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出生前診断の問題とは?妊娠中の女性の気分を考慮するべきか
- 高齢出産の増加による出生前診断の問題について考えてみました。
- 妊娠に限らず自然の流れに逆らうことの是非についても意見を述べました。
- 科学の力で得た知識は人間の力で回復できるものに限るべきだと感じました。
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質問者が選んだベストアンサー
情報の多寡に関わらず、 命誕生の前では誰もが真摯に闘い、苦闘の挙句に決断する。 いつの時代であろうとも、それは変わらない。 情報寡少の過去の時代。三度三度の飯が食えぬ時代。(そんなに前の事では無い。) 家族が生きるための選択として、口減らしの為に、子を間引いた親は、 今の情報過多で、種々の決断を迷う親より、 悩まなかったと言えるだろうか? 苦しまなかったと言えるだろうか? かつての情報寡少の親は悩まず 現在の情報過多の親は悩む・・と決めつけるのも 少々・・不遜ではないか。 過去も現在も・自然の流れに身を任せて 共倒れに、家族全員が死に絶えてしまう事を選択すべきだったろうか。 そんなこんなの想いがあります。 だからこそ。生まれてきた命に、大人は皆、 優しい目を向けていると思いますが。
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難しいですよね。 手塚治虫のブラックジャックという漫画の中に「人間が生死を決めるなんておこがましい」というセリフがあります。 どんなに科学や技術が発達しても、人間としての謙虚さは忘れてはいけないのかなと、思います。 でも不自然というなら、医療は全て不自然ではないでしょうか? 自然の流れに逆らってはいけないというなら、病気になっても治療を受けることができないのでは? 選択肢が増えることは悪くないと思いますが、そのことで命の尊さが失われるようなことがあってはならないと思います。 医療の発展と共に命に対しての教育も必要だと思います。 そして、出産には適齢期があること、高齢出産のリスクなど、女性は知るべきです。 また、生まれた後でも病気や事故などで障害を負うこともあります。 そのときは選択肢などありません。 子供を持つ以上、こういった覚悟は必要なことだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 回答いただいた中で非常にもっともなご意見で共感致しました。 ただひとつ良いですか? 医療は全て不自然と言うのは極端だと思います。 人が人を思いやってお互いに助け合う気持ちは自然な事。 医療知識のある人は最大限それを役に立てればいいと思います。その時に例えばお年寄りと赤ちゃんと同時に病院に運ばれて一刻の猶予もない状態でどちらかからの手術の開始の選択を迫られる。その時に医師は赤ちゃんを優先する事例などあるそうですが、それは仕方のない場合です。しかし、出生前診断とは責任と覚悟を持って子作りをした親が、宝箱の中身をのぞいて命を取捨選択を考慮するわけですよね?それは果たして「仕方ない」と言えるでしょうかと思うわけですが。ホントに生意気すいません。
- maho-maho
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>なぜ親が苦しむか、自分の都合と命を天秤にかけるからでは? そんな単純なことでしょうか。 異常があっても体が健康なら、親が先に死んでしまいます。 そのあとは? 他に兄弟もいたら、平等にお世話できる? 多分、障害者である子どもの方に手がかかりますよね? じゃあ、他の子にさみしい思いをさせる? もし、お父さんの稼ぎだけで食べられなくて、お母さんもそのうちに働かないといけないとして、その子の面倒も見つつそれができる? 学校によっては、小学校など入学を断られる場合もあります。 学校に入れてもお母さんが1日中つきっきりじゃないとと言われる場合もあります。 本当に考えないといけないことがいっぱいあります。 それを単純に自分の都合と切って捨てますか? それに出生前診断で異常があるとわかったからといって、即中絶ではないと思います。 生まれる前に覚悟ができます。 自分がそれでも生まれて欲しいと思ったから生んだのであれば、自信にもつながります。 またドラマだったか、本だったかで、読んだんですけど、 異常がわかった赤ちゃんはしばらく保育器に入りますよね。 親が先に退院して、顔も見に来なくなったり、ひどいときは引取りに来ようとしない人もいるんですって。 それでも命だからと簡単に言ってしまうこともできますが・・・。 難しい問題で、中絶していいとは言えません。 でも選択肢があることが大事じゃないかな、と思います。
- kittan_tan
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確かに自分も基本的には「出生前診断」には反対です。 障害がある子供ならば要らない、という考え方には憤りすら感じます。 ですが、私の知り合いに一人目の子供が何万人に一人という身的障害を持って生まれたというご夫婦がいます。 普段気丈な知り合いが当時は酷く落ち込んでいました。 そんな中、1年ほどして二人目の子供を授かりました。 そのご夫婦は一人目の子供を診察している医師から「出生前診断」を打診されたそうです。 この医師は「出生前診断」を希望してもよほど特別な理由がないとしないそうです。 やはり医師の「倫理」からしても行ってはいけないという事だと思います。 ですがおっしゃられているように「高齢出産が増えている」「遺伝子的に何らかの障害が出る可能性が高い」など特別な理由がある場合は「出生前診断」を希望できるという風にしとかないといけない、と私はそのご夫婦を見て強く思いました。 そのご夫婦を見ていると障害のある子供を育てるという事は本当に大変だ、という事を理屈抜きに気付かされます。 ましてや自身が高齢な場合や二人目も・・・となるとその負担は非常に大きいです。 下手をすれば溺れている人を助けに行って二人とも溺れてしまう、なんて事になりかねません。 もちろん授かった命を自らの手で消してしまうというのは親としては耐え難い苦しみです。 一生苦しむ事になるでしょう。 ですが、それでも無理な時は無理!っていう人たちもいるのです。 だから一概に「いけない事だ」とするのはやめて頂きたいと思います。 経験もない、見たこともない、当事者の気持ちを想像する事すらできないのに、言いたい事だけはあえてズケズケとものを言う。 今そんな自分の事しか見えない(見ない)人が本当に増えているように思います。 そんな人が「計量器にのせて量ってもいい物とダメなものの区別をしたい」とは恐れ入ります。 この先どんなものを区別していかれるのでしょう・・・
- tit6644
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唯一絶対のの正解がある話ではないように思います。 科学の力で知り得ることは時に有用だったりします。 これからも科学の力で色々有用な情報が手に入るでしょう。 大地震が予知できたり、難病が治るようになったり。 それが元で苦しむ人、苦しみから解放される人、色々あるんでしょうね。
お礼
そのとおりですよね。 回答ありがとうございます。 科学を使う人間が苦しむのは人間が成熟していないからではないかという人もいます。 科学によって人が人を犠牲にしてはいけないと思います。 そのために良い教育が基本として必要だと思います。 権力、経済力、など力を持つものが科学の力を間違った事に使ったために起きた悲劇は過去の歴史から学べるはずでした。しかし、現代では良い教育、良い民主主義など形ばかりではないでしょうか?果たしてこのような社会で科学の力を正しく使えていると言えるのかと日々危機感を抱いてます。
- Tori_30
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う~ん。 僕はそこで、子供の立場で答えたい。 生きるって良い事だと思う?幸せな事だと思う?それは絶対に? 生まれるって本当に良い事なのかな?実はこれって、悪い事なんじゃないかな? 貴方はきっと、生きる事は素晴らしいと思うのだろうし、生まれてきた事に感謝出来る人なんだろう。 でも、そうじゃない人はいる。ここに質問に来るような人、ここで回答してるような人は大体「そうじゃない人」達なんだよね。(まあ、これは偏見か。なんとなくそんな気がするだけだよ。) 生きるのは苦しいよ。生まれるのは恐ろしい事だ。 もう一度、生まれ変われるなら。僕は生まれたくない。生まないで欲しい、とそう願う。 僕を不幸にした人達、僕が不幸にした人達、これまでに犯した罪。 僕が生まれる事で様々な罪悪が同時に生まれた。償いきれないよ。でも、投げ出す事も出来ない。それは許されない。 もはや、自分は奴隷なんじゃないか、そうも思う。 なら、生まれて来なければ良かった。しかし、それを僕に選べたはずもないのだけれど。 僕はまあ、五体満足さ。こういう検査では除外されない。まあ、生まれるべくして生まれたんだろう。誰も予測は出来なかった。僕がこのようなロクデナシだとは。 でもさ、回避出来る不幸はある。 それが出産前検査、だろ? 愛情持って育てられるなら良いよ?でも、ハッキリ言う。自惚れるな。一般的な人にそんな力はない。財力、知力、気力・・・その一つでも欠けたら。子供はまともには育たない。出来る人はいるよ、そりゃ?それが「素晴らしい人」なのであって、じゃあ君がそうか?と問われたら、それは違うだろ? 聞いて回れば良い。 障害者の人達に、「貴方は幸せですか?」そう聞いて回れば良い。出来るか?まともな神経じゃ出来んよ。見れば分かるだろ、そんなのはさ。 見れば分かる事を、じゃあ何故分かろうとしなかったんだ?何故それに目を背けたんだ?選びたくないからだろう。責任を負いたくないからだ。 こういう考え方もあるよ。とびきり暗くて、とびきり邪悪で。 そういう人達はね、きっと言うと思う。「中絶してあげな」ってね。 そんな邪悪は、自分達でもう沢山だよ。 貴方達にそれを回避出来る力なんかない事も、痛いほど思い知ってるんだよ。 「出来る」と言う人はそりゃ沢山いるんだ。口だけなら何だって言える。でもね?実際に出来ない人の方が多いんだよ。100人いたら、100人そうは出来ないんだよ。 だから、取り返しがつかなくなる前に止めろ。そういう考え方なんだ。
お礼
回答ありがとうございました。 僕には想像も出来ないことを抱えておられるようで恐縮です。 僕が一番嫌いなのは親の欲のために子供や命が犠牲にされることです。それは弱い者を犠牲にしてしまう世界を作るのでは?と思うからです。
お礼
自然の流れに身を任せれば、家族全員が死に絶えてしまう、という心配は人間であれば自然な事でしょうね。悩み苦しむと思います。医学、科学が発達していなかった昔は実際に死に絶えた家族が多かったと思います。それは自然のルールに従わざるを得なかった時代には避け難い事だったという事でしょうか。しかし現代は違いますよね。様々な難病が医学により治療され、科学的な進歩により病気を未然に防いでます。そんな発展は同時に、命の選択や価値付けを出来る様にしてしまいました。そこなんです。命の選択や価値付けは、生まれようとする本人側に口を差し挟む権利は当然与えられない。当然周りの限られた人間によりなされるわけですよね。そんな個人レベルでの命の選択や価値付けは、社会や家庭という集団形成やルールを簡単に破壊しかねない無秩序な行為では無いかと考えています。様々な進歩により人間がより良く生きていく事は素晴らしいです。しかし技術や都合ばかりに目を奪われてはいないでしょうか。「奪われていない」と言える様に現代人は教養、人間性や倫理精神といった面からも同じだけ発展しなければならないと考えています。