母親側ではありませんが、少しでも参考になれば。
それを「夢遊病」「夜驚症」と病名をつけていいのかは分かりませんが、
母の話を聞く限り、弟が「夢遊病」、私が「夜驚症」の気がありました。
弟の場合、期間はそう長くはなかったそうです。
そんなに悲痛な泣き声でもなく、普段通りのぐずるような感じで泣きながら、「あっち行く、あっち行く」と、どの部屋に行っても「あっち行く」と言いながら、家中(当時社宅だったので部屋数もほとんどなかったと思いますが)母を連れまわしていたそうです。
それは、弟が2歳になるかどうかってところかなぁ。
当時の環境変化については分かりません。幼稚園にもまだ通ってませんでした。ただの寝ぼけの範囲だったのかな。
私は、歩き回りこそしなかったものの、夜中に泣いて怒鳴り、暴れました。
小学校の6年生まで続きました。今でも、高熱などを出すと起こします。
大きくなってからは、自分で半分意識があるときもありました。
毎日毎日、弟に振り回されて本当にイライラしていました。
弟は皆が認めるほど分からず屋のおバカさんで、出来の悪い子でした。私は逆に、出来すぎで子どもらしくないと言われていました。
一つしか違わないのですが、絶対に弟が悪いことでも、一日に何度も起こるケンカに、母は無関心でした。
弟が泣いて甘えるのを許しました。どっちも悪い、としか言いませんでした。
それが平等であると思っていたようです。
私は、母に甘えたことなど、記憶の限りではありません。
別に母が私を嫌っていたわけではありませんが、甘えても来ない子なので弟に比べてかわいいわけでもなかったようです。
私は、母がいつも弟ばかり甘えたで可哀想だと思って「抱っこしてあげようか?」と言っても、「そんな、平等にしとかなきゃって思っていやいや抱っこするくらいならしてくれなくていいです」みたいな考えでした。たぶん。
母や叔母の話を聞く限り、抱っこされるときに「重たいねー」と言われるので、「○○、重たいからいいよ」と断っていたそうです。
私はたびたび夜中に泣いて暴れました。母は、きっと最初は何かしたんでしょうけど、私が記憶があるころには、基本的にほっておくことにしていました。
たまに、嫌そうに「うるさいよ」とゆすり起こされたのは覚えています。
今となっては、母の気持ちもわかるし、だけど自分も、なんて可哀想でなんてダメな子どもだったんだろうと思います。
今でも甘えたりくっついたりする方法が分からず、誰にも甘えられません。
24になりますが、誰かに大事にしてもらったこともありません。
「抱っこしてあげる」じゃなくて、「かわいい!」って抱きしめてくれれば、受け入れたかもしれないのに。それとも、それでもうっとおしいってはねのける子どもだったかもしれませんけど。
話が変に逸れてしまいましたけど、下のお子さんが生まれたんですよね。
小さな子どもにとって母親は全てなのに、その母親を取られてしまったんです。
自分は愛されると思っていたのに、そうじゃないんだ、自分よりも母親にとって大事なもの(優先順位の高いもの)があるんだ、という、ものすごい傷を受けるんじゃないかと思います。
幼稚園は、入学したてではないし、あんまり関係ないんじゃないでしょうか。
自分が守ってもらえない存在だということを突き付けられて、傷ついているんだと思います。
もちろん、24時間守られてるわけじゃないってことは、下のお子さんが生まれなくても徐々に感じていくことです。
また、下のお子さんの登場を乗り越えて、今度は自分が守る側になるということも覚えなければなりません。
だけど、急に下のお子さんが生まれるのは、お子さんにとってはあまりにも突然の衝撃です。
今、辛い時なんだと思います。
泣き叫ぶこと自体は、小学校に上がるまでくらいに収まれば普通だと聞きました(どこで聞いたのか忘れたので不確かですが…)。
逆にそれを逃すと、うまく治せなくなります。
寝ぼけて泣き叫んだら、一度起こして、でも泣き叫んでいたことは伝えず、全身ぎゅっとしっかり抱きしめて、もう一度寝るまでずっとそうしててあげることだそうです。
それを何度でもします。
昼間も、できる範囲でいいので、できるだけ上の子を優先させてあげてください。
人間は言葉よりもスキンシップで安心するので、口先だけじゃなくて、ちゃんと顔と体を向けて、できるだけ肌の接触を増やしてください。
これもネットか何かでの知識なので、たぶん既に調べてらっしゃるとは思いますが……
自分のことだってあるのに、二人のお子さんの相手をするのはきっとすごく大変ですよね。
旦那さまは協力的ですか?
旦那さまは当然ですが、他の方ともできれば分担して、たまには遊んで、気持ちと時間に余裕を作って、上のお子さんをかわいいと思えるようにしてください。
よろしくお願いします。
母親経験のない小娘が失礼いたしました。