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白寿などの高齢のお祝い
白寿などの高齢のお祝いは江戸時代からあったのですか?江戸時代にそんなに長生きする人はいなかったと思うのですが。
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御指摘の通り江戸時代には白寿はありませんでした。 せいぜいあっても70歳の古稀まででそれ以上はごく最近に作られた物です。 60歳まで生きていられたらそれは大変な事だったので還暦とは、教え年で61歳、十二支が60年で一巡し、61年目に生まれ年の干支(えと)に還ることから、還暦というそうで「そこでまた生まれ直す」という意味を込めて赤色の衣料品などが贈られて還暦の祝いをするのだそうです。 今で言う100歳くらいにあたりますね。 70歳の古希はすでに神、仏の領域と言う事で最高の位の色の紫を使うことを許されました。 医療も発達し寿命が長くなったこともあり77歳の並び歳にも祝うようになりましたがこれはほとんど間に合わせで紫をもう一度使うことになります。 なにしろ最高位の紫以上の色がないので再利用です。 80歳の傘寿になるとほとんどこじ付けで傘の略字が八十に見える。 88歳の米寿は米が八十八と書く。 90歳の卆寿は九十と書く。 99歳の白寿は百に一つ足りない・・・・ 77歳の喜寿以上は最近に作られたお祝いです。 まだまだ増える気配があります。
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- H2O0509
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#3の方が言っておられるように「古希」以外は最近つくられたものです。バレンタインデーやホワイトデーのようにデパート等が商売の手段として「提案」しているものです。喜寿・傘寿・米寿・卆寿・白寿等年齢と漢字を分解して「駄洒落」として作っているようです。上記のように、いろいろありますが、卆寿だけは漢字の意味から言ってもこれだけは外した方がよいと思います。「卆」は「終える」とか「一兵卆」等のように「最も下の位」と言う意味しかありませんから、全然めでたくないですよね・・・。
- o24hi
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こんばんは。 これらの風習は室町時代に始まり江戸時代に一般的なしきたりになったものといわれているそうです。 ただ,おっしゃるように,対象者は少なかったでしょうね。人生40年の時代ですから。「古稀」という言葉からして,70歳も生きるのは古来稀である,ということが由来ですしね。 http://www.oiwai.co.jp/manner/gazyu.htm
- few24
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滅多にないことだから、祝ったんです。