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解離性同一性障害の方に質問です。
この前、解離性同一性障害について学校の授業で知りました。 一つ疑問に思ったのが主人格ではない方はどのような気持ちで生きているのでしょうか? 例えば私が主人格ではないという立場だとしてたら じゃあ私は一体何のために存在してるのだろう?って思ったりするのですが そのようなことは人格の中で話しあったりするのでしょうか? あと一つ、私は自分の中に多数の人格がいることを羨ましく思ったりもします。 私は友人も少なく片親で兄弟もいないので相談するという事があまりできず 別の人格と相談できる事に魅力を感じるのですが、その辺りの気持ちをお聞きしたいです。 恐らくそんな簡単な事ではないと思うのですが、 そういったプラス的な所も知ってみたいと思いました。
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- ka28mi
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どんな風に授業で扱われたのか、ご質問を拝見すると心配になります。 簡単かどうかというより、なぜ解離性同一性障害が起こるのか、なぜ「障害」という言葉があてられれているのか、そういったことは扱われなかったのでしょうか? 解離性同一性障害というのは、虐待が原因とされているケースが多いようですが、自分では耐えきれない事が起こった時にそれを受け止める別人格を生み出してしまうというものと言われているようです。 たとえば、友人が持っているものがどうしても欲しい、けれど盗みはいけないことも友人が大事にしていることも「自分」は知っている、じゃあ「盗みがいけないこと」も「友人が大事にしていること」も知らない「別人」ならば、友人からそれを盗んでも仕方がない。 あるいは、「自分」がしたいように行動していると親から愛されない、だから、親から愛される行動をする「子」、親に愛されなくても構わないと思っている「子」がいれば「自分」は傷つかないですむ。 つまり、「なんのために存在しているか」というのは、もともとの人格では「やりたくない」、あるいは「してはいけない」ことをするために存在しているのです。 ここには基本的には「相談」というようなものはなく、目の前の苦痛を根本解決するのではなくやり過ごすことが目的になっています。 しかも、産み出される人格は「苦痛を受け止める」「現実社会の法や対人関係には無頓着に自分の望みをかなえる」だけですから、主人格はそのデメリットを一身に受けることになります。 そして、さらに別人格が発生してしまうわけです。 質問者さまが、解離性同一性障害に興味をもたれたのであれば、ダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」という実話をもとにした著作を読まれることをお勧めします。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
ねえ、全員が集まることはないから、それらが話し合うのであれば、スキゾフレニアでしょう。 入れ替わるから、解離性、同一障害なのでは。 相談できる、そんな分けないでしょう。