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悪い立場の人間
被害者の立場でトラウマを抱え、カウンセリングを受けるケースは普通ですよね。 逆に、 自分が悪者で、悪いことをしての立場で 後悔をして、過去の行いにトラウマを抱えている場合の人間には、 やはり救われる場所や方法はないのでしょうか? “救われてはいけない”“自業自得”“一生地獄を味わうべき”というのが、 当人以外の立場、 第三者の意見であり、それが一般的な“人”の思想なのでしょうが、 当人の立場と人生のみに焦点を充てて考えた場合、 助ける、または気持ちを和らげることはできないでしょうか? 勝手ですが、 悪者に “人生なんて”というような完全な否定なご意見は理解しておりますので ご容赦いただきますようよろしくお願い致します。 あくまで、 当人の精神面での“救い”についてを考えたいです。 カウンセリング方法などありますか? よろしくお願い致します。
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- mijinco
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悪者は、一般的に自分中心的な発想からの行動が多いです。 まず、そのことに気づく。 そして、自分は、たくさんの人に支えられたり助けられてきたのに、そのことを全く無視してきた。 まさに、自分は生かされていたのだという気づき。 そうならば、これからは自分のためではなく、謙虚に人のためになることをしたい。 そして、少しでも人のためになっている自分に気づく。 それが救いなのだろうと思います。
- dremp
- ベストアンサー率47% (128/272)
基本的に私も、皆さんおっしゃっているのと同じ意見で、加害者も幸せになる権利はあると思いますし、そのようなカウンセラーもいらっしゃると思います。加害者の権利を守る、という取組もされていると聞いたことがあるので、調べてみてください。 ただ、その前に、私から申し上げたいことがあります。 質問者さんは、ご自身を「悪い」と決めつけているような印象を、私は受けました。 そうなんでしょうか?私は、そこがそもそも、考え方の間違いのように思えてなりません。 話を発散させて申し訳ないですが、質問者のおっしゃる「悪い」とはなんでしょうか。 まず状況がわからないのですが、「過去、法律違反をし、その結果、被害者に不利益を与えた」という意味でよいでしょうか? 違うかもしれないですが、私にはよくわかりませんので、そうだと仮定して以下お話しします。 私は、個人的に、ものごとを、単純に「いい」とか「悪い」と分類するような考え方をしません。あくまで、「これこれの観点からすれば、いい」、とか「こういう見方をすれば、悪い」、という言い方をします。 なぜなら、世の中に、最初から悪いと決まっていることなんてありませんから。いい悪いは、その社会の価値観とルールによって決まっているだけのものです。 とすると、質問者のおっしゃる「悪い」という根拠は、なんでしょうか。 (1)法律違反した。(だから自分は悪い) (2)被害者に何等かの不利益を与えた。その結果、被害者を苦しめた。(だから自分は悪い) そういうことですね。そういう事実がある、ということだと思います。 もう少し補足すれば、法律違反を犯して、そのことが世間に知られたため (3)白い眼で見られている。(それは自分は悪いから) (4)(仕事に就けないなどの)ハンデを負っている。(それは自分は悪いから) というのがありますね。(3)(4)は、まとめて言えば、「社会的制裁」ですよね。法律違反を犯した結果、社会的制裁を受けている、ということです。 以上が、客観的にみた今の状況だと思います。 なので、 「法律違反をした人のことを悪い人」という見方をするらば、確かに「悪い」。 「人を苦しめることが悪いこと」という見方をするなら、確かに、質問者さんは悪いことをした。 「社会的制裁を受けるのは、悪いことをした人だからだ」という見方をするなら、確かに自分は「悪いことをした」。 となります。 でも、あくまで、「そういう見方をすれば悪い」、というにすぎません。 あくまで見方だけの問題なんです。 実際は、そうではない。見方はいろいろですから。上述の見方が唯一絶対ではありません。 なので、事実をもう少し客観的に冷静に整理してみましょう。 (1)法律違反:実際は、法律とはルールですから、破れば罰則を受ける。それだけのことです。ルールを破ることが悪いとかそういうのはあくまでひとつの見方です。罰を受けたのであれば、それで清算済みです。 (2)次に、「人(被害者)を苦しめること」ですが、これも、いい悪いというよりも、「人を苦しめたと思うと、自分がつらい」ということでしょう。絶対的にいいとか悪い、という問題ではないのです。 (3)(4)社会的制裁:これらも、自分が悪いのではなく、法律違反をした間接的な罰です。ある意味、そんな罰を受ける必要があるのか、それは単なる差別ではないか、理不尽ではないか、と私は思いますけれど、「法律違反を犯せば、(法の罰だけでなく)社会的制裁も受ける」という事実が、犯罪抑止力につながっているという見方をすれば、それも役にたっているともいえますし、実際そういう社会なので、受け入れるしかありません。 いずれにせよ、「白い眼で見られるのは自分が悪いから」と思うのではなく、法律違反をしたため、そういう社会的制裁を受けている状況だ、ということです。つまり、自分は、社会的にハンデを負っている状況だ、ということなんです。 以上のように、「自分は悪い」と考える必要はありません。法律違反をしたため、「被害者を苦しめたと思うと自分はつらい状況であり、また、社会的な制裁を受けてハンデを負っている状況だ」と考えるべきです。 なので、質問者さんのすべきことは以下であると私は思います。 (1)法律については清算ずみ。 (2)被害者に不利益を与えたことについては、「被害者を苦しめて自分がつらい」という状況を解消する。 解消する方法としては、質問者さんのおっしゃるように、カウンセリングもあるでしょう。 別のいい方法(私の推奨)は、一生、被害者に対して、思いやりの心を持つことだと思います。 通じるかどうかは別として、被害者の気持ちを察してあげて少しでも被害者のつらい気持ちを理解し、被害者がそのつらさを解消させる方法を考え続け(一生考え続ける)、自分ができることを実行し続けていく。それを、「被害者のためにする」のではなく、「自分自身の幸せのためにする」とういうことだと思います。質問者さん自身が納得いくまで、被害者の視点で被害者のためになることを、自分のためにやる、ということです。 (3)社会的制裁については、まずは、法律違反をした結果、そういう制裁を自分は受けている(=ハンデを負っている)、それはやむを得ない、と認識し、その現実を受け入れることがスタートです。 次、「(質問者さんは)(3)(4)のような社会的制裁があってつらい。」という考え方をするのが2番目。 そして、「(3)(4)のような社会的ハンデのもとで、今後生きていかなければいけない」という考え方をする。 なので、そういうハンデを背負いながら、どうやってうまく社会で生きていくか。それを考えてください。 *** いずれにしろ、「自分は悪い」という見方は正しい見方ではない。もしくは、正しくないとは言わないが、あくまで、ひとつの見方、ある前提に基づいた見方にすぎません。 なので、あなたは悪いわけではないので、他の人と同じように幸せになる権利があります。それをどうすればいいかを、事実に基づいて探しだせばいいだけです。 なので、あなたは、あなたの置かれた状況を、上述のように客観的に理解し、その対応(解決策)をひとつひとつ個別にみつけてください。
何か参考になる部分があればと思い、投稿させてもらいます。 『あなたは、どんな存在ですか?』と尋ねられて、どう答えますか?。 http://coaching.livedoor.biz/archives/50471019.html だいじなのは、自分の存在そのものと自分の言動とを分けて考えることです。 http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/17/3.html 自分を責めたからといって、誰も助からないのです。非合理的な考えに囚われることは、ノイローゼ(神経症)のはじまりです。幻想に囚われないことです。遺族が犯人に死刑を望むのも、ひとの感情として当然ではあるものの、ある種の幻想です。『犯人が死刑になっても、あの子は返ってきませんから』とコメントする遺族を見て、僕は『ああ、しっかりした人だなぁ』と感じます。 http://yukiduke.jp/kyoizon2.html
- saezima556
- ベストアンサー率50% (7/14)
場所によっては、例えば、DVで暴力をふるってしまう側の罪悪感などの悩みについて相談を受け付けてるカウンセリング施設も、あるにはあります。
- hiro822
- ベストアンサー率20% (131/637)
感情論は除けておいて、あるべき姿を考えれば、 加害者も被害者も同じように傷つくわけだから、 同じようにカウンセリングを受けるべきだと思います。 だからカウンセラ(医者側は)分け隔てなく扱うべきだと思います。 被害者を加害者より優先させて治療するなどという考えがあるのなら、 それは、社会的な意見では理解できないとも言えないですが、 カウンセラとしては失格だと思います。 カウンセラに裁く権利はないと思うので、傲慢です。 罪の救いをカウンセリングに求めるというのも違うと思います。 罪に対しては罰を受け入れるべきで、それは法やらなにやらによって、客観的に裁かれるべきです。 相応の報いを受け入れることで、救いを得るべきです。 カウンセリングとは別の話だと思います。
- usagi27
- ベストアンサー率20% (11/53)
こういったケース、自業自得とおっしゃる方も沢山いるかもしれないけど、世の中以外とそうでない方もいますよ。 質問者様の現在の態度によって、どんな悪行を働いたにしろ励ましてやりたいって思う人は必ずいます。 カウンセリングの方法……カウンセリングと言うのがどういった物を想像してるのか分からないので上手くイメージできないのですが、一つだけ言える事があります。 病んでいる方が加害者であろうが被害者であろうが、トラウマを軽減出来る方法でこれが良いよと言える物は何も有りません。 有ればきっと、世の中こんなに病んでる方はいないと思うんです。 回復の仕方は人それぞれですしね。 それに悩みの内容によっても違ってきますよね。 これが良いと言う方もいれば、何もかも駄目と言う方もいる。 病院やカウンセラーなどに見て貰った所で、(余程単純な方でない限り)大抵トラウマ克服と言う根本的な解決にはなりませんし、薬なんか貰った所でその場しのぎ…或は薬依存者になるだけで現状悪化。 時には優しい方が励ましてくれるかもしれないけど、やはりその場しのぎ…… 自分自身が変わるしかないと思います。 過去は消えないけど、人間成長する事は出来ます。
- pigunosuke
- ベストアンサー率19% (1063/5529)
映画や物語で 教会の懺悔質で罪の告解をする場面を見た事がありますか? 罪人が許されてはいけない なんてのは 人間のエゴです ただし カウンセラーは天使じゃありません、人間です 人間である以上、エゴを持っている可能性はあります 私は、罪人であっても、許されて良いと思っています でも それはとても難しい事だとも、思っています 私からの提案は、異国の宗教に頼りましょう 懺悔で罪の告解をするです