• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:どこまでが法事・法要ですか?)

法事・法要の範囲とは?

このQ&Aのポイント
  • 法事とは、お寺でお経を読むまでが法事とされますが、食事までが法事と考える人もいます。
  • 質問者は、祖母の法事後の食事に出席するかどうか悩んでいます。
  • 祖母の遺言により、質問者は半分の遺産を相続しましたが、実母と兄弟からの圧力に悩んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kannjyani
  • ベストアンサー率48% (200/416)
回答No.6

質問者様のとった行動は誠にご立派であると思いますよ。土地家屋の登記名義を質問者様にしたことで売却は不可能になっていますね。だからこそ引き続き親兄弟が住んでいられるのであって、これが相続放棄していたならばお祖母様が心配なさった通りに金銭に換えられていた可能性は高いです。 お祖母様のご希望を叶え、家だけではなく家族をも守っていることになりますね。 ご質問の法事・法要についてですが、近年ではどちらも同じ意味とされていますけれど、もともとは読経が法要、食事までの全体を法事としています。 食事の考え方は施主が参列者をもてなす意味をもって酒と食事をふるまいます。ですから僧侶も同席いただきたいところではございますが、僧侶がいては皆の緊張が解れませんから(笑)、気を利かせてか僧侶が同席することは殆どありません。それで替わりに御膳料をお包みしています。 それを踏まえますと、参列者をもてなす気持ちもない施主に気遣い、同席することは必要かと疑問に思います。 和やかに滞りなく法事を勤めるのが施主の役目であり責務ですね。 法要までを法事としてしまっているのは、他でもなく施主です。 仏教は諍いを好みません。ご本尊にも恥ずかしい醜態を晒すことになりますし、なにより、お祖母様が辛い思いをなさっている質問者様を見て心が安らぐでしょうか。 なにを目的としているのかの本質(本懐)を忘れないでください。 そうしたことから私は質問者様が食事まで同席するのは如何なものかと思いますよ。

1kazkoz8
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お礼が遅れてすいませんでした。 kannjyani様の温かい回答とてもうれしいです。 私は母や兄弟の生活(住む家)を守っていきたいと思う気持ちでも、母にとっては【本来独り占めできるはずたっだのに】という思いと、兄弟からしたら【自分たちよりも取り分が多くて納得できない】という気持ちを抑えることができなかったのだと思います。 kannjyani様の仰る本質(本懐)を私なりに考えてみました。 やはり祖母をきちんと供養する気持ちだと思いました。 祖母が一番嫌がることが揉めるという事です。 食事まで同席してこのわだかまりが解ければいいのですが何せ一筋縄ではいかない母なもので・・・。 やはり、供養の場で何かしら言い争いの可能性がある限り食事に出席するべきではないと考えました。 ちゃんと祖母を偲ぶ気持ちが私たち夫婦にあればきっと祖母もわかってくれるとおもいます! とても参考になるご意見ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#237141
noname#237141
回答No.8

「どこまでが法事か?」と言われると 厳密な線引きは難しいのですが、 お坊さんの読経が終われば”一応の法事は完了”と 私は認識しています。 後の食事まで含めてが法事というのは解釈に無理が あるのでは、と思いますよ。後の食事は法要・法事ではなく 単なる余興・・という意味で私はとらえています。 私の身近な人で、幼少期に養子に出された 叔父がいて、私の祖父母の法事時には夫婦ではなく、 叔父だけがいつも参加され、読経後はそそくさと 帰られていました。いろいろとワケありなもので・・・。 こちらからしてみれば「食事も出しているんだから 食べて帰ればいいのに」とは思っていましたが、 だからといって、叔父が「法事に参加してない」ということには ならないと思います。 質問者さんの選択は2つに一つですよね。 1.まわりから何を言われようが「遺言書に従っただけ」と毅然な姿勢でいる。   食後までつきあう。 2.いらぬことをこれ以上言われたくもないので読経後はとっとと帰る。 私はどっちでもいいと思いますよ。 お祖母さんを慕う気持ちは別に法事という場でなくともあるわけですし、 それに本家を出た身(であっていますよね?)ならば長居も無用かとも思います。 もしくは、縁を切るとは言っても切れるもんじゃないでしょうし、 嫌味を言われたら言い返すくらいのことはしてもよいと思いますけどね。 実の母、兄弟だったらとことん言い合っても許されると思いますよ。

1kazkoz8
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうです。仰る通り選択肢は2つに1つですね。 1.の場合。私一人であれば耐えて最後まで付き合う事はできます。が、主人も同席するのでとばっちりが主人 にまでいってしまい嫌な思いをさせてしまうのでは?と思うと申し訳ない気持ちになります。  主人自身、祖母には生前とても可愛がってもらっていたので我慢してもらうべきか否かとても悩む所です。 2.たしかにこれも食事までが法事でないならば揉めずに済んで一番良い方法ですね。 私は本家を出た身ですが、祖母は私にとって実母なんかよりずっと母のような存在であり、一番尊敬し、信頼もしていたので祖母の事に関してだけはどうしてもそのように割り切れない部分があります。 本来であればとことん言い合って解決できることが一番望ましいのですが、色々ある実母な為 残念ながら叶わないと思います・・・。 家族って存在が近いだけに難しいですね。 今回私は2番を選択したいと思います。 ありがとうございました。

  • peri1005
  • ベストアンサー率33% (610/1798)
回答No.7

食事までが法事の流れとなります。 でも事情が事情です。お金は人を変えてしまうものなんですよね。 出ても出なくても、どうせ悪く言われることは変わりません。 祖母様を偲ぶのが本来の席です。でも相続したことで我慢を強いられる席に変わってしまうことを、祖母様自体も望まれてはいないでしょう。 ご主人とお話になり、遠慮なさったほうがいいものと考えます。

1kazkoz8
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 金の切れ目が縁の切れ目という言葉が実親子でもあるなんて思いもしませんでしたし、実際にショックでした。 >出ても出なくても、どうせ悪く言われることは変わりません 確かにその通りだと思います。 お寺での読経とお墓参り、実家のお仏壇へお線香をあげる。 これを済ませたら主人と二人祖母を偲んでどこかで食事して帰りたいと思います。 ありがとうございました。

回答No.5

法事の「法」は仏法の「法」ですね。 ですから、そこに仏様や仏様の教え、亡き人の願いが存在するかが鍵になります。 ただご飯を食べて、世間話をするだけなら、法事ではなく食事会でしょう。 僕の住む地域は都市部と違って、自宅で法要を勤める人が圧倒的に多いです。ですから、準備から後片付けまでを法事と考えています。 実はこの準備が一番大変なんです。法要の日にちをご住職と決め、親戚に案内を出します。記念品を用意し、仏間などの掃除をし、お仏壇のお飾りをし、お供え物をして、仏華を立てます。 お昼の食事をあらかじめ考え、注文しておき、台所の準備をします。飲み物もです。 お茶菓子を用意しておいて、お茶を出したりします。 つまり、何日もかけて準備する訳です。本当に大変です。でも、この大変さがじつは一番大切だと思っています。 全て終わって、親戚が全員帰ると、やれやれと思います。クタクタです。でも、やりきった充実感はいっぱいあります。 質問者様が食事に出るべきか、正直判断出来ません。 上記を読んだ上で、ご自身が判断されれば良いかと思います。

1kazkoz8
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >そこに仏様や仏様の教え、亡き人の願いが存在するかが鍵になります そうですよね。 祖母の願いは揉め事などはせず温和に。と常に願っている人でした。 食事会に出ることで何かしら祖母の見たくない、聞きたくない話にならないとも限らないので今回は欠席の方向で主人ともう一度話合いをしていきたいと思います。 ありがとうございました。

  • t-r-mama
  • ベストアンサー率59% (396/665)
回答No.4

法事は施主側の方が多い立場の人間です。 世の中で言う「法事」は、「お経と会食」が法事という認識だと思います。 多分「法要」だとお経、「法事」だと食事までなのかなあ…という印象です。 あくまで私の認識、ですが… 故人のお膳を用意する宗派もあるというのも、 私はこういうネット上での情報で初めて知ったくらいなので、 これが主流派ではないとすると(少なくとも実家と夫実家は違い、お互い宗派も違います)、 食事は「故人のための行事」には含まれないのだろうなと感じます。 わが家では食事前に施主が皆様にご挨拶しますが、その中には 「お参りくださった皆様へのおもてなし」という主旨の言葉があるので、 あくまで食事は「施主側からお参りに来てくれた人のために用意する」だと解釈しています。 理屈だけ考えると、故人の供養のためのイベントとしてはお経まで…と捉えられるかと思います。 ただ、お膳は施主側の気持ちであり、お断りはそれを拒否する形にはなります。 一般的な法事では集まった親族の中には居たくない人も当然いますし (普通はどの年代でも「嫁」は嫌だと思います…) そういう人も「親戚づきあい」として我慢して出席しています。 親族の中での諍いは本当に醜く嫌なものですが、 ある程度の付き合いもまた必要かなと思います。 私は田舎に嫁いだので、我慢することは必要…とか、 親戚づきあいは避けられない…という観念が強いので、 こう思ってしまうということもあるとは思います(^^; 一番無難なのは、午後は予定が入っている…と、 一応納得できるような理由をつけて食事の席はご辞退する、という方法かなと思いますが… お母様は質問者様のことを嫌っているのでしょうか、 それともやはり娘なので可愛いのでしょうか。 身内だけでの法事なら呼びたくない人は食事に呼ばなくてもいいのでは… と思ってしまったのもので(^^; 意外とお母様の中ではあっさりと片がついたのかな…という可能性も感じました。 縁を切るとまで言った相手を(前回は呼ばなかったのに)法事に呼び、 食事まで打診となると、考えていることがイマイチわかりません… ※ただ、実の祖母でも法事に呼ばなくて非常識ということはないと思います。  同居だったのならまだ分かりますが…  質問者様がその段階で嫁いでいたなら、内々で故人の子どもと同居の独身孫だけで…  としてもおかしくはないと思います。 とりあえず食事に出席してみるのも手ではないでしょうか? 法事くらいしか、あちらからお声がかかることはないですよね。 年に1回や数年に1回の付き合いくらいなら、少し我慢して…もありかなと私は思います。 私は実家元に嫁いだので「連絡をとるのをひかえる」なんて状態自体も不可能ですから(^^; これで拒否したら、もし少し蟠りが解けて元通りにしたいとお母様が思っていた場合、 多分台無しになるだろう…と思うのもあります。 嫌な思いをするとしたらこれで最後にすればいい…と考え、 今回はお招きに応じたほうがいいのではと私は感じました。 家には家の事情があるので、 質問文を拝見する限りでの私の感想で、 的外れなことなどがあったら申し訳ありません。 ご主人とよく相談されて最終的に決定されるのがよいと思います。 長文失礼しました。

1kazkoz8
質問者

お礼

親身になってご回答ありがとうございました。 t-r-mama様はできた嫁。理想の嫁です!! 確かに付き合いはある程度必要ですよね。 回答を読ませていただいて、私にはまだまだ我慢が足りていないと感じました(反省すべき点ですね) 家の場合は実母ながら行動、発言は常に幼稚でいつもいろんな場面で引っ掻き回される為、私にも理解できない部分はたくさんあります。 私自身母に縁を切る!と言われても私にはたった一人の母である事には変わりなく、この状況になって今日まで2年間本当にこのままでいいのか?悩みました(今も悩んでいます) 母はこの一件があるまで一番私を可愛がっていましたし、頼りにもしてくれていました。 ところがお金がからむと可愛さ余って憎さ100倍というところなのでしょうね。。 今実家には少々問題ありの兄弟達が残っていますが話し相手にも頼りにもならないのでそろそろ私と元に戻りたいのかな?とも感じています・・。 でも、私が歩み寄ったところで母は50年以上あの性格で生きてきているのだからそうそう変われないのも事実。同じことをまた繰り返すのは目に見えているのでどうしても最初の1歩が踏み出せない・・・。 これが現状です。 今回の食事ですがやはり、何かしら嫌味を言われて嫌な思いをする可能性の方が高いと思います。 私一人であれば我慢して耐えることができるのですが、母は頭にくると一緒にいる主人の事までも小ばかにするような発言をするので、欠席の方向で私は考えがまとまりつつあります。 主人ともう一度どうするべきなのか話し合って結論を出したいと思います。 ありがとうございました。

  • organic33
  • ベストアンサー率36% (615/1664)
回答No.3

法事はお寺で読経、お参りをして、墓地でお参りをして、家の仏壇でお参りをして、お斉(会食)をする一連の流れすべてです。 出席者は仏と縁の人に出席してもらう。 親族間のイザコザは脇に置いておいて。 質問の最後の「法事は内々の家族5~6人で」と有りますが、それなら時斉と言って、家族だけで寺参りだけで済ます方法かと思いますが、 それでもお使いが有ったなら、特別の用事がないなら、最後の会食までつとめるのも仏への供養です。

1kazkoz8
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 食事までする一連の流れを法事とするのですね。 皆様からの意見を参考に本当に悩みました。 やはり、食事の席で何かしらの会話があると思うのですが、その際ちょっとした言葉尻を悪い方にとられ 空気が重くなったり、いがみ合ったり、本来あってはいけないようなことが起こりうる可能性が高いと思います。 実際49日の時も顔を合わせた途端に相続の話になり、祖母に申し訳ない気持ちになったことを思い出しました。 供養の場である事を前提とし、そのような事態を避けるためにも 今回食事への参加は欠席する方向で主人と話して行きたいと思います。 とても参考になるご意見ありがとうございました。

  • JqqF
  • ベストアンサー率24% (159/656)
回答No.2

この実祖母とは、実母にとっての母でしょうか?であれば、あなたのお好きなようになされば良いと思います。この実祖母が、実母にとっての姑なら、事情は変わります。 嫁と姑は、難しいもの。その一家庭の主婦格同士が相容れぬことは、想像にも易いです。その実祖母が亡くなる際の遺言書は、他人の嫁にくれてやるよりも、血の繋がる孫に残したい人間臭さにも見えます。しかしながら、実母には嫁として仕えて来た自負を踏みにじられた思いが込み上げたでしょう。その思いを、あなたまでに軽んじられた、相当に堪えたと思います。 また今回の法事法要を務めるのも、踏みにじられた実母である。あなたにも、同額の遺産を相続した身内としての責務を、世間が求めます。同席する各身内にも粗相のないように、するべきではありませんか? 出来ましたら、その場で大人としての和解に務めるよう、お勧めします。

1kazkoz8
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 祖母は実母の母になります。 祖母は苦労して築いた財産がなくなることもそうですが実母のその後の人生を心配していました。   家(実家)がなくなれば実母は住む家を失うことになります。一時は土地を売ったお金で楽しめてもその先の長いかもしれない人生お金がなくて苦労することを親子だからこそ一番考えていたんです。 私が半分相続することで双方の相違がない限り転売はできないのでこれでよかったと思います。 今回の法事で和解ができることを私も望んでいるのでそのように努めてみたいと思います。 ありがとうございました。

  • RosaCanina
  • ベストアンサー率48% (5532/11451)
回答No.1

平たく言えば、お坊さんがお経を読んで、 出席者が故人を偲んで会食するまでが一連の流れです。 故人に向けた膳も用意されるくらいですから…。 けれど、宗派や地方地域によって、そのあたりの括りは微妙に異なるし、 結局、「偲ぶ」気持ちが肝心なところですから、顔を合わせたくないなら、 体裁にとらわれずに、早々に退散するのが心の安寧を得られると思いますよ。

1kazkoz8
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 仰る通り「偲ぶ」気持ちが大切ですよね。 食事の席で重い空気や、いがみ合いを避けるためにも食事は欠席する方向で主人と話し合いたいと思います。 ありがとうございました。

関連するQ&A