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クラシック音楽

 時々、クラシック音楽を愛好する人たちやモーツァルトをけなすような人を見かけます。 その人たちは、軽めの現代音楽やポップス曲、クラブミュージックを引き合いに出して、 ‘クラシックの古典的な楽曲よりも、優れている’とか ‘クラシックが音楽の基本だということはない・・・’とか言ってますが、 本当にそう思っているのでしょうか? その人たちは、音楽の基礎・・・・・移調や転調、和音などの基本的なルールが全部クラシック音楽から来ているということも知らないのでしょうか?(もちろん、テンションや細かいコード進行などはクラシックと違いますが・・・・・) 全部、何世紀か前のもちろんクラシック音楽の楽理なのですが・・・・・ クラブミュージックなどはアフリカ音楽からきているといいますが、そういう音楽でも 移調するときにはクラシックの理論通りに移調しますよね? でなければ、ただ数音の音だけが永遠に続くという感じになるでしょうが、 (個人的にいうと、そういう‘音楽・・・?(音)’だけを長時間聴き続けるのは、かなり無理があります。) それが、クラシック音楽よりも優れている・・・とは思いませんが・・・・ どうなのでしょうか? 

みんなの回答

回答No.7

>‘クラシックの古典的な楽曲よりも、優れている’とか クラシックより現代の音楽の方が優れているって言う人がいるんですね~。 基準が謎ですが…。 あえて言うなら現代の音楽の方が『音楽表現の多様性、表現の幅』に関して、優れているというのは確実ですね。 仕方の無い事ですが、電子楽器の無い時代にどんな音楽の天才がいても、テクノとか作れませんから…。 選択肢が少ない方が良い音楽を生む場合もあると思うので、一概に表現の幅が広い方が良いかどうかは別として。 もし現代にモーツァルトがいたら、一体どんな音楽を作っていたのかなと妄想したりします。 現代でも古典的な音楽を作っていたのか、それとも新しいジャンルを作り出してシーンの先導者になったのかとか…。 >‘クラシックが音楽の基本だということはない・・・’とか言ってますが、 >本当にそう思っているのでしょうか? ‘クラシックが音楽の基本だということはない・・・’っていう所は正解ですね。 何の注釈も無しに『音楽』と単に言っただけだとイコール『音楽の全て』になるので、現代の全ての音楽がクラシックを大元しているワケではないからです。 >なにより、私は‘クラシック音楽がすべての音楽の根源’だとは一言も言っていません。 ちゃんと私の文章を読んでますか? 基本や基礎という言葉には、確か根源的なニュアンスもあったはずじゃなかったっけ?って思ったのでとりあえず国語辞書で確認してみました。 定番の広辞苑から基本や基礎の意味を引用します。 き-ほん【基本】 物事がそれに基づいて成り立つような根本。(広辞苑第4版) こん-ぽん【根本】 物事が成り立つ、そもそもの大本。元祖。(広辞苑第4版) き-そ【基礎】 それを前提として事物全体が成り立つような、もとい。「-理論」(広辞苑第4版) こん-げん【根元・根源・根原】 物事のおおもと。こんぽん。中心。(広辞苑第4版) 以上のように、基本、基礎のどちらの意味にも大元という意味が含まれているので、日本語的にちゃんと読んだ限り、根源と言っていると受け取るのが一般的な常識のようです。 『クラシックは全ての音楽の大本じゃないけど、全ての音楽の基礎や基本なんです』っていう主張自体が理論的に破綻する事になります。 クラシックの功績を盛らず貶めず正しく説明するには、別の然るべき言葉を選ぶべきでしょう。 クラシックが現代の音楽の根源かのように誇大に表現する事によって、何も知らない音楽初心者への『優良誤認』を狙ってるのか?という疑いもかけらける可能性もありますし。

emlleisman
質問者

補足

言葉の“あや”みたいなことで、ごまかそうとしないでもらいたいですね。 あなたは私の言っていることを、微妙にほかの意味にすり替えています。 そもそも、すべての音楽の根源なんてものがあるかどうか知りませんが、 ある特定のジャンルの音楽の根源=その音楽の起源、もしくは源泉だと言えると思います。 それと音楽の基本というのとは意味合いが違います。 以前にも書きましたが、今現在、大抵の楽曲は五線譜で書かれていますが、 五線譜で書かれている以上は、クラシックの基本の記譜法に従って書かれているはずです。 基本のリズム、音符から休符記号に至るまで・・・・(記譜法に正確かどうかはまた別の問題で、 正確でなければ、ただ単に間違っているというだけです) 要するに、音楽の動機やメロディラインは、西洋クラシック以外が根源でも、 表記=実際の演奏、は五線譜のルールに従っている・・・ということ。 だから、誰もクラシックがすべての音楽の根源だなんて言ってませんよ。 五線譜以外で書かれている楽譜であれば、それはクラシックの基本とは関係のない 音楽です。

回答No.6

そもそも比較しようという発想自体が間違ってると思いますけどね。 現代のポピュラー音楽が勝れているというのも、クラシックが勝れているというのも、どちらも不毛。 所詮クラシックは、今となっては創作としては死んだ音楽。何百年後かの音楽の教科書には18~19世紀の音楽、20世紀後半~21世紀の音楽として別項目で掲載されるものですよ。それの優劣など、問うても仕方がないこと。 古典期はいまから二百数十年前。古典期から二百数十年前はルネサンス。 ルネサンスと古典を比べてどっちが勝れているという愚か者はまずいません。 その代わりどちらが好きかという話ならいくらでもあるでしょう。 ちなみに、私は古典派はボッケリーニを除いて基本的に嫌い。ルネサンスのほうが好きです。根っからの対位法人間なので、旋律が絡まない音楽は好まない。なので自分の中での好ききらいの序列で言うと 古楽(中世・ルネサンス・バロック)~現代ポップス>古典派・ロマン派 古典派・ロマン派は滅多に聴きません。自分が嫌いなものを無理して聞く必要などないし、自分が好きだからといってこれが優れた音楽だといって人に強要するのも間違いです。(聞いてみろと薦めるくらいならともかく。)

emlleisman
質問者

補足

そういえば、hitokotonusiさんの写真もボッケリーニのようですね・・・。 イメージからいうと、古楽のほうが旋律が単調のような気がするのですが・・・・ やはり私も古典音楽でも、重厚な古楽は好きです。 が、ボッケリーニは・・・ どちらにしても、ルネサンス期などの作曲家にどのような人がいるのかあまり知らないので 何とも言えませんね。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.5

まず抗議として、ご自身の意見をあたかも正論である風に見せるために、相手の意見を間違いに仕立てるということは大人げない・・・ということは言わせて頂きます。その実例を以下に。  >音楽理論が18世紀~20世紀にかけて作られたという意味で言っているなら、全く間違っていますね。 そうですね、それはそうですし、ここの回答の誰もそんなこと言ってませんよね。 この時代の音楽理論をあたかも「音楽の全ての根源」であるかのような大変初歩的な誤解をしている方はクラシック愛好家にも少なくないようなので、emlleismanさんのお話しぶりからもそうではないかと一応推測させて貰ったのです。違うなら違うでそう言って欲しかったですね。無理矢理他人に「間違い」の濡れ衣を着せるなんてことはせずに。  >音楽理論と言ったら、機能和声と長短音階しかないと思っていませんか? 思ってませんし、そんなことどこにも言ってもいませんよ。この時代のその「音楽理論」を語る上で、例として機能和声や長短音階を挙げるのが一番端的でわかり易いだろうと思ったまでです。実際そうだと思いますし。旋法についてもそうです。「近代まであまり無かったもの」だなんて一言も言ってませんし、言うわけもありません。それは和声や長短音階が西洋クラシック以前に無かった訳ではないのと同じ。 ・・・で、長々と補足文をお書きになった割に「他人の意見を無理矢理間違いに仕立てて、そのありもしない間違い正しに徹している」ばかりで、結局こちらの何の質問も答えてもらってないんですよね。emlleismanさんの知りたいとしている「クラシックが音楽の基礎か否か?」をより正確に語る上で必要な確認だったのですけど。 emlleismanさんがあえて触れない部分があるのは、おそらくご自身のおっしゃった「軽めの現代音楽」とやらについてもよくわかっていらっしゃらないようですし、クラブミュージックについてもよく知らないということなのでしょうね。  >機能的和声で分類される協和音、半協和音、不協和音のうちの不協和音を主軸に据えた音楽は、まだ協和音、半協和音音楽よりも未熟だと言わざるを得ないことから、音楽のレベルにおいて優位だとは言えませんね。すくなくとも、あまりにも突飛な旋法や、不協和音の理論から外れたものは、ヘボい曲になりがちです。 「未熟」「優位」「ヘボい曲」というemlleismanさんの趣味・センスの話は目に付きますが、何の理論的な説明も見当たらないのですが・・・「クラシックが音楽の基礎か?」を語るのにそんな話がしたかったのでしょうか? でもこれだけは言えますね。モーツァルトの時代の音楽は100年以上も前に崩壊し消えましたが、ドビュッシーの時代のクラシック音楽や同時期に始まったジャズ、その後のロックを始めとした大衆音楽・・等が扉を開いた「近現代の音楽理論・美意識(音楽に何を求めるか)」は、少なくとも現代に「今の音楽、芸術」として残っています。それは現実です。 emlleismanさんが「未熟」「ヘボい」と言っている表現法(理論)の多くも、おそらくそれらに当たるのでしょうけど・・・近現代の多くの音楽家・芸術家達が「古典の時代の表現法」ではなく、そちらに答えを見出してしまったのですから、ワガママ言っても仕方ないです。  >これも音楽理論に含まれる可能性が・・・なぜなら既存の音楽理論を参照しているから・・ 「既存の表現法Aを知った者が、新たな表現法Bを生み出したら、BはAに含まれる」等というのは全く論理的ではないです。それは調味料の例えで既に指摘したはずなのですが、理会出来なかったようですね、わかりにくくてすみません。 「塩」が先に見出されその後に「スパイス」が出てきたら、「スパイス」は「塩」に含まれますか? そういうことです。 モーツァルトとイージーリスニングを同列に扱った訳ではないのですが、emlleismanさんが特に気にしてらっしゃる理論の観点なら、ドビュッシーの音楽がこの2つの音楽の視点からは計れないものを多く含んでいることは確かです。にも関わらず「モーツァルトよりドビュッシーの方がイージーリスニングに近い」等と安易に言い切ってしまうことが、近現代以降の音楽への見識の浅さを証明していると思います。たぶんある人からすれば「なんとなく近代っぽい」「宮廷音楽っぽくない」から「仲間」でしかないのかもしれませんけど、そんな人は「理論だの、世界の音楽の基礎だの、あれこれ語るな」ですね。 >音楽の中で、最も高度で作曲するのが難しいのが宮廷音楽で、現代の安易な楽曲をそれと比べると まるで現代の音楽は聞けたものではない・・・・。 ですからemlleismanさんはこれが言いたかったんですよね、わかります。新旧のあらゆる世界の音楽にフェアな立場であるフリなんてしないで、最初からそう言えばいいのに。 おそらくそういう知性の無いことを言った時点で誰も聞く耳なんて持たないのをemlleismanさん自身よくわかっているから・・ということなのでしょう。正直です。

emlleisman
質問者

補足

私が、あなたの間違っている考え方を正したからといって、なぜそれがあなたに“濡れ衣”を 着せることになるの? あなたのほうがあなたが間違っていたことを、私になすりつけて私に“濡れ衣” を着せようとしている事は明らかです!! あなたは、はっきりこう書いてますよ・・・ >古典・ロマンの時代に確立した「音楽理論」は、ただその時代に「ある一部分が意識され研究されるようになった」というだけで、それまで世界に全く無かったものである訳では決してないことはおわかりですよね? 「機能和声」や「長短音階(ダイアトニック)」というのは、ただそこに自然事象として、世界に音楽としてあったものを西洋人が見つけて注目したというだけで、別に当時のクラシック畑(と言えばいいのか)の人が生み出した訳でもありません。 あなたは明らかにクラシックの音楽理論(機能和声や長短音階)は、古典・ロマンの時代(18世紀以降) に確立した・・・といっています。だから、それは違うといったのですが・・・ 文章の意味が分からなかったのですか? 私は、この時代(18世紀以降)の細かい音楽理論が ‘音楽のすべての根源’だなんて一言も言っていません。最初の質問で、軽めの現代音楽やポピュラー 音楽を引き合いに出して‘クラシックよりも優れている’‘クラシックが音楽の基礎とは言えない’という人がいる・・・ということを言ったのですが・・。ポピュラー音楽がクラシック音楽からきているとは思いませんし、クラシックとは全く別のものだと思いますが、そのポピュラー音楽でさえ移調などはクラシック音楽から来た規則をもとにしている・・・といったのです。 それと・・話をまぜっかえさないでもらいたいですね。 あなたの言う“西洋クラシック以前”というのはいつの時代のことを言っているのですか? 紀元前の話をしているとしか思えませんが・・・。紀元前に人がどんな音楽を演奏していたかなんて あなたに断言できるのですか? 私があなたに言いたかったのは、クラシック音楽の理論には、機能的和声と長短音階しかないと 思っているのではないか?ということです。クラシックに分類される5世紀~10世紀にかけてのイタリア音楽には、長短音階以外の旋法の楽曲が無数にありますが、それらは五線譜の楽譜として残っている限り 西洋音楽として残っているのですがね。もちろんそれらがクラシック音楽の一部だということは明らかです。その当時からずっと理論的に研究されてもいるので、後々の音楽家・・・ベートーベンなどは自分に合った音階を使おうと発想したのは理の当然ですね。だからあなたのいう、西洋クラシック以前というのが、不思議な言葉にきこえますね。いったいいつの時代のことか?・・・・と。 >結局こちらの何の質問も答えてもらっていない このコーナーで質問者なのは私なのですが・・・・。あなたが質問したのは、‘軽めの現代音楽とは~どんなものですか?’ですが、軽めの現代音楽・・・に関しては、ドビュッシーやラベルなどをイメージしていいました。 あなたの言う、‘ドビュッシーには~計りきれないものがある’というのはどうことを言うのか はっきりしませんが、モーツァルトのほうが、イージーリスニングに近いとは思いません。ドビュッシー の楽曲には、目先の変わった和音をばらして展開して装飾音を付けた楽曲が圧倒的に多いように見えます。しかし、そのドビュッシーだってクラシック音楽に分類されていますけれどね。 >「未熟」「優位」「ヘボい曲」というemlleismanさんの趣味・センスの話は目に付きますが、何の理論的な説明も見当たらないのですが・・・ 旋法にもいったん音階が決まったら規則というものがあると思います。不協和音音楽にも、もちろん 理論がありますし、それからあまりにも逸脱した中途半端な曲は音楽としては、聴ける曲として完成しているとは言えないのでは? 不協和音音楽に関していま現在、理論的にそれを深く理解している人はほとんどいませんし、それを細かく説明できたら不協和音音楽の大家になれますよ。でも大家でなくても、善し悪しはなんとなくわかるでしょ・・・・。 それから、「塩」と「スパイス」はたとえとしては、当てはまりませんね。スパイスは塩を参照にして 現れたわけではないですから・・・。塩とスパイスは全く別物です。 いま現在の音楽で五線譜で書かれていないもの・・・ってあるのでしょうか? 五線譜そのものがクラシックからきていると思いますが、五線譜と音符で書かれていないものがあるとしたら、それは西洋のクラシックが根源ではないといえますが・・・・。エレクトロニック音楽でも スティーブン・ライヒなどが中核ですが、まったく西洋音楽と関係ない音楽ではないですからね。 >モーツァルトの時代の音楽は100年以上も前に崩壊し消えましたが、ドビュッシーの時代のクラシック音楽や同時期に始まったジャズ、その後のロックを始めとした大衆音楽・・ これも逆のような気がします。モーツァルトを聴く人は一般的にいって結構最近の人でもいますが、 ロックなどに関しては、たとえば最近の人で、エルビィスを聴く人はあまり見かけません。 ロック音楽って、個別のシンガーという部分では割と入れ替わりが速いですよね。 楽曲も大抵5年くらいたつと、あまり聴かれなくなります。古いのだとか・・・・ 確かに、宮廷音楽の時代は終わりましたが、ドヴォルザーグやコダーイなど20世紀半ばまでクラシック音楽を作曲していた人はいますよ。ムラビィンスキーやセゲルスタムなどもそうです。だから、まだ西洋クラシック音楽が死滅したわけではありません。 最後に、あなたは私を侮辱するようなことを平気で言っていますので、私も正直に言います。 知性がないのはあなたのほうで私ではありません。あなたが言っている様々な大きな間違いが、 それを証明しています。大体が18世紀以前の西洋クラシック音楽の理論に旋法がなかったと思っているところや、ロマン派音楽が19世紀にはじまったと思っているようなところは、 話になりませんね。 なにより、私は‘クラシック音楽がすべての音楽の根源’だとは一言も言っていません。 ちゃんと私の文章を読んでますか?

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

1。‘クラシックの古典的な楽曲よりも、優れている’とか‘クラシックが音楽の基本だということはい・・・’とか言ってますが、本当にそう思っているのでしょうか?    さあ、ご本人に聞くほか無いでしょう。 2。それが、クラシック音楽よりも優れている・・・とは思いませんが・・・・どうなのでしょうか?      僕は質問者さんと同意見です。世の中には気の毒な人もいますね。

  • Tann3
  • ベストアンサー率51% (708/1381)
回答No.3

 今のクラシック音楽は、単なる「古典芸能保存」ですから、現在流通している他の音楽と同じ立場で比べるのはベースが違います。  今の音楽が、100年、200年前の音楽、特にヨーロッパの音楽の延長線上にあるのは当然のことで、その「100年、200年前のヨーロッパ音楽」が「クラシック音楽」と呼ばれているのです。「クラシックが音楽の基本」というのが、「現在の音楽(の大半)が100年、200年前のヨーロッパ音楽の延長線上にある」というのと同じ意味で語られているのであれば、その通りです。  現在は、日本の伝統音楽の琴や三味線も、楽譜としては五線譜を使って教えやすくしているということも聞きます。日本の伝統的な音律も、ほとんど西洋音階の平均律に置き換えられています。  そう考えれば、「100年、200年前のヨーロッパ音楽」を通じて確立された音律やリズム、和声、記譜法などが、現在の音楽の共通言語として使われていることは間違いないでしょう。  しかし、その確立された約束事を指して「クラシック音楽」の独占物とするのは間違いです。  「猿人」と「人」と「猿」の関係のようなものですね。クラシック音楽は「猿人」です。そして、ゲンダイオンガク(現代のクラシック音楽)が「猿人」から進化した「猿」、ポピュラー音楽が「猿人」から進化した「人」のような関係です。

emlleisman
質問者

補足

驚くべき表現ですね・・・・・。 クラシックを“猿人”に例えるなんて・・・・!! 逆だと思いますね・・・。 はっきりいって、現在のポピュラー音楽の中には、それこそ‘猿’の雄たけび を繰り返しているような曲が実際にありますし、 現代音楽もはっきり言って、長大なる歴史を誇る西洋古典音楽の上に乗っかっている ‘猿人’のような、鍵盤をやみくもにたたいているように に聞こえなくもない曲もあります。 それからいうと、もともとのまともなクラシック音楽(誰かが改ざんしたのではない)は理性的な音楽に聞こえますから、人間的といえるかも・・ こういう言い方は、偏見だといわれたくないのでしたくないのですが・・・・。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.2

 >軽めの現代音楽 ってのがよくわからないんですが、どんなものですか? 久石譲とかポールモーリアとかああいうやつのことですか? おそらく「クラシックが音楽の基本だということはない」なんてある程度語れるような人は、そんなもの評価していない(興味も無い)と思いますが・・・たぶんジャズとかブラック、映画音楽や民族音楽やもっとマニアックなポップミュージックなんかを見ているような人だと思います。(・・・でないと、クラシックと久石譲を知っているというだけでは、クラシックと近代以降の音楽の相対的見解なんてとても述べられないですので。)  >クラブミュージックなどはアフリカ音楽からきているといいますが、 誰が言ったんですか? まぁクラブミュージックをよく知らない(聞きもしない)人が言い切りそうな台詞ですが、実際は今の「クラブミュージック」等と呼ばれているようなものはそんなに一面的なものではないですね。ブラックミュージックが大きな関心事の1つになっているのは確かですけどね。今となってはあくまで「たくさんある影響下の中の1つ」ですね。  >そういう音楽でも移調するときにはクラシックの理論通りに移調しますよね? emlleismanさんのおっしゃる「理論」なんてものはおそらく西洋の古典~ロマンの時代に確立した音楽理論や作法のことだと思いますが。 少なくとも近代以降の音楽・・・現代に溢れている様々な音楽は、当時の「理論」の枠に収まっていないから「近代・現代音楽」なのです。今の時代にモーツァルトのような音楽を作る人がいても「は?」ですし、作る人もいないですよね。音楽に詳しくない者でも解るそれらの「違い」があるとしたら、そういうことです。 西洋音楽はよく、ドビュッシーの時代に「理論(これに、その他の表現手段や美意識そのものも含めていいです)が拡大された」と言われますが、勿論「従来の表現におさまっていない」というだけで、従来の「表現」を使っている部分も大きいですので、そこが音楽認識の薄い人に「全てクラシカルな時代の理論によっている」と誤解されがちな部分なのです。 塩だけを使った料理の時代から、さらに砂糖、様々な醗酵調味料、多種多様なスパイス、出汁・ブイヨン、化学調味料・・様々な調味料を使う料理が発展したとして、確かに塩が料理発展のきっかけにはなったかもしれませんが「料理は塩がルーツです」とか「塩が全ての根本です」とは言えないでしょう? 塩はあくまでたくさんある「調味料」の1つ。ポピュラーではあるかもしれないけれど。古典・ロマンの時代の「音楽理論」を「今の音楽の根源」と言うことは、ただの一調味料である塩を「今の全ての調味料の根源」というようなことです。 それから「記譜法」が確立されたことも大きいです。優れた記譜法のおかげで当時の西洋音楽・理論が今に残るようになったというだけなのに、これもしばしばあたかもクラシックが世界の音楽の根源であるかのような誤解のもとになっていると思います。 それから何よりここが重要。 古典・ロマンの時代に確立した「音楽理論」は、ただその時代に「ある一部分が意識され研究されるようになった」というだけで、それまで世界に全く無かったものである訳では決してないことはおわかりですよね? 「機能和声」や「長短音階(ダイアトニック)」というのは、ただそこに自然事象として、世界に音楽としてあったものを西洋人が見つけて注目したというだけで、別に当時のクラシック畑(と言えばいいのか)の人が生み出した訳でもありません。 ましてやこの2つは基本でもなんでもありません。一例だと、所謂「長・短音階」は、それまで西洋で当たり前に使われていた各種旋法から和声・コードにより都合の良い2つだけを選択したものでしかない、ということはご存知ですか? ここにドビュッシーのように再び旋法を取り入れてくるとそれまで幅を利かせていた「機能和声」には必然的に限界が出てくるので、和声の解釈を拡大するしかありません。つまりそれまでの「機能和声」や「ダイアトニック」はそんな一面的なものでしかないのです。 で、今でも多くの場でこの「機能和声」「ダイアトニック」を思わせる(「思わせる」としたのは、今の多くの音楽は当然その表現だけに収まらないからです)音楽をよく耳にするように感じるのは、単にそれが音楽として「扱い易い(より単純明快で解り易い)」から「今の大衆音楽で幅を利かせている」というのもあります。ただそれだけのことであって、「音楽の根本の全て」でもなんでもないのです。 そういう意味では「クラシックが音楽の基本だということはない」というのは正しいのでは。「見方によっては正しい」のでもなんでもなく、これが真理です。そこをあたかも「世界の全ての音楽が、一度クラシックの世界を通り抜けて、今の様々な音楽に拡がっていった」というのは、あまりに乱暴だと思います。たぶん子供でもこの矛盾くらいはわかりますよ。 今の世界に溢れている様々な音楽にろくに目を向けず、モーツァルトやつまらないイージーリスニングやjpopや歌謡曲しか聴かないようなことをしていると、おそらくそんな当たり前のことすら解らないようなことになるんだと思います。もし「クラシック愛好者やモーツァルト信奉者をけなす」ような声があるのだとしたら、それはおそらくそういった人達への反感の意図でしょうね。

emlleisman
質問者

補足

クラシック音楽に関して、あまりにも単純な固定観念を持っているようにみえるけど・・・ >古典・ロマン時代に確立した「音楽理論」・・・・ 音楽理論が18世紀~20世紀にかけて作られたという意味で言っているなら、全く間違っていますね。 音楽の理論的な構築は実に、紀元前のピタゴラスなどの時代から始まっており、歴史は 想像を絶するほど長い。機能和声や長短音階がいつごろ成立したか、詳しく知りませんが、 あなたが言うよりもはるかに以前だという事は断言できます。 それから、あなたのいっている“ロマン派”は、どの時代のことを 言っているのか知りませんが、ロマン主義音楽と言ったらもともと10世紀前後のイタリアの宮廷音楽のことをいいます。その時代、イタリアの貴族や宮廷音楽の世界では、恋愛詩などに音楽を つけて歌って演奏するのが流行っていました。もちろん誰でもが音楽を作曲できるわけではないので、 音楽理論を知っている専門家・・・トルヴァドゥールと呼ばれる吟遊詩人兼音楽家がその中心であったと考えられます。したがって、すくなくともその時代には、音楽理論が存在したことになります。 >所謂「長・短音階」は、それまで西洋で当たり前に使われていた各種旋法から和声・コードにより都合の良い2つだけを選択したものでしかない >ここにドビュッシーのように再び旋法を取り入れてくるとそれまで幅を利かせていた「機能和声」には必然的に限界が出てくるので、和声の解釈を拡大するしかありません 音楽理論と言ったら、機能和声と長短音階しかないと思っていませんか? まず、最初に長短音階の発見から始まって、各種旋法が理論的に裏付けされていったのが音楽の始まりではないか、と思うのですが、長短音階の範疇の音楽の中で、さまざまなフレーズや規則などが、18世紀ごろになってもまだしきりに開拓されていたことからクラシック=長短音階という間違ったイメージが定着したみたいですね。もちろん、10世紀前後のイタリアの教会音楽には、独自の旋法が使われていましたし、(彼らはそれを理論的にやっていたのではないかと思われる) 一番有名なのは、もちろんのこと・・・ベートーベンのナポリの音階です。だから、ドビュッシーが再び旋法を取り入れたさきがけではないですし、機能的和声で分類される協和音、半協和音、不協和音のうちの不協和音を主軸に据えた音楽は、まだ協和音、半協和音音楽よりも未熟だと言わざるを得ないことから、音楽のレベルにおいて優位だとは言えませんね。すくなくとも、あまりにも突飛な旋法や、不協和音の理論(20世紀になって構築されたもので、これも音楽理論に含まれる可能性が・・・なぜなら既存の音楽理論を参照しているから・・ ヨーロッパの各学派は全く認めていませんが・・)から外れたものは、ヘボい曲になりがちです。 世の中には民族音楽などにいろんな旋法があるようですが、五線譜で表記できるならほとんど音楽理論で 分析できると思いますね。 >モーツァルトやつまらないイージーリスニング・・・・ モーツァルトとイージーリスニングをいっしょくたにするとは・・・唖然としますね。 あなたにいったいモーツァルトの何がわかっているというのですか? イージーリスニングとモーツァルトとは、まるで対極にありますよ。 むしろそれくらいならドビュッシーをイージーリスニングとすべきです。 音楽の中で、最も高度で作曲するのが難しいのが宮廷音楽で、現代の安易な楽曲をそれと比べると まるで現代の音楽は聞けたものではない・・・・。 モーツァルトはその宮廷音楽を体現する宮廷作曲家だったのですからね。

  • keirimas
  • ベストアンサー率28% (1119/3993)
回答No.1

>クラシック音楽を愛好する人たちやモーツァルトをけなすような人を見かけます 「クラシック音楽を愛好する人たちやモーツァルト」をけなすような人を見かけます 「クラシック音楽を愛好する人たち」や「モーツァルトをけなすような人」を見かけます 上のどちらの意味でしょうか。 私はクラシック音楽は好きですが、モーツァトは苦手です。けなしはしませんが。 音楽が優れている、というのは自分が聞いて好きか嫌いかということだと思います。 「クラシック音楽がどんなに優れている」と力説してみたとこころで、聴く人がなにも感じず、ポップス曲、クラブミュージックが好きであれば、プップスや軽めの音楽のほうがその人にとっては優れている、それでいいと思います。

emlleisman
質問者

補足

「クラシック音楽を愛好する人たちやモーツァルト」をけなす人がいる・・です。 どのジャンルの音楽が好きかは個人の好みによると思います。 しかし、好きか嫌いか、というのと‘優れているか’というのは違う場合があると思いますね。 何事にも優劣をつけたがる人がいて、クラシック音楽よりもポップスや 軽めの現代音楽のほうが上だという人は、実際にいます。 (何が上なのかはっきりしませんが・・・) 私の持論では、大体がジャンルの異なるクラシック音楽とポップスやクラブミュージックを 比較すること自体が、おかしいと思いますが・・・。 それと、「クラシックが音楽の基本だとは言えない」に関しては、 イメージだけで言っているような感じがします。

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