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値段が全て、“お気持ちで結構です”になったら・・・

法事やちょっとしたことでお寺さんに払う金額が分からずにいると、“お気持ちで結構です”と言われることがあります。 これをもし、普通に売っている商品やサービスに当てはめたらどんなことになるでしょう? 値札には全て、“お気持ちで結構です価格”と書かれていたら・・・ 100均でも、すごく便利な商品と感じた人は、150円くらい払う人も出てくるのでしょうか? 善人と悪人が、すごくよく分かる世の中になりそうです。

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回答No.8

売価は経費の積み上げでなく、消費者が決めるものと思っていますので、“お気持ちで結構です価格”がその品の価値ではないでしょうか まぁ中には奇特な人もいるから、何でも1円しか払わないケースもあるかと思われますが、それは横へ置いといて、実際に売れる価格は必ず落ち着く所に落ち着きますので、落ち着く価格をアップさせるのが商売の基本かと 「お気持ち価格」とは少し違いますがほぼ同様のケースの相談を受けたとき、前述のような答えを差し上げたところ、売る側の方は思惑通りに売れないわけですから、相当のショックを受けておりました

localtombi
質問者

お礼

そうなんですね、まさに消費者が決める「価値の反映」ですね。 なので、割高の値段で売れなかったら、それは価値の反映としての値決めではなかったことになりますね。 回答を頂き、ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#184692
noname#184692
回答No.7

商品がお気持ちで結構になれば、当然お給料もお気持ちで結構になります。 君は一ヶ月500円でイイよね…って…。 特に経営者はシビアですし、1番嵩む経費は人件費であります。 価格がお客のお気持ちになって売上自体が下がれば当然給与もお気持ちになるでしょうね。 デフレもそうですが、物の値段ってのは人の値段でもあるのです。

localtombi
質問者

お礼

>物の値段ってのは人の値段でもあるのです なるほど、そういう考えもありますか! 確かに価格は巡りめぐって給与に反映されますから、給与も“気持ちで結構”になったら一番よく分かる査定になりますね。 回答を頂き、ありがとうございました。

noname#215107
noname#215107
回答No.6

消費者の心理としては、大体の相場を知ったうえで、その中でも平均より安く支払うようになるでしょうね。 その実績が更に相場を押し下げ、非常に物価が安くなり、経営が行き詰る店が続出するでしょう。賃金も下がり、まさにデフレスパイラルに陥りそうです。

localtombi
質問者

お礼

そうですね、お店の流通相場と消費者の心理相場には少なからず乖離があって、仰るように低めに意識しますね。 超ハイパーデフレですね。 回答を頂き、ありがとうございました。

  • p-tenshi
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回答No.5

"お気持ちで結構です"なら 100均の看板出すな!と言いたい。 自宅を購入した時、神主さんにお祓いをお願いしました。その時いくら包めばいいかと聞いたが"お気持ちで結構です"というので"本日はありがとうございました"と書いておいたら、後日請求書が届いていた。

localtombi
質問者

お礼

>後日請求書が届いていた これは面白い話ですね。 かつてイオンがお布施の目安価格(お布施定額制)を示した時、仏教界が反発しました。 イオン側は「お気持ちで結構」と言われて困る人が多いためとしましたが、仏教界側はお布施は自らの気持ちによる宗教的行為で、商品のように価格があるものではないという主張をしました。 それだったら回答者さまのような「お気持ちのメモ」でも通用するはずですが、神主さんの本音では違うのでしょうね。 回答を頂き、ありがとうございました。

noname#188303
noname#188303
回答No.4

若手音楽家によるホームコンサートに度々訪れるのですが、こういう 場合たいてい演奏後に軽食が振舞われ、ホストは”皆さん、Donation Box (=寄付金箱)があるのでよろしく” とアナウンスします。  実際、こちらではドーネーションというのが至るところにあります。  こういうのが”お気持ちで結構です”と近いかもしれません。  違うのは、寄付金の”相場”が無い、あるいは意識しないということです。 先日ホームコンサートではチェロ&ピアノの演奏が素晴らしく、私は20ドル 寄付しましたが、これはCDを一枚買ったつもりで(実際販売されていた) この金額にしたのですが、友人は演奏家とおしゃべりは弾んでも寄付金箱 には全く”無関心”でした。 当然です。 彼女失業した直後でしたから。  お賽銭箱のような寄付金箱から聞こえるのはオトからするとほとんどが 小銭だったような気がします。。  お金のない人に、”「他の人と同じように」お金をはらうべき”というのは ないんです。 日本のような”足並みをそろえる”ことをフェアとは呼ばず、 お金がある人が気持ちよく払えばいい、お金のない人は仕方ない、と するのをフェアと呼びます。 そして強要は禁物です。 お金がある人が ケチるのが一番非難されるでしょうね。   それ以前に他人の決め事に立ち入らないのがルールでしょうか。。。 なお、演奏者はこういうホームコンサートはたいていプロモーション として行うはずなので、金額に期待はしないと思います。  一方で、教会でアマチュア音楽家によるコンサートが開かれることが 多いですが、相場は$15~$20です。 こちらはドーネーションでは なく、”チケット代です! よーく見極め無いとすごく損します。。(笑)   要するに、こちらではお金は支払うべきものか否かをはっきりさせます。 日本社会では、「寸志」や「お気持ち」にしても”相場”があるからこそ それで通用(流通?)していくのだと思います。 (合掌)

localtombi
質問者

お礼

そうなんですね、お気持ちで結構です・・と言ってもその背景には、“きっと常識的に、相場の金額(あるいはそれに近い額)を出してくれるだろう”という性善説的な期待があるのかも知れません。 一方コンサートなどは、相場というよりも“感動代金”なので、それは各人の気持ちと経済的事情を加味したものに落ち着くのでしょうね。 回答を頂き、ありがとうございました。

回答No.3

こんばんは。 逆に買いづらいですね。 私の場合は低めに支払うでしょう。

localtombi
質問者

お礼

常に葛藤するかも知れませんね。 周りの人の様子を見て、それに合わせそうです。 回答を頂き、ありがとうございました。

回答No.2

実際には、世の中のモノやサービスの値段はそうやって決まっていることが多いです。 悪いものは人気がなく叩き売られ、良い物は高くても買います。 この仕組を歪めるのは、政府が介入する場合です。病院なんかは保健医療の範囲ならどんな酷い手術でも、素晴らしい名医でも同じ値段です。タバコの値段もそうですよね。 善人かどうかなど関係ありませんよね。

localtombi
質問者

お礼

実際は、需要と供給で値が落ち着いて、公的で影響が大きい場合は政府が介入しますが、それらすべてがその場の感覚で決まったら、やはり少しでも安く買いたいという心理と、後ろめたいという心理の葛藤かと思います。 そんな中でどっちが勝るかで、人の有様が見えるような気がします。 回答を頂き、ありがとうございました。

回答No.1

ハイパーデフレになるんじゃないでしょうか。 お寺や神社に払うお金は相場もあるし、神様仏様の前でケチるのはどうかって心理が働くけど、世の中すべてが「お気持ち」になったら、相場があったとしてもどんどん下がるのは明白。 物価に連動して賃金も安くなるから、貧乏人がどんどん貧乏になり、経済が成り立たなくなります。

localtombi
質問者

お礼

仰るように、ハイパーデフレですね。 しまいには、会社が社員に対して“お気持ちの賃金にしました”的な状況が出そうです。 回答を頂き、ありがとうございました。

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