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クラシック音楽に何を聴く?

以前から漠然とした興味はありましたが、最近になり急にクラシック熱が復活し、それに伴って漠然と感じていたタイトルにある疑問について皆さんの意見を聞かせて頂きたく思い質問させてもらいました。 一つの物の楽しみ方は人それぞれで、正解はないとは思います。それにクラシックにも様々な要素があると思いますが、皆さんはどこに惹かれてクラシックを愛好しているのでしょうか? クラシックのどこに魅力を感じるのか、どういうアプローチをしているのか、または軌跡等を教えて頂けないでしょうか? 自分は音楽に対し全くの無知で、「楽典」などは手に取った事もありません。しかし、一度興味を持つと、いろんな方向からアプローチしたくなり結局は「虻蜂取らず」になってしまうのが恒ですが、今回は趣味として長く付き合っていきたく思います。 少々広範かつ漠然とした質問で答えにくいとは思いますが、出来るだけ多くの方に多くの事を教えていただけたら嬉しいです。よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Leonora
  • ベストアンサー率49% (204/410)
回答No.14

こんにちわ。 “指導”何か誤解があるようですが^^;、声楽もピアノも「下手の横好き」で、あくまで趣味として レッスンに通っているだけなんですヨ。しかもどちらも大人になってから始めたので「かたつむり」の ように歩みは遅く、上達も一向にしないのですけれど… 人間の声が一番美しいかどうかはわかりませんが、自身でうまく声も身体もコントロールできれば、 それはそれはすばらしい声が出せると思います。現に大好きな声楽家の方の演奏会に足を運んだことが ありますが、その時は天から声が降ってくるような気がして自然と涙がこぼれました。 しかし、わたしのように素人で、うまくコントロールをできなければ、声は騒音に近いものかもしれません。 そういう意味では同じ歌を歌うという行為でもプロ(超一流)と素人は両極端に位置しているのでは ないかと思っています。>_< 話は脱線しますが、わたしが歌を歌うきっかけになったのは前回にも書きましたが、大好きな声楽家ができ その方と同じ歌を同じように(もちろんムリです)歌いたいという「野望」笑 からでした。ですので、 誰かに聞いてもらうとかそのような目的は全くなく、あくまで自己満足のためです。今、わたしを教えて 下さっている先生はそこのところをよ~く理解して下さっているので、わたしたちのレッスンはいわゆる 通常の「声楽のレッスン」とはかけ離れたものになっていると思います。自分が歌いたいものを(楽譜を) 持っていって「今回はコレでお願いします」「頑張りましょう」方式でやっていますし、楽譜と目標とする 方の歌い方が違っていれば楽譜もアレンジして歌い、まったく好き勝手に(笑)しているので、真面目に 勉強されている方からすればお叱りをうける方式かもしれませんね。 でも、これでいいとわたしは思います。音楽は自分が心から楽しめなければ意味がないと思っていますし、 技術を磨くことに一生懸命になりすぎて、結果楽しくなくなってしまえば、わたしは音楽とはもうつき合え ないかもしれません。 そういうスタンスで音楽とかかわっている自分が好きですし、それでいいと思っています。 質問者様は真面目な方なのでいろいろ考えてしまっているのでしょうが、たまにはわたしのように思って 音楽とつき合っていくのも悪くないと思いますよ。 さて、オススメの音楽をと言うことですが、以下はわたしが大好きな曲もしくは思い入れがある曲です。 いつか、機会があれば聞いてみてくださいね。 「月によせる歌」…ドヴォルザークのオペラ「ルサルカ」の中のアリアです。月のきれいな道をこの曲を 聴きながら歩くと、とても贅沢な気分になります。 「ねむの木の子守唄」…皇后美智子様が高校生のころに作詞され、のちに山本正美さん(指揮者の 故山本直純さんの奥様)によって作曲されたものです。 わたしは小学生の頃、合唱団に入っていましたが、地元の普通の合唱団で特に他よりも優れている わけではないのですが、どういう経緯か実際に天皇皇后両陛下(当時は皇太子)の目の前で歌うことに なりました。よくわからないながらもその当時は子供なりにとても感激しましたし、この曲は、今では一生の 宝物になっています。 何だか、だらだらと長くなり、おまけにご質問にも上手に答えられませんが、参考になれば幸いです。

moscata
質問者

お礼

度々の回答、ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありませんでした。 回答、参考にさせて頂きます。 最近はロマン・ロランの「ベートーベンの生涯」やグロウヴ「フランツ・シューベルト」を読んだりしています。 もうちょっと早くいろんな本を手に取ればよかったな~と思っています。 最近になって(少々恥ずかしいのですが…)、音楽も自己表現の一つであり、形式的には文学と同様に捉えれば理解し易いのではないかと思いはじめました。 外国文学を例にとれば、 原書を読む→実際に演奏する。 読解   →アナリーゼ 翻訳を読む→演奏を聴く     訳者によるニュアンスの違い→演奏者による解釈の違い etc そうだと考えればやはり語学の文法の様に、楽典にも目を通した方がいいのかのなと思いました。 演奏家にも評論家にもなるつもりは毛頭ありませんが、こういうジャンルの事に興味を持つと、若年時からの学習が重要であることから、手遅れ感をヒシヒシと感じて…友人からは卑屈だとキツイ一言をもらいました…。 上手く表現出来ていない駄文で申し訳ありません。 回答、ありがとうございました!

その他の回答 (13)

noname#14928
noname#14928
回答No.13

こんにちは!私もクラシック大好きです(^o^) 私は高校生で学校の吹奏楽部に所属しているので普段から音楽には接しているのですが、中3のときにベートーベンの第九を演奏する機会があり、そのときからオーケストラにどっぷりつかるようになってしまいました。私が思うに、クラシックは聞くたびに新たな発見があると思います(私がよく発見するのは、「この楽器はこんなメロディーも吹いてたのかー!!」とか「ここのリズムはカッコイイ!とか・・・」)。年齢に関係なく話ができるし、ホント聞いてて飽きないですね(^o^)そこがクラシックのいいトコロだと思います!なんか脈絡のない回答でごめんなさいm(_ _)m でも、クラシックは本当にスバラシイと思います!!

moscata
質問者

お礼

回答ありがとうございます! どうも最近感性が鈍っていて、haribo1203さんのように敏感に感じることが出来なくなりつつあるんですよね…。ショック…。 惰眠を貪っている自分の感性を揺さぶり起こしているところです!

noname#29110
noname#29110
回答No.12

#11です。質問者さんはピアノ弾きなんですね。 リスナーかと思い助言を書きました。これは失礼 汗

noname#29110
noname#29110
回答No.11

質問者さんに助言をさせて頂きたいと思います。もし、不要なら、流してください。私の意見はあくまで私の1意見です。これを前書きとして書きこみたいと思います。 他人にとってのクラシック音楽の魅力を質問しているのは承知しております。しかし、言わせてください。 どうかご自分の感性で、クラシックの魅力を感じとって下さい。人の感性は関係ありません。質問者さんにとってのクラシック音楽の意義が大切なのです。 あなたの楽しみ方をなさってください。あなたにとっての楽しい聴き方、楽しみ方をなさってください。 あなたの感性でクラシックの魅力を捕らえてください。 他の人は関係ありません。 私は#9の方とのやり取りを見て、思いました。 楽譜を暗譜するまでに、楽しまないともったいないという意見に対して、質問者さんご自身の不安を指摘されたようだと、質問者さんは書きました。 何が不安なのでしょう。暗譜云々はあくまで#9の方の楽しみ方であると思います。#9さんにとっては価値があっても、他の人には関係ありません。 クラシック音楽は追求していけばきりの無い世界だと思いますが、どこまで追求するかは個々人に委ねられていると思います。 聴いて楽しめればいい人。それだけでは飽き足らず、暗譜したり、その作曲家の生涯や時代背景、ヨーロッパの精神史を学ぶ人。様々な探求があるかと思います。 教養をつけるためならば、楽譜を読めるようにしたり、作曲家の生涯云々、いくらでも学ぶことはあり、研究にきりは無いかと思います。 しかし、教養をつけるために聴いているのか、楽しむために聴いているのか。その点は全く質問者さんに委ねられていると思います。 もし、クラシックを聴く理由が全く個人的なこと、つまり自分の趣味であれば、自分が楽しめるように聴けばいいだけでではないでしょうか。   自分が楽しむだけならば、楽譜を読める必要性も作曲家の生きた時代背景を調べる必要性も無いと思います。 もちろんそうした知識の蓄積を好きでやっているのならばいいと思いますが。 とにかく言いたいことは、自分が好きでクラシックを聴くのでしたら、自分の感性で聴くべきです。 演奏一つ取っても、批評家がいいと言ったから、いい演奏だと思う。これでは、自分の感性を否定したことになります。 自分の感性でしか聴くことができないのだから、自分の感性で聴くべきです。そして自分にとっていい曲、いい演奏は全ていい演奏なのです。 感性は個性です。それを否定することは自分を否定することです。自分の感じ方、自分の存在を否定することです。 一つの曲のCDを何枚も聴いたりして楽しむ人もいますが、自分が1枚で満足すれば、それでいいと思います。人が何枚も買っているからといって、買う必要は無いのではないかと思います。 まあ、まとまりがいまいち無い文章しか書けませんが、 要約すると、 自己の感性で聴き、自己の楽しみ方で楽しみ、自分にとってのクラシックの存在意義を持たせる。クラシックの魅力は自分の感じたものが自分にとってのもの。自分だけのもの。人が感じたものもその人だけのもの。 自分の感性でしか芸術は捕らえることができないのです。 #9さんとのやり取りから推測して、アドバイスしましたが、私の勘違いで的外れでしたら流してください。

moscata
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます! aqua565さんのお話はもっともです。私のお礼の文章が少々マズかったようですね。 人其々の楽しみ方があるからこそ楽しいのであって、「お手本」通りでは取って付けた様な「教養」としての知識しか手に入らないと思っております。 しかし、今回クラシック音楽に再び興味を持つにあたって、最初に疑問に生じた事は、「クラシック音楽のどこにみんなは興味を持つのか、どう楽しんでいるのか?」でした。 文字とは違い、音、旋律(?)を楽しむ。では何故その音を美しく思うのか…。 そう考えて行き、「名曲に何を聞くか」という本を読もうと思うも音楽用語に挫折。それでは「楽典」から読まなきゃ…。そういえば「美学」の本も再読した方がいいかも…。 際限なく疑問と興味が沸いてくるので、自分の能力では手に負えなくなり、皆さんの経験そしてアドバイスを聞かせて頂き、参考にさせて頂こうと思いました。 その結果、aqua565さんをはじめとして、沢山の方からお話を伺う事ができて、大変感謝しております。 皆さんの意見を心に留めて、クラシック音楽を楽しんでいきたいと思っております。現在は、定評のある廉価版CDで多くの奏者と作曲家のCDを聞いてみようかと思っています。神保けい一郎の本を参考にしたり、作曲家の書簡集を読んだりして楽しんでいます。 いろんな方の意見を参考にしつつも、「自己の感性で聴き、自己の楽しみ方で楽しみ~」を基本としていきたいと思います。 aqua565さんの助言は勘違いや的外れではありませんよ!大変参考になりました。ありがとうございました!

  • Natsuji
  • ベストアンサー率23% (72/307)
回答No.10

クラッシックのすごいところは、「音楽に国境無し。」ってとこでしょうか? 仕事がら世界のいろんな国に行くのですが、言葉が通じない人達でもベートーベンやモーツアルトは知ってるんですよね。 だから、出張先の国のデパートのピアノ売り場でリストでも弾けば、周りに人たかりができ、曲名を言うだけですが現地の人と笑顔でコミュニケーションがとれるんですよね、これって、とても素敵な事だと思います。 これって、クラッシックならではじゃないでしょうか? ブラジルでモーニング娘のナンバーをピアノで弾いても 誰もその曲わからないですもんね。

moscata
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます! 素敵なエピソードですね!今の僕の実力では夢ではありますが、そうなりたいものです。 コミュニケーションツールとしてのピアノ、いいかも知れませんね。手軽に弾ける楽器を趣味と した時の利点ですね。参考になりました! ありがとうございました!

noname#35761
noname#35761
回答No.9

はじめまして。他の方のご回答、私も楽しんで読ませていただきました。私も、重複しますが2つほど回答させてください。 まず1つは、一部のクラシックは本当に作曲家の一番深い部分から湧き出てくるもので、これは他のジャンルの音楽では体験できないものだということです。というと「他のジャンルを誹謗するな」とお叱りを受けそうですが、言葉を換えるとすれば、例えばポップスを聴いても感動しますよね。しかしその感動は、広く最大公約数的なもので、それだけ深さは浅くなりざるを得ない。ナゼカというと、ポップスは売らなければならないので最大公約数的感動を持つものでなくてはならないという宿命を最初から持っているからです。 しかしクラシックでは(例外もありますが)そういう要素はありません。作曲家がごくごく個人的に、その非常に特殊な心情を吐露する。だから共鳴も深まるわけです。例えば本を読んでいて、「こんなこと感じてるのは世界で自分だけに違いない」というような特殊な感情を、その本で見つけたとしますよね。するとその本は、あなたにとってかけがえのないものになります。ヒトは、特殊な感情を共有できると、それが特殊であればあるほど、それは貴重な存在になるわけです。逆に、波長が合わない作曲家は生理的に受け付けないほどに嫌いになる。ショスタコーヴィッチやマーラーはその好例と言え、死ぬほど好きな人か死ぬほど嫌いな人のどちらかに、キレイに分かれます。だからそれを論争するのは最初から意味がありません。 しかし、そういう作曲家に出会うことは、実際の人生で素晴らしい師に出会うことと同等の意義があります。 さらに、クラシックは「世界で選ばれた天才」の音楽です。しかも歴史にも淘汰されている。「世界の天才」の音楽はクラシック以外でも聴けますが、100年経ってもなお聴かれ続ける、というのはほとんど例がありません。例えばプッチーニは正真正銘の大天才ですが、そのメロディや和声は、まったく鳥肌が立つほど良くできています。これは天才以外の何者でもなく、しかもその天才は100年に一人世界中で出るか出ないか、というレベルです。そういう音楽は、おそらく他のジャンルではないのでは、と思います。 そして今ひとつの楽しみは、とことん気に入った曲を死ぬほど聴いて、隅から隅まで憶えますよね。ウォークマンがなくてもアタマの中で全曲再生可能なほどになります。すると、新しい演奏を聴くのがたまらなくエキサイティングになります。この指揮者はこの部分をこう演奏している。このオケの音色はどうである。ピアニストのタッチと解釈はどうである…。だから通ほど、同じ曲のCDがヤマのようにあるわけです。門外漢から見たら、浪費以外の何者でもありませんよね。しかし、これが楽しいのです。 お気に入りの作曲者に巡り会い、その曲を暗譜するまでに憶える。それをせずにBGMのように聴くのも何ら否定しませんが、それではあんまんを買って皮だけ食べるようなもので、私にはもったいないと思えます。 どんな趣味でも、つまるところ「道」そして「奥の院」に繋がります。そこまで至らずに入り口付近で右往左往してクラシックを語るのもよいですが、やはりもったいないと思います。質問者様が今まで身も世もなくハマリこんだ趣味をご想像いただくと、それはやはり「奥の院」に繋がっていたのではないでしょうか。クラシックは、奥の院までの距離がとてつもなく長い趣味です。しかし、そこへたどり着いたときのカタルシスは、他の音楽ではやはり味わえないものだと思うのですが、いかがでしょうか?

moscata
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 Tristan_U様のおっしゃる通りかもしれません。 私の趣味に対する漠然とした不安を言い当てられた気がします。真摯に受け止めてさせて頂きます。 非常に有意義なお話を伺うことが出来た事を感謝します。ありがとうございました。

  • juzube
  • ベストアンサー率43% (149/341)
回答No.8

どんな音楽にもそれぞれの良さがあり、私は日本のめちゃ安っぽいアイドル音楽だって好きですが、クラシック音楽が一番好きです。 あんまり好きになったんでピアノを弾きたいと思い、学生時代にエレピを買って独学しましたが、腱鞘炎もどきになってもろくに弾けないので断念しました(楽譜も何も読めませーん)。 クラシック音楽の一番の魅力は何かと言われれば、なんでもあり、なところでしょうか。 しかも、時代を超えて、時代の選択という試練を乗り越えて生き残ってきた超一級品ばかりでの「なんでもあり」です。 つまり、東西をとわず、時代をとわず、人間の本質に訴えかけるものだけが、クラシック音楽として生き残っているわけです。 (もちろん、ビートルズの音楽なんかもずっと生き残っていくでしょう。クラシックは皆そういうものだ、という意味で書きました) そして、そういうものでありつつ、軽く楽しく俗っぽいものから、重く暗くとてつもなく深い高尚なものまであります。 音楽のスタイルも(楽器をはじめ)あらゆるものがあり、それを解釈する演奏家も古今東西に無数にいて、一人の演奏家でも演奏によってまるで違ったものを記録に残している人もいます。 つまり、「なんでもあり」で「普遍的」で「本質的」で「とてつもなく広範囲」なのがクラシック音楽だと思っています。 私個人にとっては、聞いていて、自分をどーんと超えられるような、破壊されるような瞬間、忘我の瞬間が得られるのがほとんどクラシックのみで、それが最大の魅力になっています(そうした人生を変えるが如き特異経験は滅多にあるものではないですが)。 ロックなどほかの音楽で「乗り越えられる」「破壊される」のは、どうもあまりにも肉体的であったり独りよがりであったりで、私の好みに合いません。 精神的に、つまり、自分の根本が壊され拡大されるという感じは、クラシック特有のもので、ほかの音楽ではよほどのものでない限り感じたことがありません(シャンソンのエディット・ピアフとか素晴らしいものがありますが)。 もちろん、それ以外の楽しみも「なんでもあり」ですからあるわけで、クラシック音楽は、自分を成長させるのに最も有効な音楽だと感じています。 で、そうした青春期の聴き方を超えると、音楽そのものの愉しみ、みたいな、もっと気楽な楽しみかたができるんですね。年齢をも超えて楽しめるのがクラシック音楽です。 なんてあたりが、私の思うクラシック音楽の魅力です。

moscata
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 「自分をどーんと超えられるような、破壊されるような瞬間、忘我の瞬間」 これは未だ感じたことの無い感動かもしれません。 頂いた回答を手掛かりに自分が思うところの魅力を把握したいと思います。 ありがとうございました!

  • tenro
  • ベストアンサー率39% (118/300)
回答No.7

まず、クラシックに限らず、音楽の楽しみ方はいろいろあって良いのだと思います。その音楽を聴いて楽しい気分になったり、悲しくてセンチメンタルになったり、単純に美しいメロディーに感動したり、さまざまな楽しみ方があると思います。いずれも、自分の心をより豊かにしてくれるものです。 そんな中で私がもっとも重要な要素だと思っていることは、作曲者の心を感じとること(もしくは感じとろうとすること)です。つまり、どんな気持ちでそれを作曲したのか?その曲を通じて何を表現したかったのか?ということを、その音楽を通じて自分なりに解釈してみることをです。このような解釈というものは、聞く人の人生経験によっても大きく変わってきます。また、ただ音楽を聴くだけでなく、その作曲家の人生や作曲したときの状況などを知って音楽に重ねてみると別の解釈が生まれてきます。さらに、演奏者によっても同じ曲に対する解釈は様々ですので、同じ曲を異なる演奏者で聞くことでいろいろな解釈を得ることもできます。そのようにして音楽に向かっていると、聞くたびに新しい発見(解釈)に出会うことができます。今まではただ単に美しいと思っていた音楽が、ある日突然作曲家の心に触れることができて涙が止まらなくなるということもあるでしょう。例えば私にとってモーツァルトのピアノ協奏曲20番がそのような曲でした。本当に作曲者の心に触れることなどできなのかもしれませんが、そう思えたとき私はその音楽を聴くことができて本当に良かったと思います。これが私にとっての音楽の最大の魅力です。

moscata
質問者

お礼

文学史や音楽史はテスト勉強の際には最も面白くない物でしたが、興味を持って作品を鑑賞 しようとする時には重要な手がかりとなる、ということですね。 元来、読書や音楽は決して嫌いではないのですが、最近は少々怠けていて、感性・知性共に鈍り 切ってしまっているという誰にも知られたくない事実があり、無感動な人間に成り下がって います…(お恥ずかしい…)。 多少は作品、作者、時代背景を知っている方が、独りよがりな作品解釈に陥らずに済むのかも しれませんね。そうした上で、自分の心の琴線に触れ、作者の思いと重なり、深い感動を 覚える事が出来れば最上なのかもしれませんね。 ありがとうございました!お話、とても参考になりました!!

回答No.6

私の場合は、ディズニーのファンタジアって言う映画を見てから好きになりました。映画では曲の一部分しか使用されていないので全曲を聴いてみたいと思って今日に至っています。 こんなんでブルックナーを聴いても評論家の言う「精神性」なんて関係ありません。基本は自分が楽しめるかどうかです。 jilly1173さんがおっしゃってるように同じ曲を違う演奏で聴くのもいいですし、最近私は同じ曲、同じ演奏者で録音時期の異なったのを聴いています。 イヤァ音楽って楽しいですね。

moscata
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます! いろんな楽しみ方があるんですね。同曲、同演奏者で録音時期の異なる盤を聴くという点を 覚えておきます。お気に入りの奏者が見つかればそれも楽しいんでしょうね。 今回、クラシックが面白いと思ったのは、グールドのピアノを聴いた事も原因の一つでした。 彼のCDはいろいろ出ているみたいですから、Beginner-1さんのアドバイスを参考に聴いてみたいと 思います。 ありがとうございました。

回答No.5

 こう書いている私のクラシックに対する考えも一様ではありませんが、あえて強引に言えば「美しい!」ということです。  もちろん、この一言だけでクラシック音楽を語り尽くすことなど出来ませんし、他のジャンルの音楽でも、いい音楽はいっぱいありますが、あまりの美しさに涙が出るような体験は、他のジャンルでは、ほとんどありません。昨日も、「くるみわり人形」の上演を観てきましたが、クララと王子が踊りながら雪の世界に誘われていくシーンは、本当に美しく、何度観ても聴いても、涙があふれてしまいます。  まあ、バラード系の音楽なら、あり得ない事もないのですが…昨今の音楽は、汚らしいもの、騒がしいものが多いです。そのような音楽を聴いてカタルシスを感じるなら、どうぞご自由に。でも、私はこんな暗く世知辛い世の中だからこそ、趣味くらいは美しいもの、癒されるもの、でありたいと思う。その行き着いた先がクラシック音楽だった、というわけです。

moscata
質問者

お礼

回答ありがとうございます! なるほど、本当に多種多用な音楽が氾濫している中で、真に聴く価値のある音楽がクラシックという事ですね。 騒々しい社会で生活しているといつしか耳が麻痺して、美しい音とは何か忘れてしまう事があるかも知れませんよね。 僕もそんな一人だからこのような質問をしてしまうのかと思います。 回答ありがとうございました!参考にさせて頂きます!!

  • Leonora
  • ベストアンサー率49% (204/410)
回答No.4

こんにちわ。 わたしは現在趣味でピアノと声楽をレッスンしているものです。始めてからかれこれ10年近く経っていますね。 20代後半から始めたのですが、もともと音楽(クラシック系)は好きでした。 子供のころは合唱団に入っていたこともありましたし、楽器は全然レッスンしたことはなかったのですが、 高校受験のときに音楽科(声楽で)を受けようと思ったこともあります。あまりに無謀なので即座に親に 却下されましたが(笑)。今ではわたしもそう思います。 大人になってからも「第九の会(期間限定の市民合唱団ですね)」に参加したりもしました。 でも、一番の大きな理由はそれぞれ大好きな声楽家、ピアニストを見つけたことでしょうか? その方々が歌ったり、弾いたりしている曲をほんの少しでもいいから自分でも体験してみたい!というのが わたしがクラシック音楽を愛するようになった本当のきっかけです。 ですので、よく聞く&好きな作曲家等にもかなり偏りがあり、もう、通の方からみたら「けしからん」と 言われちゃいそうな軟派な理由ですよね。 わたしのようにこんないい加減な理由でクラシックに関わっているものもいますし、それもある意味「アリ」 なのではないかな?と最近では開き直ってます。 何だか他の方のように理路整然と説明できないので、質問者様のお役には立てないでしょうが、少しでも 参考になればと思い、書き込んでみました。失礼しました。

moscata
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 「いい加減な理由」と言われていますが、僕には全くそうは思えません!素晴らしい軌跡だと思いますが。 子供の頃、初めての将来への夢は指揮者になる事だったように思います。TVの前でよく指揮の真似事を していた事を思い出します。しかしそこから具体的な進展はなく、音楽は憧憬の対象としてあるだけでした。 (その後、学校での音楽教育で嫌な思いをしたので無意識のうちに完全に実生活から隔絶させたのかもしれません。) 今、僕の思うところは、趣味として、そして教養として音楽を自分の生活に取り入れたい、その為にはどう アプローチしたらいいのかな?という事です。 Leonoraさんのお話を聞かせて頂いて、参考になりました。ありがとうございました!!

moscata
質問者

補足

時間が経ちましたが、追加質問をしてよろしいでしょうか? 以前友人と、「究極的に美しい音は人間の声だ」という話をしていました。(話の前後は忘れたのですが…) 声楽を指導されているとのことですが、実際そう考えられるのでしょうか? また、おすすめの歌曲等がありましたら教えて頂けないでしょうか。(ジャンルはなんでも結構です。) 申し訳ありませんが、よろしければ御回答ください。

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