こんばんは夜分遅くに失礼します。「国際貢献」全く言い得て妙な言葉です。でも「その中身自体を」本当は質問者様ご自身が積極的に定義しなければならないことも確かです。
国際貢献といっても、医療の分野から経済活動の基盤を整えたりするためのサポートもあれば、その国の未来を作るために「子ども達への教育」まで様々な広がりがあります。
「貧困」との言葉を聴いた時、質問者様は「どうすれば貧困の連鎖」を食い止めることができるか、と考えたことがおありでしょうか。
生活関連の品物を売買する時には、商品の名称を読み書きする能力と同時に、その価格を計算する能力も必要です。こうした実生活に関わる大切な要素を教える場所、先進国ならば教育という国家的規模での取り組みが必要であることは先進国ならば、一応はその要件をも満たしていますが、そこで実際に子ども達に接する仕事を預かるのは「教員」であり、その仕事が「教育」です。
目の前にいる一人一人の子ども達の瞳は「知らなかったことを知る事ができた」ことによってキラキラとかがやいています。質問者様がまだ幼かった頃のことを少しばかり思い出してみて下さい。知らなかったことを学校の授業を通じて「わかった時」、質問者様はどの様な気持ちをお持ちでしたか?。知的興奮に満ちて、もし条件が違ったなら、同じ実験でどの様な結果を得ることができただろうか、などと想像しドキドキとしませんでしたか?。
そしてもう一つ「教育こそがその国の将来の形を創る原動力である」との厳粛で豊かな可能性を持っています。OECDと呼ばれる先進国群の中にあって、その国の「国家予算に対する教育への予算」を見る限り、残念ながら日本国は最下位です。
こんなことを考え合わせてみても、質問者様に様に自己検証のできない軽薄な若者が増えることも頷けてしまいます。困っている人がいたら、その人に対して「自分が何をする事で相手をサポートすることができるか」を考えることが学問の始まりでもある。それを「教えて下さい」とは余りにも虫が良すぎる話といえます。「先ずは自身の人生の目標を何に定めるか」を大凡の形で構いませんから、自身で考えることから始めることをお勧めします 。その上で「主体的な目的意識と問題意識を持つことができなければ、大学で端にも学ぶことはできない」とお話しさせていただきます。受動的そして座学的な姿勢は大学に学ぶ者が持つ姿勢ではありません。