく、「 おとな 」のレベルが低下していることは私も感じますね。(^^;)    しかし、この日本でも、優れた人間性を有するおとなはまだまだ居ますよ。  ただ、優れたおとなが居ることと、あなたがその人の「 優れ 」を「 優れ 」としてそのまま認めることができるかどうかは別のことです。あなたに観る力、感じる能力が有れば観えるし、無ければ観えません。 >ただ時が刻々と自分を大人へと押し上げていく日々のなかで、何を考え何をすべきかがわかりません。  今の段階であなたにお勧めしたいのは、『「 こういう人になりたい 」という人間的目標を準備すること 』ですね。  と言っても、特別なことをするわけではありません。日々の暮らしの中で、自分に向かって「 どんな人になりたい? 」と聴いてみるだけです。「 これだ! 」と思えるものが湧いて出るまで飽きずに繰り返す。これがポイントです。  答えは必ず見つかります。なぜなら、それはあなたの中にもともと有るのですから。(^^)/

aaa666
質問者

お礼

人を見る力ですか。自分なりの人物分析は日々無意識的に行っていると思いますが果たして的確かどうかにはあまり自信がありませんね。友人達と誰か他の人について話をしていても自分だけ見解がすれ違うことも多い気がしますし… 見る目を持つことも大事ですね。 そしてその見えたことを参考にしながら飽きずに自問自答を繰り返しいく。良い人生修行になりそうです。

noname#50891
noname#50891
回答No.5

子どもの頃は、「20歳」がとても 大人に見えたでしょうが、 実際20歳になろうとしている今、 どう感じられていますか。 アドバイスといいますか、 最近、aaa666さんと年齢が近い方、 同世代の方の質問に答えました。 それを紹介しますので、 参考に読んでみて下さい(参考URL参照)。 そして思う事や疑問があったら、 聞いてください。 他にも何かありましたら遠慮なく、 補足要求して下さい。以上参考になれば。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1008425
aaa666
質問者

お礼

確かに20年で成長したものは大きいのかもしれません。 きっと、近所に住んでいるの幼稚園生は自分のことを大人として認めてくれるでしょう。 ただ、今も自分の中にいる「幼稚園時代の自分」は「おにいちゃん。からだはおおきいきどまだまだこどもだね。」と言われてしまいそうです。つまり、あの時思い描いていた大人像に照らしてみれば、今感じている自分像では到底及ばない。自分が20歳になろうとしていることに対してはこんな実感を持っています。しかし、この質問してから多くの人にコメントを頂いて、お礼をしたり(タイピングが遅くてかったり、考える時間を勝手にもらったりでかなり滞っています。すいません。)、自分なりに考えたりしながら、「理想」というものには、必ずしも一直線で向かっていけるものでもないし、一生かかって追いつづけるけれども達成されることのない「理想」も存在するのだどいうことを、実感として得られるようになってきました。そしてそれに対して悲観的になるのではなく、そういった「理想」を上手く人生の中で活かしていくことこそが大切なんですね。

回答No.4

こんにちは。おそらく世間的には大人の部類に入るだろうと思われる者です。 私もあります。変に見栄をはったり、友達なのにライバル心が出たり…。自分でも後でそのことに気付いて、「あいたたた」と思ったりします。幼稚園くらいから、今の今まで「あいたたた」と思いつつも同じ事を繰り返しています。また、変な意味で冷静になったり他人事のように物事を捉えたりすることも多くなったと思います。 人はいい意味でも悪い意味でも成長するのだと思います。時には悪く成長してしまう時もある。しかし、「気付く」事が大切だと思います。気付けば、直すことが出来る。そして、いいと思ったことを取り入れることもできます。さらに、自分の中に「理想の自分像」を持てば修正は容易になると思います。 「ああいう大人にはなりたくない」と思うならば、そういう行動をとらなければいいし、とってしまったならば、直せばいい。そして「ああいう大人になりたくない」と思って生きるよりは、「こういう大人になりたい」と意識して生きたほうがいいと思います。 みなさんが書いていらっしゃいますが、大人とは、年齢でくくれるものではないと思います。自分から見ても他人から見ても「素敵だな」と思える行動・言動をとれる人こそが、本当の大人であると思います。 ちなみに私の理想の大人像…「心に真のやさしさと強さを備えた人」「場にふさわしい振る舞い・言動ができるひと」いまのところはこんな感じです。

aaa666
質問者

お礼

理想の大人像ですか。 やはりそういうものを持たなければ悪く成長してしまうことを是正することができないですよね。 理想の大人というのは自然となれるものではなくて、 何度でも気づいて直すことで初めて目指すことができる。 このことを自覚ながら生きていけば、自分も少しづつ自分自身の行動に納得がいく状況に持っていけそうです。

回答No.3

質問文から垣間見られる「イヤな大人」観は 「無難な事なかれ主義」っぽいですが・・・  確かに発想自由な子供時代?から見たら 「イヤな部分」と見える事なのかもしれません。 でも、言い換えれば、それは 「自由にさせてもらえる環境にあった」からです。 精神面で柔軟という事もありますが、大きな理由は 「経済的負担を負ってないから」でしょう・・・ 「大人になる」と言う事はある意味 「経済的負担を社会的に背負う」と言う事です。 「生活費を自分で稼ぎだす」 または、 「会社など共同体に属し、自分を含め同僚たちの 生活費も稼ぐ協力体制に荷担する」 と、いう重責が課せられます。 「自由」だけでは済まない現実があるのです。 こんな理由がいわゆる「大人」を 「事なかれ主義」にさせている「様に見える」原因です。 (内心、皆、色々複雑には思っています) 私が思う「大人になる」と言う事の一つに こうした「自分以外の事も考える」がある、 と思います。

aaa666
質問者

お礼

アルバイトの経験程度ならあるものの、本格的に経済的負担を社会的に背負うことはまだ体感した事が無いですから、その点では確かに自分はまだ子供の視点しか持ちあわせていないといえますね。 ただ、そんな子供の自分の視点からもちろん全ての大人が自分にとってイヤな大人に見えている訳ではないのでそのの違いが生じる所以について考える事からも何か見出していけたらと思います。

  • haju
  • ベストアンサー率46% (64/138)
回答No.2

二十歳になったからと言って、すぐに大人になれるわけではないと思います。私は二十歳の誕生日に劇的に何かが変わったということはありません。年をとれば、大人なのか?確かに、社会的な(法律とかね)扱いは成人になるのだけど、心の成長が年齢と同じ人なんていないのです。 80歳のおばあちゃんが「私はまだまだ何にも知らん子供や。何にも経験してない」という時、周りの大人が本当に子供に見えませんか? 視野も懐も、自分なんかよりめっちゃ広いんですよ。戦時を切り抜けて生きてきた人ですよ。そういう人を知ると、自分が年齢的に大人だと思う時や、嫌な大人の姿(往々にして、自分は大人だから、と大きな顔をしているような人)が、我が侭な本当の子供に映るのです。 「清濁を併せ呑む」という言葉があります。心の度量が大きく、善悪の区別なく受け入れることです。ただし、これは人の考えを認めよ、ということであって、自分が濁の部分をおこって良いということではないのです。全てを受け入れる器を持ちながら、自分の行いは常に自分に対して誠実で正しくあろうとすることが大切なのです。 >親友に対しても何か反射的に見栄を張ってみたり、 人間だもの、そういうときもある。次から張らないようにする努力が大切でしょう? >友達と会うだけなのにファッションに気を使ってみたり… 気を使われない小汚い格好で会う方が失礼ですね。必要以上の気合を入れなくてもいいけど、入れたい時は入れてもいい。 >似たような状況でもただ黙っていることが多くなった気がします。 反論する言葉がちゃんと自分の中に確立できているのなら、それでいい。表立って反論することばかりが大人ではないことをわかっているはずです。 嫌な大人が、何故、その嫌な行動を取るのかを、考えてみてください。彼らの行動の中には、かならずそうする理由があるはずです。その理由付けを、自分の行動で使わないようにすれば良いのです。おのずと、その嫌な行動をとらなくても良くなります。 好きな大人の姿があるのなら、それを追いかけるのだって良い方法ですよ。80歳になって、社会的に大人の立場であって、自分は子供である(逃げではなくて)、ということも出来ます。年齢と同じサイズの人間である必要など、どこにもない。むしろ年齢より自分を小さく感じ、行動し発言している人の方が大人なのかもしれません。 こんな考え方もあるということで、参考になれば幸いです。

aaa666
質問者

お礼

全てを受け入れる器を持ちながら、自分の行いは常に自分に対して誠実で正しくあろうとすること 難しそうですね。しかしそういう心をもった人は今の自分から見れば間違いなくカッコイイ大人に思えます。そんな心持が本当に完全に自分のものとなって人生のうちでいつでも使えるようになることは、全人生を費やしてもできるようになるとは限らないほどのことのように思えます。しかし目指すべき一つの指針として大変有用なものだとおもいました。「清濁を併せ呑む」という言葉、ありがとうございました。 さらに嫌な大人から学ぶ姿勢も参考にさせていただきます。

  • zizz_snow
  • ベストアンサー率27% (51/187)
回答No.1

大人になる、というのは、単純に年を重ねることではないと私は思っています。 aaa666さんはいろいろな状況の中で様々な反省や考えをもっておられるようですし、精神的な部分はそう問題は無いと思います(子供が出来れば親にはなれるが大人になれるとは限らない、という意味で…判り難いかな…)。 二十歳になったからと言って、急に大人になれ、と言うのは難しいことです。しかし、そうやって「自分はもう子供じゃないんだから、しっかりしなきゃ」という意識が自分を育てるのではないでしょうか。 同じ年齢の人でも、周りに流されて自分で考えることを怠けた人間と、迷いながらでも自分で考えながら生きてきた人間には差があると思います。ですから、大人とか子供とかを年齢でくくってしまうよりは、その考え方を大切にしてはどうでしょうか? このまま嫌な大人になってしまう、と思える限り、aaa666さんはそんな嫌な大人にはならないと思いますよ。

aaa666
質問者

お礼

大人になるというのは単純に年を重ねることではないということは、自分も感じています。しかしこういう節目の時期にはやはり考えてしまうものです。zizz_snowさんがおっしゃられるようにこのような機会などを利用しながら大人への自覚を自ら獲得していくほかないのかもしれませんね。