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終戦記念日です。

日本は平和ですね。 平和がいつまでも続くといいですよね。 あなたの戦争についてのご意見を聞かせてください。 よろしくお願いいたします!

みんなの回答

回答No.14

#13 お礼ありがとうございました。 平和を願う気持ちは質問者さまと同じですが、歴史認識や平和を実現するための方法論は正直かなり違うなと思いました。 アンカテですので、ここで論争するつもりはありませんが、一応それだけ意思表明しておきますねw

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いろいろなご意見はあると思います。 あって当然だと思います。 戦争についてはこれ以上の深い議論は不毛かもしれません。 水掛け論になってしまいます。 人間として生まれた以上、誰でも幸せになりたいと思っています。 回答者様には回答者様の私には私の人生があります。 それでいいと思うのです。

回答No.13

終戦記念日という事ですが、まずは終戦じゃなく、敗戦したという認識からスタートして欲しいって事です。 正式な降伏は9/2であって、8/15は天皇の玉音放送をやった日というだけです。その8/15を終戦とし、敗戦でなく終戦と言うところ、そこらへんに日本人の戦争観の特徴があると思います。 何だか天変地異にでも見舞われて、それが過ぎ去ったかのような認識に感じます。確かに庶民感覚からするとそんなもんかもしれませんが、歴史を学ぶなら、「どうやって始まったか」という事をしっかり知らなくてはいけないと思います。 天皇が始めたかったわけでもないし、首相としての東条英機が始めたかったわけでもない。終戦日近辺にやるドラマなんか見てると「一体誰がこんな戦争はじめたんだ」なんてセリフがあるけど、戦争を始めた人を特定するのはムリ。それは国や世界の、全体として の力学でそういう方向に進んでしまって止められなくなったのであって、その力学を分析してどうしたら戦争に進まないようにできるか考えるべき。ヒトラーや東条を悪者にして戦争責任を押しつけたのでは、まったく意味がない。 そんでもって、敗戦はしたけど、実際の所日本は戦争目的を達して「勝った」という事。 日本が戦争に訴えなければならなかったのは、世界恐慌から始まった経済の悪化(ブロック経済、アメリカの経済制裁が追い打ち)や、ロシア(ソ連)の脅威を除くための戦略が世界に認められなかった事などが発端です。 負けたにも関わらず、その経済安定と国防の安泰を得る事ができました。さらにアジア諸民族の解放というオマケ付き。(大東亜共栄圏の建設は日本が戦争に勝つための大義名分だったとはいえ、終戦後も日本人兵士がインドネシアなどで再植民地化を狙う欧米に対して現地の人とともに独立戦争を戦っています。) 吉田茂をはじめ、「負けて勝つ」日本の大和魂に、誇りを持っていいと思います。 特攻作戦という他に類を見ない事までやり、原爆を落とされて、日本中焼け野原になるまで戦った日本。もうちょっと早く終わらせれば多くの尊い命が失われずに済んだと考えますが、そこまで意地を見せ、どん底まで落ちたからこそ敗戦後の復興が実現したのかなと考えたり・・・ また、軍事力が抑止力となって戦争を起こさないのか、軍事力が引き金になって戦争を起こすのか・・・ 要はバランスが大事なんだろうと思いますが、人間が世界を支配する限り、戦争が起きないためにどうしたらよいかは、ずっと考え続けなければならない事だと思います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 仰る通り終戦ではなく、敗戦したいう謙虚さは必要だと思います。 そこから何を学んだかも大切になってきますね。 まずは首謀者ですが、これは国のトップでしょうね。 当時の内閣にすべての責任があるでしょう。 いくら時代に翻弄されたとはいえ、多大な犠牲者を出したことは断じて許されることではありません。 死をもって償うしかないでしょうね。 戦争をきっかけにして日本は革命が起きたようなものです。 天皇主権から国民主権、人権も保障されるようになりました。 戦後復興も日本人の隠された底力の賜物だと思います。 この底力は誰も予想出来なかったものだと思います。 戦争が終わってから気がついた結果論でしょうね。 すごい底力だと思います。 争いの上に今があると思います。 どうすれば戦争がなくなるのか。 これからどうしていくのか。 ベストはあっても完全な答えを出したわけではありません。 核兵器を所有している国がある以上、戦争はなくならないと思います。 なかなか答えが出ない問題である以上、我々人類に課せられた永遠の課題だと思うのです。

回答No.12

祖母→大正11年生まれ、91歳 父→昭和19年生まれ、68歳 つまり、満州に疎開中に生まれました 今は祖母も少々ぼぉ~っとしてきましたが、私が小学生の頃は「中国残留孤児」の報道がよくなされていました それを見る度に 「婆ちゃんな、お父さんをもうちょっとで忘れて帰ってくるとこだったんよ」 と言われ続けていました 戸籍謄本にも「満州で出生」と残っています 「絶対に戦争はアカン」 が口癖です

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お父さんのことのようですね。 満州で生まれて残留孤児になりそうだったのですね。 大変な経験をして今があるということですね。 心中お察しいたします。 戦争がなくなってくれればいいですね。

noname#194996
noname#194996
回答No.11

理屈のわからない人間が多いとつくづく思いますね。 「台風来るな!」と立て札を立てても来ないわけはない。こういった屁のような道理と「戦争反対」のスローガンを一緒くたにする高名な大学教授がいるらしいけれど、それを鵜呑みにして9条を廃止しようとしている馬鹿がいるのも情けないです。 「戦争を避けるために軍隊が必要だ。」こんなウヨク的自己撞着の矛盾になぜ高学歴のヨミウリ文化人なんかが気づかないのか。おそらく金とか米国の犬だとか、それなりの裏があるんだろうとつい思ってしまいます。 戦争と平和、確かに正確な反対概念ではありません。だからといって「平和のためには戦争が必要だ」とか言うのはばかげています。あなた、放射能をなくすために放射能を用いますか? 戦争のない状態が平和なのです。話し合いをして平和をゲットしなければなりません。そのために”戦争をする危険”も当然回避したい、というより、絶対、戦争は出来ないのです。もちろん、相手の居ることですからすんなりいくとは思いませんが。 平和主義者の基本は相手を信じること、相手を信じなければ相手もこちらを信じないだろう、というのは真理だと思いますよ。好戦的指導者はいますが、大衆は平和を願っています。これも真理です。 戦争回避のためには、一時的には虚栄のプライドを棚に上げるのもいいのではないでしょうか。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いろんなご意見があって当然だと思います。 これを踏まえてお礼をしたいと思います。 過去の歴史には絶対王政から市民革命を経るという歴史がありました。 血ぬられた歴史があったことも事実ですよね。 今から500年は人権というものもありませんでした。 人権は過去の歴史の繰り返しで勝ち取ったものです。 これは紛れもない事実ですね。 過去の歴史が物語っている通り、話し合いだけでは解決しないと思います。 もちろん戦争がないのがベストでしょう。 ベストであって完璧・確実に変わったわけではないと思います。 完璧・確実な平和というものは考えられるものでしょうか? 完璧・確実を追い求めると争いが起こってきます。 それが、人間というものではないでしょうか? 要は干渉のし過ぎは良くないということですね。 ですから、ある程度の武力を持つこともやむを得ないと思うのです。 もちろん一般大衆は戦争は望んでいないでしょう。 いつの時代も同じだと思います。 でも、結局は犯罪がなくならないのと同じで戦争もなくならないと思います。 人間として生まれてきたわけですから、天寿を全うしたいと誰でも考えていると思うのです。

  • acchipoo
  • ベストアンサー率44% (175/394)
回答No.10

祖母が2年ほど前に 「今尖閣問題が顕著になっているけど、70年前ならとっくに戦争になってたなぁ・・」 とつぶやいたことがあります。 現在の平和だって結構危うい点の上に乗っているだけなのかも・・となにげに思いました。 漠然と不安を感じましたね。ほんとに平和な世の中なんて来るのだろうか?! 豊かな資源に恵まれた、四季折々の変化に富む、緑多い島国、穏やかな農耕民族の日本人には 世界の紛争がなぜ起きているのか、理解しがたいでしょう。 だから積極的に知ろうとしないといけないと思います。 せっかくこれだけメディアが発展しているんです。 インターネットでもいくらでも調べられます。マスコミからも情報が入ります。 その膨大な情報を客観的に冷静に判断する知恵を得られるだけの教育も受けられます。 それをしないのは怠惰だと思います。 先の大戦がなければ、失われずにすむ命も多くあったでしょう。 けれど、私自身は先の大戦がなければ、今現在この世にいることはありませんでした。 私の存在は大戦で失われた存在の上にあるのです。 今の日本にそんな人、たくさんいるはずです。 ご自分のご先祖の話を聞けばわかることも多いです。 そこで何を思うか? 対戦で亡くなった方の命の犠牲の上にある自分の命。 どう生きるのか?何をするのか? 大きなことはできないかもしれない。 でも小さなことしかできなくても、常に正しい道に生きていたい。 そのためには自分できちんと判断できる、知識と行動力は持っていたいなぁ・・ と思いますよ。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 仰る通りでしょうね。 今の世の中で戦争ほど不条理なものはないでしょうね。 戦争で受けた損害も日本政府は想定外としてとらえていますよね。 何も報われていませんよね、戦争は。 多大な犠牲者を出しただけだと思います。 戦争のおかげで今の日本になったと言っても過言ではありません。 戦争について年に一度だけでもいいですから、振り返ってみることも必要だと思います。 人の振り見て我が振り直せという言葉があります。 今一度、これから自分がどう生きていくのか、そういうきっかけとして戦争を考えてみることも大切なことだと思えてくるのです。

  • Ae610
  • ベストアンサー率25% (385/1500)
回答No.9

全く「道理」の通じない一党支配の横暴糞豚野郎国家への備えをもっと徹底すべきと考える・・! 憂慮すべき事態に近づいて来ているように思える・・! 誰も戦闘を望むものではないが、国家として最低限防衛すべき手段は講じるべきである・・! 現在の防衛力では甚だ心許ない・・! また、今の外道国家「韓国」とは、現状では外交的に距離を置いた方が良いように思う・・! 反日思想を植え付け、反日教育を奨励している国家とは、これから先も「良きパートナー」には成り得ない・・! 「戦争はしてはならない/避けるべきである」など殆どの人が願うのは当然である・・! ・・・が、「一人の気狂い」の出現で、国家間は幾らでも険悪な状況に陥ってしまう事は十分あり得ると思う・・! そのためにも「国防」は蔑ろにしてはならないと思う・・! そして、日本の戦後歴史教育においても、平気で内政干渉してくるような糞豚野郎国家などに惑わされず、後世のために恥ずかしくない教育をして頂きたいと切に願う・・! それにしても・・!! ぎょろ目で痴呆の進んだとしか思えない「畜生国賊鳩」は何とかならないものか・・!

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 一党独裁体制? 北朝鮮ですか?中国ですか? 文脈からは北朝鮮のように思えますが。 北朝鮮でしたら戦前の日本と同じだと思いますね。 日本はテロやクーデターのない国ですから平和な国だと思います。 国民の不満もさほどないように思えます。 自由があるからでしょう。 国防は必要だと思いますが、それは国の役割ですからね。 それに日米安全保障条約がありますしね。 そこに共同防衛義務も明確化されているようです。 日本有事の際の周辺事態法や武力攻撃事態法などの法整備もされているようです。 国民の命と財産を守るのは国の仕事になります。 任せるしかないように思えますが。

回答No.8

少なくとも「終戦記念日」ではなく、「敗戦記念日」と呼ぶようになってほしいですね。 個人的には、日本は「日本国憲法」の精神を守り、永遠の敗戦国であって欲しいものです。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 敗戦記念日ですか。 名前はどちらでもいいように思えますが。 これから戦争が無くなっていくことの方が大事なような気がするのですが。

  • doolelle1
  • ベストアンサー率20% (77/381)
回答No.7

こんにちは。私が幼い頃今で言う昼ドラで、戦争を題材にしたドラマが放送されていました。戦争の犠牲になった4、5人の女学生達。遺影が笑顔だったのを覚えています。平和になった現在でも全く変わりませんね。犯罪等の犠牲になるのは、いつも弱い立場の女性や子供達。金や地位に溺れ、見せ掛けだけの正義を貫く政治家達。そんな連中の犠牲になるのも、いつも弱い立場の人間だけ。これでほんとに平和と呼べるのでしょうか。疑問です。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 犯罪被害者はいつの時代も理不尽ですね。 でも、戦争被害者は犠牲者があまりにも多すぎて言葉にならないですね。 日本は三権分立の法治国家ですから、戦争はこれから先も起きないと思います。 他国からの侵略の可能性はありますが。 日本は過去の反省を踏まえた国作りはしていると思います。 犯罪加害者は裁判所で裁判を受けてもらうしかないでしょうね。 日本は法治国家ですから、仕方ないと思います。

  • mrst48
  • ベストアンサー率9% (303/3050)
回答No.6

あの日以来、日本は平和だと思います。 日本国民のほとんどが「戦争のやりかた」が わかりませんから。 日本人は、平和ぼけと言われますが 私は、安全ぼけだと思います。 平和って国が国民に、もたらすもの 安全は、それぞれの国民が個別に、 自ら意識して、対策・対処するものだと思います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 戦争は二度と起こしてはならないと思います。 どんなにボケても同じだと思います。 私も安全と平和は意識の持ち方は違うと思いますね。 安全は身近に感じるもの、平和は遠くに感じるもの。 安全は自分に関係するもの、平和は自分に関係ないもの。 こういった違いはあるでしょうね。

  • heisenberg
  • ベストアンサー率23% (591/2556)
回答No.5

いつも不思議に思うのは、「戦争反対!」「平和憲法を護れ!」という人たちのことです。 そういう人たちは、「なるほど・・・」と思えるような対案を示せません。 せいぜい、「話し合いで解決」「外交で・・・」などというくらいです。 常に、「話し合い」や「外交」で戦争が防げたら、誰も苦労しません。 「話し合い」や「外交」で防げなかったから、戦争になったのです。 平和を維持するには、そのための、実際的で継続的な努力が必要です。 「平和、平和」「戦争反対」を唱えていれば、平和が保障される訳ではありません。 日本の周りだけでも、中国や北朝鮮・韓国などの国が在ります。 われわれは、常時、軍備を整え、法を整備し、緩急に備える必要があります。 哲学者で京都大学教授であった田中美知太郎の次の言葉は、有名ですね。 ◇「『平和』と言って平和が護られるのなら、憲法に『台風襲来禁止』と書いておけば、台風は来ないだろう」 表現は正確ではありませんが、趣旨は、同じです。 平和は、軍備や法の整備、国民の意識など、平常からの実際的な努力によって護られることを意味しています。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私も全くの同意見ですね! 話し合いや外交だけでは限界があるでしょうね。 日本の国としても他国のことは内政干渉になりますし、治外法権にもなります。 これは仕方ないと思いますね。 国としての本来の役割は治安維持と他国からの侵略を防ぐことが本来の仕事だと思いますね。 つまり戦争を防ぐことは国の仕事であって我々庶民には関係ないということが結論になると思います。 いかがでしょうか?

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