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巨人監督長嶋最下位の謎
- 巨人が唯一最下位になったのは、監督が川上哲治氏から長嶋茂雄氏に代わった翌年のことです。
- 長嶋氏はあの年、無茶な采配をしたことで知られています。
- 巨人の自滅によって受け皿になった広島が初優勝し、長嶋氏の采配が評価されなかった面もあります。
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事実の誤認がひどすぎますね。 >塀際の魔術師といわれた名外野手、高田をサードにコンバートさせたり それは優勝した二年目のことですね。 このコンバートは大成功でした。 外野から内野のコンバートは珍しいので、成功するわけないというひともいましたけどね。 >富田、高橋一三と巨人で大活躍していた2人を日本ハムの張本勲と交換したり これも最下位になったシーズンオフのことで、このおかげで翌年優勝しましたね。 高田のサードコンバートはこのトレードの副産物ですが、前年まで腐り気味だった高田は見事生まれ変わりました。 ウィキペディアででも高田の成績を確認してご覧なさい。 さらに最下位の年に慣れないサードで全く頼りにならなかったジョンソンが本来のポジションセカンドに戻り、名手ぶりを発揮して打撃でも活躍しました。 何故、そんな思い違いをしているのかわかりませんが、その調子だと >代打を送らなくてもいいところで代打を送ったり、勝てるチャンスもあるのにわざと潰したり なんていう記憶も質問者様の頭の中にだけ存在する幻想かもしれませんよ。 最下位の年に年に負けても負けても執拗にマウンドに上がらせた新浦がひと皮もふた皮も向けて翌年以降は中心投手として活躍したわけですが、これも当時は迷采配と言われましたね。 今ではそう珍しくはない「一点差で負けている試合で一塁走者に盗塁させる」という作戦も長嶋が成功させたときは前例があまりなかったので「カンピューター」なんて言って笑う人もいましたね。笑った人は今の野球を見てどんなふうに考えているのでしょう。 >長嶋氏はあえてなぜ巨人を最下位にしたのでしょうか? 監督就任一年目に最下位になったのは、サード長嶋の引退とそれによりモチベーションを失くしたのだろう王の大不振をはじめとする各選手のスランプや戦力不足が原因です。 間違った知識から生まれた疑問は無意味だということを思い知りましょう。
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- msson1979
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>阪神が最終局面で自滅して優勝を逃したと言っても、 >巨人が全日程を終了し、阪神が後数連勝すれば巨人を >追い抜き優勝できるといったようなシチュエーションだったと思います。 V9の年のことですか? だったら違いますよ。 阪神が最終戦前の中日戦で勝てば自力優勝だったところを敗れてしまい、 巨人との直接対決となった最終戦で勝った方が優勝という状況になり 結果巨人が勝って自力でV9達成となったのです。 また、富田がドラフトの無い時代に最初から巨人に入団して・・・とありますが 富田はドラフトで南海に入団して、のちに巨人に移籍してきたのです。 張本のトレードや高田のコンバートの件も然りで 他人の意見に反論したり持論を持つのは結構ですが、 その根拠となる部分がこうも事実と異なっていては 失礼ですが説得力に欠けると言わざるを得ません。
お礼
V9 の年の最後の情勢が少々違っていたとはいえ、あの年に阪神が優勝する可能性は、100%無かったのです。あなたのおっしゃる事が本当だとすれば、僕は少し間違って記憶していた事になります。えー、そうでしたか?僕は V9 を9年間見てきた訳ではないので、物心ついたのが V3 の年。そんな時から野球に関心を持てるはずも無く、そんなものでした。それで巨人と阪神が勝った方が優勝というのは違う年の事ではなかったですか?まあそれも僕が過ぎてからテレビの報道で知った事ですからね。僕はその頃小さかったですからね。何と言われても特に詳しい事はなんとも言う事が出来ません。富田の事も知りませんでした。 とにかく V9 の年は僕は小学2年のときの話で、そのころやっとプロ野球というものがわかりだした頃なので、そのことを考慮に入れていただければと思います。自分で言うのは厚かましいですが、 >張本のトレードや高田のコンバートの件も然りで他人の意見に反論したり持論を持つのは結構ですが、その根拠となる部分がこうも事実と異なっていては失礼ですが説得力に欠けると言わざるを得ません。 という所は仕方ないという結論にさせてください。 御回答有難う御座いました。
- TANUHACHI
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いやはや、ここまで思い込みが激しくては贔屓の引き倒しにもなりかねません。 >矢沢がいたじゃありませんか 確かに矢沢はいましたが、使い物になっていません。九連覇中に森氏が密かに育てていたのは吉田孝司であり阿野鉱二です。 >僕には生まれ持った洞察力があります であるなら、74年の最終戦の前の試合に「なぜ江夏を登板させたのか」もわかるはずです。でも貴方は「それは阪神が負けるべくして負けたからだ」と珍妙な回答をするでしょう。二試合のうち何れか一つを勝てばその時点で阪神の優勝は確定します。であるなら好きこのんで最終戦に結果を持ち込むリスクを選ぶとの選択肢はあり得ない話です。 貴方が「もやっとしていてよく分からない」のはご自身の思い込みが事実を見る目にフィルターを掛けてしまっているからでしょう。僕が言うのも何ですが、僕は9連覇当時の巨人には魅力をさほどの魅力を感じてはいません。志向したスタイルはメジャーのヤンキーススタイルを日本化した形であり、どこからも点の取れる打線ではなく「中軸打者による長打」でランナーを帰すとの面白味に欠けるきらいもあります。そして当時の巨人が最も苦手とした投手は、間を置かずにポンポンと投げ込んでくるタイプの投手でした。中日の松本や渋谷、更には太洋の坂井といったところが出てくると手も足も出なかった状況です。 敢えて言えば、75年の長島巨人が目指したものは「それまでとは違う野球」を志向し、その序章だったので?との印象です。 普通ならば外野手を内野にコンバートすることなどありえなかったけれど、外野守備の原則が「自分よりもボールを後ろに行かせない」ことであるならば、その外野手を内野にコンバートすることでエラーの数を減らすことにもなるはずです。おまけに、デーブ・ジョンソンを本職のセカンドに固定することで、内野の守備も締まります。 洞察力がある、とは他者から言われての褒め言葉であって自身で口にするのは自惚れでしかありませんね、僕ら凡俗の輩には恐ろしくて使えない言葉です。
お礼
御回答有難う御座います。 あの、失礼の無いように言いたいのですがあなたのお生まれになった年は19○○年なんでしょう?勿論答えていただかなくって結構です。というのは僕は、小学校2~3年になって初めてプロ野球に興味を持ち、その頃はもう V9 も終わりかけていました。父親も野球には興味はあった様ですが、僕に野球のことについていろいろ教えてくれる人ではなかったのです。友達から入る僅かな知識とTV、ラジオ、新聞で見取れる、聞き取れる、読み取れる範囲で情報を仕入れただけで、僕より先輩の方々の知識量とは大きな差があるのです。そのためあなたが No.10 の方として送って頂いた御回答に出てくる選手の名前で分かるのは、吉田、江夏、長嶋、ジョンソンだけです。阿野鉱二なんて人は初めて聞きました。 それでその他の選手が出てくるような背景は、何も分かっておりません。なのであなたの知識のレベルで話を進めようにも、進められません。わからないのです。 >いやはや、ここまで思い込みが激しくては贔屓の引き倒しにもなりかねません。 自慢にする事でなくて恐縮なのですが、正にその通りなのです。僕は巨人を応援したいがために、贔屓の引き倒しを数多くやってしまったのです。巨人ばっかりに勝たしたいがためにです。今ではそれは巨人の選手に良くないと分かってきたのであまりやっていませんが。でも悪い方にばかり影響したのではありません。いい事もたくさんしました。一例として斉藤雅樹の11連続完投勝利、阿部慎之助の1時期のホームラン量産など、僕との第六感の通信その他のやり方で数多くの貢献をした、と自分では確信しております。また他チームにも影響を与えました。伊良部の戦力外通知への導き、これは僕が伊良部の顔が嫌いだったのと、それでも活躍しようとした事に腹が立って何とか落としてやろうと思った事が原因で伊良部が戦力外通知を受けることになってしまいました。阪神暗黒時代の原因などみな僕です。 また巨人に悪い事を結果的にしてしまったことはあえて言いませんが、贔屓の引き倒しです。最初はこの言葉も知らなかったのでやってしまったのですが。ま、信じたくなければ信じて頂かなくって結構です。それでも僕の力はちゃんと野球に限らずこの地球上全体に行っているという事は自分では確認確証を得ていますので。 >洞察力がある、とは他者から言われての褒め言葉であって自身で口にするのは自惚れでしかありませんね、僕ら凡俗の輩には恐ろしくて使えない言葉です。 そうでしょうか。洞察力があるという言葉を自分で言う事ぐらい何かの小説で読んだ事があります。チャーリーブラウン、スヌーピーが出てくる漫画でも読みました。僕はあなたの言うほどこの言葉に恐れを感じておりません。 御回答有難う御座いました。
- human21
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内部事情からですが、長嶋さんが監督になった時に外国人選手の 獲得を強く希望しました。 理由は、V9戦士の老齢化と自分の抜けた穴、さらに森捕手が 抜けた穴を埋める為です。 ところが巨人首脳陣は日本人だけのチームにこだわり、反対が強く 土壇場になってようやく一人だけ認められました。 新外国人は、シーズン途中からサードに入りましたが三振王でした。 王選手のケガなども重なり、最下位になりました。 少し質問者さんが勘違いされている点があります。 高田をサードにコンバートし、張本を獲得した事によって 2年目に優勝できたのです。 また、V9の最後の年は、巨人が自力で優勝したのではなく、阪神が 最終局面で自滅して優勝を逃したのが真実です。 この年にすでに巨人は優勝できる戦力では無かったと思われます。 外国人の獲得、張本の獲得などを首脳陣の反対を押し切り実行 した結果、首脳陣との仲が険悪となり、その後の補強は余り 出来ずに成績も下降していきました。 長嶋さんが当時の首脳陣の反対を押し切って外国人を 獲得していなかったら、その後の巨人に外国人選手は 居なかったか、居たとしてもずっと後になったでしょう。 また、篠塚選手を取ったのも長嶋さんの独断であり、松本選手を 外野にコンバートしたのも長嶋さんです。 最後に長嶋さんが無茶な采配をしたのは、優勝できない戦力で 優勝しようとしたからです。 戦力が劣るときに奇策を用いるのは兵法の常道です。 普通の采配では勝てない戦力だからです。
お礼
やはりあなたもあの事を指摘されますか。コンバートとトレードの時期と長嶋監督1年目とのずれを。これも No.6 の方のお礼の欄に書いた通りの訳です。 >また、V9の最後の年は、巨人が自力で優勝したのではなく、阪神が最終局面で自滅して優勝を逃したのが真実です。 皆さん、お分かりでしょうか。この頃の巨人の強かったわけを。巨人というほかの11球団には無い日本で最初に出来た球団という威厳の高さを。9連覇をしたり、日本のプロ野球が始まって以来優勝ばっかりしていたわけは、「先んずれば人を制す」です。それにプロ野球界自体が巨人中心に回していましたからね。阪神が最終局面で自滅して優勝を逃したと言っても、巨人が全日程を終了し、阪神が後数連勝すれば巨人を追い抜き優勝できるといったようなシチュエーションだったと思います。でもこのときに阪神が巨人を追い抜き優勝できるというような雰囲気(空気)はあったでしょうか?もう運命は決まっていたのです。阪神は巨人の威厳の前に、その威厳によって、神を怖れる様に(正にプロ野球界の神です)、戦力、実力といったものは関係無しに負ける運命だったのです。そういうところが巨人9連覇を成し遂げた原因です。巨人は日本のプロ野球界において唯一神に守られた球団なのです。 長嶋は本当に人がいいのでわざと最下位になろうとしてなったという事をだんだん認められるようになって来ました。こうやって皆さんの回答を見て、お礼の文を書いているうちに。長嶋氏が故意に最下位になろうとしてなったとしたら、それをマスコミに自分で発表していたら、勝ちに行って負けたと思うと何だあの采配はと思うところも腹は立たなくなります。長嶋は背番号33時代の監督の時に、巨人にいた江藤に自分の永久欠番「3」を譲ってやろうかとも言った人のいい人です。その長嶋が最下位になる事を屈辱と思っていないのなら仕方ないです。僕は巨人に限って屈辱だと思っていたので不満があったのです。巨人は1978年頃から優勝しない年が多くなり出しました。それも不満ですが、ドラフト制が何年も続くと半分諦めるしかないと思っていましたが。 >最後に長嶋さんが無茶な采配をしたのは、優勝できない戦力で優勝しようとしたからです。 >普通の采配では勝てない戦力だからです。 ということは、あなたも無茶な采配をしたと認めるわけですね。 ですが僕は戦力が劣っていたとは簡単に認めるわけにはいかないですね。しかし戦力も劣ってきたと認めないわけにもいかなそうです。1990年代を中心にその辺り巨人が優勝できなかったのは監督のせいでなく、選手のせいですとはっきり認められますからね。王監督の時代は本当に王監督がかわいそうでした。 僕は、この質問を出したのはなぜ巨人が最下位にならなければいけないのかという事でした。それも長嶋氏の思惑だったら仕方ないという半結果になりました。 長文失礼しました。御回答有難う御座いました。
- jyunkyuu
- ベストアンサー率40% (54/133)
ます、あなたの事実誤認は前の回答者の方々が指摘されている通りです。 あの年は誰が監督をやっても読売はBクラスだったでしょう。すでに兆候は数年前からありました。v9最後の年は66勝60敗4分今でもプロ野球史上最低勝率というよれよれの優勝、そして翌年はついに優勝を逃す。このようにV9時代の不動のメンバーにはっきりと衰えが見えて来ているのに川上監督はその対応策は全くと言っていいほどとっていませんでした。そして引退していきなり長島にバトンタッチしました。 目標を失い、長嶋という核を失い、モチベーションが大きく下がったメンバーのままでチームを長嶋に押し付けたようなものです。 さて長島一年目、堀内との2本柱だった高橋一三がなんと2勝11敗、長嶋の後任で3塁を守った富田が打率1割台、内野の要遊撃黒江が衰えで全く使い物にならないのでやむなく河埜を使わざるを得ず、王は肉離れで開幕から離脱(おかげで田淵が唯一本塁打王になったのがこの年)、いわゆる純血主義を捨て獲得したジョンソンも打率2割がやっと、と案の定目を覆いたくなるような惨状でしたね(おかげで個人的には痛快な一年でしたが)。川上監督のツケが一挙に噴き出しました。これを長嶋のせいにしたらにかわいそうですね。 そこで長嶋はこの年は最下位になるのを覚悟で再建に乗り出したといってよいでしょう。その象徴ともいえるのが打たれも打たれても新浦を投げさせたこと。 でも、別に無茶苦茶な采配はなかったですよ、笑い話としてバントのポーズをしながら代打を告げたいうのはありますが、これが尾ひれの付いたものでしょう。淡口が代打の切り札として活躍しましたし。 シーズンオフに高橋、富田を放出して張本を獲得、高田を三塁へコンバート、などの大ナタをふるい、 翌年翌々年とセリーグでは2連覇させたのは評価すべきでしょう(上田阪急には全く勝てませんでしたが。西本監督は川上と違ってしっかり若手を育てて上田監督に引き継ぎいだわけです。)
お礼
御回答有難う御座います。 >ます、あなたの事実誤認は前の回答者の方々が指摘されている通りです。 あなたも指摘されるわけですね。分かりました。 >あの年は誰が監督をやっても読売はBクラスだったでしょう。 僕はそうは思いません。たとえ前々年度が66勝60敗4分、前年度が2位であっても、前々年度は優勝したという事は、他のチームはもっと弱かった、という事になりますし、前年度は優勝は逃したものの2位という位置につけています。 あなたは巨人ファンかどうか知りませんが、巨人ファンなら感じる事のできる、この頃の巨人の持っている巨人だけにある運、つきと試合運びの上手さ、これは絶対他のチームには真似はできません。9連覇の流れを受け継いだ試合運びをしていたらBクラスどころかAクラスどころか優勝も出来ていたでしょう。たとえ長嶋、王が選手にいなくても、スポーツ新聞に書かれていることを基に推理をしなければ、いくらでも巨人有利の情報は引き出せると思います。スポーツ新聞は当てになりません。 僕は、巨人が最下位になった事に不満を覚えてるのです。万一この年巨人がBクラスになったとしても(実際にはなってしまいましたが、そこがおかしいというのです)いきなり2位から6位へ堕ちる事は普通考えられません。他の大洋やヤクルトや広島や中日とは違うのです。しかもそのときの戦力からして巨人の下に来るはずのチームは何チームもあったはずです。これは確かな事実です。いくら悪くてもですよ、いくら悪くても4位にはなっていたでしょう。でもこれは仮定の話で僕は巨人の優勝の話を信じます。 それをぶち壊したのは、他でもない長嶋茂雄監督です。僕には生まれ持った洞察力があります。この洞察力はおとなしい人に宿るものです。僕には判ります。長島監督がその年いかに多くのチャンスを潰してきたかが。まるでわざと潰している様にしている事が。本当に巨人を1度最下位にしてやろうとでもしている事が。長嶋氏は人がいいので9連覇も果たした後は1度だけ他のチームを優勝させるためとバランスを取るため最下位になってみるという事をして、優勝のした事の無い広島に優勝の味を占めてもらうため、こういう事をしたのではないでしょうか。巨人ファンの僕としては迷惑な話ですが。
- norikhaki
- ベストアンサー率25% (1154/4593)
なんだかんだで巨人の中で長嶋の存在が大きかったってことです。 事実をちゃんと理解してれば「わざと最下位にした」とか 長嶋監督を侮辱するような言葉はでないと思いますけどね。
お礼
僕としては、長嶋監督を「侮辱」という言葉の重みほど持った感覚で、非難しているのではないのですが、非難でしょうね。不平までいくとゆるいですが。何と言えばいいのでしょうか。その中間? 僕は、V9 の始まる頃は赤ちゃんだったので、V9 の初めから球場へ足を運んだり、TV やラジオで観たり聴いたりは出来なかった世代ですので、V9 の事は本当は余りよく知らないのです。つまり事実をちゃんと理解できていない内に入るのです。それをご承知下さい。 御回答有難う御座いました。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
質問には事実誤認が少なからずあります。 「長島巨人(第一次長島巨人)」が最下位になったのは75年のシーズンであり、張本や加藤初をトレードで獲得し、高田をサードにコンバートしたのは翌76年のシーズンです。 75年シーズンでの采配の特色は、失敗し続けても新浦を先発に起用したことであり、また外国人選手として獲得したデーブ・ジョンソンをサードで起用した点です。 コントロールに不安のある新浦でしたが、球威の点ではみるべきものがあり将来のエースとして育てたかったのでしょう。 そして75年に最下位になったもう一つの理由ですが、正捕手である森が同時に引退したこともあります。9連覇している間、巨人には森以外の捕手がいなかった。つまり後継者がいなかったとのことであり、ピッチングスタッフの主軸も堀内と高橋一三以外には計算のできるピッチャーがいなかったとの要因もあります。また同時に内野の二遊間である黒江と土井にも同時に下降線に入った時期でもある。そのため、ショートに守備の安定している若手の河埜を起用し、衰えの見える長島の守備を補佐したのも74年シーズンの特徴でした。 長島が抜けたこととは別に優勝を逃し、最下位に低迷した背景には、オープン戦終盤で四番バッターの王貞治が肉離れで故障したこともあります。四番バッターが不在だった。その間に淡口などが務めましたが、二年連続三冠王を獲得し、尚且つ日本の球界で最多本塁打を打っている打者と比較しては気の毒です。 9連覇の間、巨人のスターテングメンバーは毎試合ほぼ不動で、時に順番の入れ替えをする程度で済んでいましたが、このメンバーが欠けた時の交代要員を育てていなかったことが起因しています。 74年10月14日の朝日新聞「天声人語」には「明日からの長嶋監督は『長島無き巨人』を率いていかねばならない」とこの人物の引退を惜しむ言葉で閉じられています。蓋し名文でしょう。 74年のシーズン中のある日、ラジオで中日球場からの実況中継が始まる前、アナウンサーが先ず口にした言葉として「本日のスターティングメンバーで大変なことが起きています」として「一番・サード・長島」がコールされたことを今でも憶えています。それまで打線の主軸を務めていた長島が、いきなり一番に座ったのですから、野球界全体に激震が走りました。 他の球団、たとえば阪神での田淵や掛布に選手としての限界が見えてきた時にどうしたでしょう。田淵は西武に放出され、江夏は南海にさりました。掛布に至っては晒し者同然で選手生活を終えました。巨人であり長島だったからこの様な選択肢を選ばざるをえなかった、苦渋の決断です。 それまで四番だったのだから最後まで四番で終わらせてやりたいと表面的な仏心を与えることの方が、長島氏にとってはよほど屈辱で、長島氏の本心は「これが長嶋茂雄だ、野球人として多くのお客様に自分の姿を観ていただきたい」との思いが強くあったのでしょう。 まず事実の時系列的確認から始めねば質問者様の誤解も生じないはずです。後継者の育成を意図し、将来への青写真を描く球団ならば、最下位を経験することに意味もあります。75年の「結果」だけを見ていても何も見えてはきません。
お礼
御回答有難う御座います。 こちらの御回答も、No.2、No.4 の方の書かれた内容と同じ事が指摘されています。ただこのことについては、最下位になった年にコンバートやトレードが行われたから最下位になったというのではなく、長嶋監督の采配について問題があるという事を言いたかっただけです。 そうですか。森氏も No.5 の方も言っておられたようにそんなに関係が有るのですか。キャッチャーなら矢沢がいたでしょう。 ずーと読んでまいりましたが、このあたりの説明に何も言う事はありません。そうだったんですね、という事の他に言葉はありません。 >まず事実の時系列的確認から始めねば質問者様の誤解も生じないはずです。 >75年の「結果」だけを見ていても何も見えてはきません。 何せ、あなたの年齢は何歳かわかりませんが、僕にとっては小学校低学年の頃の話なので、プロ野球についてあまり詳しくなかったのです。 >後継者の育成を意図し、将来への青写真を描く球団ならば、最下位を経験することに意味もあります。 そうおっしゃられても、9連覇もの偉業を達成された球団です。後少なくとも500年は巨人以外の球団が、これに追いつく、追い越すという事は無いでしょう。だから巨人という球団には、他球団とは隔絶した球団であって欲しいのです。その基盤として巨人だけには最下位になってもらいたくなかった。それが僕の本音です。 御回答有難う御座いました。
- uniquepro
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一部では、わざわざ最下位にした、という話もあるくらい不思議なシーズンでしたね(第1次長嶋政権1年目)。 決して戦力が劣ったわけではない。象徴長嶋茂雄と要の森祇晶(当時は本名の昌彦)が抜けたとはいえ、まだ他球団に対して見劣りする戦力ではなかったはず。もし仮に両者のどちらが抜けて巨人が痛かったかといえばどこからどう見ても正捕手の森でしょう。長嶋政権的にはまさか森も同時に辞めることまで計算しないままで川上からの禅譲になったのでは?と。 ※最後まで森氏は長嶋氏が巨人監督・関係者である間は巨人に近寄りませんでしたからね。終身名誉監督なんて肩書きでほぼ終身雇用になった段階で、森氏が巨人関係者になる可能性はほぼなくなりました。 ただ川上と長嶋は仲が悪いのは周知の事実なので、お互い納得しない監督交代劇だとのこと(あくまで東京巨人軍主導。当時はまだ某ナベツネのように正力オーナーが讀賣を表に出してない時期)。 となると、至極単純な長嶋さんです。川上の作った巨人軍をリセットするにはどん底に落とすしかない、このくらい考えるでしょうね。ただ、その後ちゃんと戦力を自分の手で立て直したのだから(中畑や篠塚、江川、西本の世代ですね)、最下位で巨人ブランドが崩壊したのは今ではそう間違いではなかった、ということではないでしょうか。2年目からの移籍での戦力補充も、巨人側というより他球団から打診されたものも多かったですし。 (張本のリリースは東映から日本ハムに変わって一新を図った日ハム首脳陣からの打診、と亡き大沢親分は言ってましたね。この移籍話は張本も非常に感謝していたのか、あの張本勲が大沢だけは亡くなるまで恩人だと言い続けていましたから)
お礼
>決して戦力が劣ったわけではない。象徴長嶋茂雄と要の森祇晶(当時は本名の昌彦)が抜けたとはいえ、まだ他球団に対して見劣りする戦力ではなかったはず。 そうですよね。僕も何よりそう思います。 >最下位で巨人ブランドが崩壊したのは今ではそう間違いではなかった、ということではないでしょうか。 そうでしょうか。僕は巨人が最下位になったシーズン、凄くショックだったですね。僕は野球は接戦で勝つというより、ぶっちぎりで、圧倒的な大差で勝つほうが絶対好きです。試合では四死球も含めて連打連打で1イニング7点も8点も取るイニングが毎回続けばいいなと思い、ペナントレースでは7連勝も8連勝もし、1回負けたらまた連勝連勝といく独走態勢の試合運びが好きです。その方がスッキリするでしょう。 そんな僕ですから、巨人ブランドが崩壊したのは、いつまでも悔しい気持ちでいっぱいです。 他に書いてあった監督や選手などの個人的な関係についてはあまり詳しくない、とにかく巨人が勝つ事がうれしい普通の巨人ファンですので、あまり解りません。 御回答有難う御座いました。
- msson1979
- ベストアンサー率34% (11/32)
少し記憶違いをされているようですが 高橋一三と富田が張本とトレードされたり 高田がサードへコンバートされたのは 長島巨人が最下位になった昭和50年のシーズンオフですよ。 また、昭和50年、富田は打率1割台、高橋一三は6勝、その前の年は2勝でしたが、 トレードで巨人に来た張本は2年続けて打率3割5分前後の大活躍をしましたし コンバートの高田はサードでダイヤモンドグラブ賞を獲得して それぞれ巨人の優勝に結び付いています。 評価は人それぞれだとは思いますが これらのトレードやコンバートが巨人にとって失敗だったと言うのは 無理があると思います。 (なお、 富田と高橋も移籍先の日本ハムで連続3割を打ったり二けた勝利を挙げたりと活躍しました。 このトレードは双方にとって成功だったと言えると思います)
お礼
御回答有難う御座います。 No.2 のかたと重複している所があるので、その所は省かせて頂いて、 >(なお、富田と高橋も移籍先の日本ハムで連続3割を打ったり二けた勝利を挙げたりと活躍しました。 と言う事は、巨人にいても辛抱強く使い続けたら、それだけの活躍が出来たという事になると思います。 どちらの選手もドラフトの無い時代に最初から巨人に入って、巨人の選手であるというプライドを高く持ち続けて頑張った2人なのですから、そういう選手が活躍して、試合を続けていくことが巨人の安定につながり、巨人ファンが巨人の試合を安心して、そして期待と刺激をもって観戦する事が出来るという事に繋がると思います。張本も2年連続で3割5分を打ったかも知れませんが、その後長嶋の穴を埋めるのには程遠い活躍ぶりしか見ていないような記憶しかない気がします。張本は長嶋の穴を埋めるために獲ったような選手なんでしょ?長嶋ほどの活躍をしてくれとは言えませんが、それでもそんなに活躍したというイメージは残っておりません。魅力あるほど。大記録は持っている選手だとは分かっていますが。僕のイメージです。 僕は、巨人は生え抜きの選手が活躍するのが最も魅力的だと思います。ま、金田正一という凄い選手もいましたが。 というわけです。 御回答有難う御座いました。
- borg121
- ベストアンサー率6% (363/5466)
ID野村克也と違って、ヤマを張らなくても来た球を打てる感性の天才 長嶋は、理屈と理論が支配する監督業に最初は対応できなかったんだと思います。
お礼
そうですか。言いたい事は分かりましたので、短いですがこれで勘弁してください。 御回答有難う御座いました。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
最初に監督になって右も左も分からないってのもあると思うし… そうかメークドラマのときも1時期最下位だったけどね…ヤラセかと思うぐらいの神がかりでひっくり返した 何の因果かそのときのきっかけになった相手が首位の広島 巨人は最下位になったこと…あるんですけどねぇ 厳密に言い過ぎると それに川上のやりかた継承したら意味なしでしょ 監督は長嶋なんだから むしろこういう事も含めてミスターらしいと言えばミスターらしいでしょ
お礼
>それに川上のやりかた継承したら意味なしでしょ 監督は長嶋なんだから それはそうですが・・・ 御回答有難う御座いました。
お礼
御回答有難う御座います。 僕の、二年目、シーズンオフなどの感覚はごっちゃになっていたかもしれませんが、問題なのは、長嶋監督の采配です。チャンスで打ちそうな選手の所に打順が回って来ているのに、代打(新人など)を使ったり、ことごとく自滅するような指揮を執った事です。 僕は、高田をコンバートした事と、張本を取った事は巨人の為にならなかったと思います。そんな事をしなくても監督がしっかりしていたら巨人は優勝できたと思います。一応次の年から2連覇だけはしましたが。その後が良くありません。この頃からです。常勝巨人でなくなって来出したのは。 僕は巨人が、歴史上に最下位になった事があるという事実を作ってしまった事が非常に遺憾なのです。 大体大選手でもあった長嶋茂雄が、No.1 の方が言っておられたように、最初に監督になって右も左も分からないってのもある、という事があったとは考えてはいけないと思いますし、大選手だったら監督もこなせないといけないと思います。出来るはずです。 1937年から1974年まで38年間、4位以下(4位と5位)になった事は2度しかない、3位だって2度しかない、それ以外はほとんど優勝か、たまに2位。しかも他の球団では無い、他の球団には無い神がかり的な実力を持った巨人が、9連覇を果たし、その次の年も2位で終わった次の年、いきなり最下位で終わるというのは、いくら何でも、どう考えても、その年のTV中継を見ていると、監督の采配が大きく変わった、違ったからだと言う他は無いと思います。その事を僕は言っているのです。