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重度の後遺症、母を母と思えない

17歳高校生です 私の母は私が小学校2年生の頃に「脳炎」で倒れて以来重度の後遺症を患いました 中学生になった時に 母を見て 「母を母とは思えない」自分がいました 母は今自分では動けない食事も排泄すら自ら行えません 話せませんし ただ出来るのは少ししか動けない右腕 見ていて辛いです 話したいのに話せない 自分の意識を伝えられない 自分で行動出来ない 意識はある 私を見て何か伝えようとしてる でも私は分からない 手話なら母も出来るかな?と思い手話を習う でも無理でした ボタンを押すと言葉を発する子供向けのひらがな勉強の玩具でも駄目でした 声も聞きたい名前を呼んで欲しい でも声を発する事が出来ない口は動くのに 聞き取れない 一緒に出掛けたい話したい 小さい頃から 卒業式 学校公開などでみんな親が来ます 来てほしかった 高校の学校説明会も願書も何もかも一人で周りは親といて 私は女で男家庭なので月経下着で困って誰にも言えなくて 遠足で私だけいつもお弁当じゃない 周りは手作りお弁当で 一番辛いのは母だと分かります 世の中にもっと辛い方がいると言われます でも私も辛いです 昔の母なら 話せた動けた一緒に出掛けたいろいろ思い出が蘇ります 私の名前を呼びます 昔を知ってるからこそ今の母を見るのが虚しくなります 何でだろうって 筋肉が衰えないようにリハビリしてて 本人辛そうで 自分の好きでリハビリやってるのかなって 私たちが母を生き地獄にしてるのかなって 家に帰りたい?って言えば頷いて 見舞いが終わって帰ろうとすれば 起き上がろうと頑張って 認めたくないけど もう母が治らないのも分かります あの頃の母と今の母を 重ねては「何で」と思います もうすぐ10年になります どうすれば 母を母と思えるのでしょうか 比べてしまわないようにするのはどうすれば良いのでしょうか こんな自分に嫌気がします

質問者が選んだベストアンサー

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  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.3

還暦男性ですが、私の話をしますね。 私の父は3歳で父親を亡くし、母親は妻を亡くしていた義兄の後妻となりました。 それでとは思うが、父は結婚はしたが父親とは何かが分からず、酒乱もあり良い家庭ではなかった。 私は父を父親と思うのをやめ、母は母親だが一人の女と見るようにした。 それで私は心の安定を得る事ができた。親と思うと耐えられないが、親ではないと思えば耐えられた。 答えにはなってないが、ご参考までに。

nasi007
質問者

お礼

私もきっと母が母だと思うから 耐えられないんだなと。 皆様の意見見てそう強く感じました

その他の回答 (5)

  • peri1005
  • ベストアンサー率33% (610/1798)
回答No.6

貴女が今、ここにいられるのはお母さんがいるからです。 辛いことがあったのはわかるし、言いたいのもわかります。 病気は好きでかかるものではありません。 どんなに体が動かなくてもお母さんには変わらないんです。 比べてしまうのは当たり前のことです。 歳を取ればみなお母さんのような状態になります。 不幸にも早い時期に来てしまっただけです。 最後まで思いやりを忘れないでください。苦しんでいる姿ではあっても生きているんです。 苦しみをわかってあげられるのは、本当に貴女だけしかいないんです。 貴女はこれから社会に出て大きく羽ばたこうとしています。 そのように産んでくれたのはお母さんです。 親の思いはただ一つ。子供が元気でまっとうに生きること。 それが貴女にとってこの世に産んでくれた親への恩返しです。

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.5

まず自分に嫌気をさすことを止めることです。 人間は神でも天使でもありません。 罪も侵せば迷惑もかけ失敗もします。 自分を責めることを母親は望むでしょうか? いいところもわるいところも含めて「あなた」という存在であり、親はそれをよくわかっていますよ。 あまり考えすぎてもダメです。 同じような苦しみを持っている人達と話してください。 カウセリングも良いでしょう。 医療行為というよりプロによるハイレベルの相談だと思ってお気軽にどうぞ。 まず重く受け止めない時間を持ってください。 育児ノイローゼも同じような状態ですから。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.4

追伸 無理は絶対にしないで下さい、思春期の心は壊れやすいので。ご自身を一番大切にして下さい。辛い時はまた書いて下さい。

noname#217538
noname#217538
回答No.2

比べないようにするには、その病気をよく理解することです。その病気を中途半端に知るのではない、勉強するんです。少しでもお母さんがよくなるように手を貸してあげる方向に進んでいかれると思います。お母さんの脳炎がどういう理由で起こり、どこの部分がダメージを受けたのか、そして今脳のどの部分を使って生活を維持しているのか詳しく知っていますか。そうすればお弁当も作りたくても作れなかった、卒業式に出たくても出られなかった理由が現実的に捉えられます。と同時にお母さんの帰りを頑張りながら待っている家族たち、成績も頑張ってお母さんに報告してあげて欲しい。 さらに将来に病気に一番理解を示せる職業についたらいいと思いますよ。お母さんを助ける事ができます。身近にそういう経験があると、なおいっそう患者さんに理解を示せると思います。将来への夢や意欲を見せ、助け合おうとするあなたを見ればお母さんはどんなに嬉しいでしょうね。一緒に未来に希望が持てるようにしてあげたらいい。 お母さんは聞こえるんです。あなたを見て涙を流す事もできるでしょう。目の前の現実を他人と比べても何も変わりません。それよりも今よりも少しでもよくなるように元気付けてあげて欲しいです。医学ではまだまだわかっていないことがたくさんあります。夫の知人で家族の支えでリハビリからかなり回復した人がいます。人体について、すべてが解明されているわけではありません。なぜ治らないと決め付けますか。本人が治りたいと思うような強い希望を与えてあげる、特に脳に関してはまだまだわかっていないことがたくさんあります。周囲の感情は病人にはとてもわかるんですよ。うなずくのだからよく理解されている。敏感にわかる。お母さんは確かにそこにいらっしゃるんです。10年たってもそこにいるのはあなたのお母さんです。 治らないなんて決め付けないで、リハビリを一緒に手伝ってあげたらいい。あなたが伝えたい良いニュースを文字にしてお母さんに見せてあげる。体を拭いたリ、髪の毛をとかしたり、励ませるようなことをどんどんしてあげて欲しい。彼女にお母さんである事をあきらめさせてはいけません。希望を与えるんです。目の前の現実を受け入れ、より良い方向に進むには、ぜひ将来はお母さんを助けられるような職業を目指してみて。お母さんはとてもすまないと感じているはずです。喜びに変えるような何かを与えてあげる、人体の不思議を信じてあきらめないで励ましてあげてほしいですね。

  • tsurutto
  • ベストアンサー率14% (8/54)
回答No.1

あなたはお母さんに求めてばかりいますね。仕方ないでしょう、小学校2年生からずっとですからね。甘えたい時に甘えられない、友達も家に呼べない何もかも他の子達と反対だったんですもんね。お母さんもきっと同じ気持ちでしょうね。あなたを抱き締めたい、あなたの好物の料理を作ってあげたい、学校の話を聞いてあげたい。それが何一つしてあげられない苦しさはきっと誰にもわからないでしょうね。でもあなたには出来るんです、お母さんが出来ないことが全部。あなたがお母さんを抱き締めてあげたら?話し掛けて笑い掛けてあげたら?答えを求めるから虚しいんです。そのうちお母さんが言おうとしてる事が分かりますよ。親子なんだから。

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