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子供の素行について、この仮説の説得力はどのくらい?
子供はどんな子供であってもその性質として人に暴力を行う様にプログラムされてるとする。 そして幼稚園などの集団生活において誰かが誰かに必ず暴力をふるうとします。 暴力を受けるのが他の園児よりも早いか遅いかの問題性になるのですが、 偶然にも最初に暴力をした子供は、先生に叱られて理不尽な思いをして、愛されてない事を自覚する。 親に助けを求めても暴力がいけないことなのだとして冷たくされる。 ストレス発散からまた暴力をしてしまう。それが連鎖していき、親に失望されたり、躾や矯正を頻繁に受ける。 一方、偶然にも暴力を振るうのが遅かった子供(暴力を先に受けてしまった子供)は、「外の世界はなんて怖いんだ! ママ助けてー!」という感情となる。 外の世界と、母親世界を対比して、安全地帯を認識し、幼稚園を休ませてくれる可能性をくれる母親をより尊重するようになり、聞き分けの良い子になり、躾をする必要性が殆ど無い子になる。 暴力を偶然にも最初にしてしまった子か、または偶然にも暴力を受けなかった子において、親の言うことをなかなか聞かず、躾が必要になる。 躾をした結果、親を疎んじる子供が出来上がり、その結果、余計に躾が必要になってきて、親子の溝は埋まらなくなる。 溝が広がると、子供の反行心が強くなり、躾が日常的になる。 躾なのか虐待なのかも判断のつかない様な体罰を母親は気付いたときにはしてしまってる。 もしこの説が成立するなら、子供は集団生活に最初に入るときにワザと暴力でトラウマを与えたり、あるいは暴力をした子供には躾をせず、別の集団環境に転移させ先に暴力を受ける様に仕向ける事で、聞き分けの良い子供を作れる。 一部無茶苦茶な論理になってる気がしますが、その無茶苦茶の論理に差し替えられそうな、人類にとって都合のよさそうな論理があったら教えてください。
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- key00001
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お礼ありがとうございます。 > 世界の紛争、パレスチナ・イスラエル問題を終わらせる方法を閃いたので 乗りかかった船で、付き合いましょう。 まず「格」は「核」ですね。 確かに、争いの原因である「聖地」が無くなりゃ問題は解決しそうですが・・。 一つは前提にムリがあります。 パレスチナは核を持ってません。 またイスラエルが核武装した理由は、「核使用国にはならないが、被爆国になるなら、核使用を躊躇しない」と言うものですから、核攻撃は脅しにはならないでしょう。 更に、そもそもイスラエル情勢は、地球上の宗教的対立の究極形と言っても良いほどで、「聖地」に対する思いは、命にも代え得る様なモノではないか?と思われます。 違う言い方をしますと、双方にとって「聖戦」であり、お互いに「宗教に殉じて死ぬことが、最高の幸せ」と思っている様な連中の争いです。 そんな彼らに対し、脅迫的な方法で解決するとは思いません。 それと最大の問題は、アメリカとロシアが手を組んで、問題解決に当たると言うのが、かなりムリっぽいし、その両国のメリットもなさそうです。
幼稚園からのママ友トラブルから精神疾患になった友人がいたので、私は子供を幼稚園には入れていません。 ですから幼稚園で起こりうる『理不尽な偶然』を避けることができました。 幼児の時から大人の人間関係に振り回されているのですから、『理不尽』を味わうのは当然です。 躾けに自信のある親なんていません。 でも、親が教えようとすることを諦めなければ、わずかずつでも成長します。 それは、偶然でもなんでもありません。 躾けで怒ることもありますが、『教える』が最終目標です。 躾が虐待になる親は『教える』を放棄しているのです。 子供は育てたように育ちます。
お礼
回答ありがとうございます 親が精神的な病んでしてまうと、子供も感染するというか、親を見て不安になる。 子供を持つ親集団にある特有の心理状態、例えば、子供同士が喧嘩をしたら親同士で自分の子供をかばい合い対立する。 どちらが正しいかに関係なく、普段平穏な親が取り乱す姿について、子供は一体何を見い出すのだろうか。 恐怖か不安か、対立をしでかす親は感情的である可能性が高く、我が子にに対しても感情的になりえる可能性があるとすれば、八つ当たりという形で子供に暴言や暴力が向かう。 その場合、子供は幼稚園で親を真似て暴力をするかもしれないが、元々、感情的をむきだす親ならば、子供が喧嘩をする前に既に、普段から八つ当たりという形で子供に暴言や暴力をしてる。 その場合は偶然ではなく必然が作用しているとして、その暴力行為は幼稚園で咎められる対象になる。 咎められる際に親と子がワンセットで先生に呼びだされる等すれば、その現象自体を恥とし認識する親が居てもオカシクナイ。虐待家庭があるとすれば幼稚園の段階でマークできる材料はある。 このサイトで以前、別の質問を投げた際に、子供を愛せないというのを断言してきた親がいました。 その人の理屈では、「3歳くらいまでは可愛かったけれど、反抗ばかりするので嫌いになった。うざい。憎い。」というとてもシンプルな答えでした。 3歳のする反抗が具体的に何かは聞いてないのですが、、食事妨害やわめき、我侭を原因とする。 私が赤ん坊の頃は食事妨害やわめき、我侭といった反抗は殆ど無かったらしいので、個人差にとても大きな開きがある可能性があるかもしれない。 私は虚弱体質でしたので、もともと活発性が無くて、反抗態度があっても観測できなかったのかもしれない。 そもそも反抗とは何だろうか? 3歳では自我が発達してきたとはいえ、物事の善悪の判断できないだろうか、犯行は親を困らせてやろうとか、悪意によるものじゃない。 反抗とは、例えば、脳が成長しニューロンが幾多に伸び結合する様に、自由に飛び交うエネルギーみたいなもと仮定する。 子供は外の世界で何ができるか、やれること限りの事をやろうとする。 それを親が反抗と捉えるか否かが、暴力を連鎖させる節目になるかもしれないとして、活発化否かについてを個人差問題としたら、運 子育てのスタートラインで運に支配されて、子供から犯行を受ける量がどの親も一律ではなく、不平等であるのなら、それは一体どの程度の信ぴょう性があるのか? また反抗の強い子供について、『教える』行為がどの程度、矯正の実用度持つものなのだろうか?
兄弟がいれば兄弟からの暴力が最初になる可能性が高いでしょう。 兄弟がいなくても、親と相撲やプロレスごっこなどをしていれば遊びとして覚えます。 最初は、幼稚園などではなく家庭です。 偶然ではありません。 偶然ではないというところから、考え直してみてください。
補足
ありがとう御座います。 なるほど。兄弟の存在ですか・・・。 これは完全に盲点でした。こればかりは全く想像の範疇になかった。 私が一人っ子だからもしれないですが、そういえば、私が幼稚園に入った際、最初に受けた暴力は、腕の噛み付きでした。 この噛み付き行為をしたガキンチョは、一体、どこでその方法を学んだのだろうか、謎です。 噛み付きはオシャブリの延長か、あるいは兄弟が居て上の兄に噛み付かれたのか? じゃあ、上の兄は誰から噛み付かれたのか。 記憶の中のその彼は、なぜ噛んだのか検討もつかない。 記憶には無いですが、私が悪いことをしたのかもしれないし、 単なる噛み付くのが癖となっているのか。 オシャブりから延長して、人の腕を噛むのは、少し行き過ぎてる様な気がするけれど、 親が暴力みたいな事をして、それに対抗する為に噛み付いた。 食べたくない食べ物を無理やり食べさせるから、うでを噛んで対抗した。 噛んだ後に泣き叫ぶリアクションが面白かった。 考える程に疑問が尽きません。 偶然でないとすると、どこが起点になるのか、 例えば、人間に進化する前、過去魚だった時代。 魚が魚を食べてた、時代の狩猟の記憶が脳の生理的なものを司る。 それが先天的に人の個人差の様なものとして現れる。 偶然でないなら、そういう事へ結論するけれど、それはもっか私の調査技術では能力オーバーする。 私の分析できる範囲内でないと意味がない。 「偶然」という前提で否定論説を出して頂けると更に幸いに御座います。
- key00001
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珍奇な仮説を否定するのは簡単で、「事実と合致していない」で事足りますね。 「人類にとって都合のよさそうな論理」も存在しません。 そんな論理があれば、究極の暴力とも言える国家間の戦争さえ回避出来ますし、それが可能なら、数千年の文明の中で、確立されてるでしょう。 根本的な欠陥は、そもそも生物は「暴力を行う様にプログラムされてるとする。」などと言う機械的・画一的に出来ていない点です。 むしろ同じ事象に遭遇しても、違う反応・挙動をする個体が存在する様にプログラムされていると言う方が正しいです。 暴力を体験し、それに対し周囲の反応を受けても、全員が同じ経験として認識することなど有り得ません。 たとえば火事になって、全員が同じ方向に避難すれば、もしその方向が間違ってた場合、全滅するからです。 大半は論理的・合理的に「風上に逃げる」などの判断をしますが、一部には風下に逃げる様な人物も必ず居たから、風向きが変わっても、人類は生き残ってきたのですよ。 中には、風下に逃げる様な人物がリーダーになる場合もあり、それが国レベルであれば、国民は「飢餓」「貧困」とか、「戦争」「敗戦」などを経験することになります。 また、そう言う国の国民は、比較的「聞き分けの良い子供」にされてますが、必ずしも「聞き分けの良い子供を作れる」ことが、良い結果にもなりません。 違う言い方をすれば、十人十色,千差万別と言う中で、画一的な教育を施そうとするから、「体罰」みたいな問題も生じるのですよ。 体罰も有効性はありますが、その有効性にすがるワンパターンな無能な教師や指導者が、生徒を指導死などに追いやるワケです。 強いて言えば、万能な論理などないから、「なるべく多くのスキルを備えた優秀な教育者・指導者が、教育・指導を施すのが好ましい」くらいです。
お礼
回答ありがとうございます・ 今煮詰まってて、訳の判らない思考の中にいます。思考に囚われてるとも表現できるかもしれません。 色々と世界の紛争について考える事で、大分息抜きにはなりました。 それで、少し話題がズレるのですが、世界の紛争、パレスチナ・イスラエル問題を終わらせる方法を閃いたので、よろしければ考察をお願いできますか? 情勢とかご存知でしたらお願いします。 私の把握してる範囲ではアメリカがイスラエルを支援して、パレスチナをロシアが支援するからこそ何時までも紛争が起きてると解釈。それを前提に書きます。 <パレスチナ・イスラエル問題解決案> まず、アメリカがイスラエルに「パレスチナが格で攻撃してくるよ」と言い、人々を避難させてどっかで保護する。 ロシアはその逆で、パレスチナに「イスラエルが格で攻撃してくるよ」と言い、人々を避難させてどっかで保護する。 その後、争いの元とになった土地に原爆を落として荒れさせる。 その後、イスラエルの人に荒れた土地を見せて、「敵は格で失敗して暴発して全滅した。」と言い。もう住めない状況を悟らせて保護してどこか遠くに離れた地に連れてく。 で、パレスチナについても同様に荒れた土地を見せて、「敵は格で失敗して暴発して全滅した。」と言い、もう住めない状況を悟らせて保護してどこか遠くに離れた地に連れてく 荒れた土地でも戻ろうとする紛争積極者や土地狂信者の様なヒトラーは、将来的な子孫達が紛争の犠牲者になると思うので、戻ったところを狙い撃ちして格を打ち込む。 「敵軍が地下に埋めてたもう一つの格が暴発した」という事にして、もう一度浄化するという事です。
「どんな子供であってもその性質として人に暴力を行う様にプログラムされてるとする。」のであれば、遅かれ早かれ、皆、暴力をふるうことになります。ただの「子供の喧嘩」ではないですか。(*^_^*) 「一部無茶苦茶な論理」……???……全体的にまったく論理性が感じられません。(*^_^*) 何度か読み返してみましたが、何を言いたいのか、さっぱり??? 頭が悪くてすいません。m(_ _)m
お礼
回答ありがとう御座います。 投稿の最中に神経を研ぎ澄ませていたからでしょうか、判断力が鈍っていたのだと思う 今、本文を読み直してみると、確かに全部が滅茶苦茶な論理に見えます。 しかし、どうやら私は自分の持ってる結論について自信がある様です。 恐らくは説明不足感があるのだと感じるのですが、何から説明していいか判らないです。 神経を研ぎ澄して人の潜在意識層に同調しながら分析した筈なのですが、そこに到達するまで自分でも、どの様な手順で踏み込んだのか思い出せない。 多くの論理的手順を踏んだのは確かなのでですが・・・・ >遅かれ早かれ、皆、暴力をふるうことになります。ただの「子供の喧嘩 とりあえず↑ の一文に反論してみて、思い出す為のキッカケを探したいと思います。 どうやって反論するのかはまだ自分でも判らないのですが、反論する為の材料探しの為に、「子供の喧嘩」とはどういうものかを考察してみたいと思います。 ~子供の喧嘩~ まず子供の立場になって考えると喧嘩をしてるとき、熱くなってる故に喧嘩をしているという自覚が無いものと仮定する。 だれもが「喧嘩なんて子供じみた真似はしない」という子供めいた思想を持つするなら、子供自身も同じ思想を持ってるという事が前提になると仮定する。 喧嘩の自覚が無い状態であれば、喧嘩を先生や親に咎められた後になってから、喧嘩だと気付く事になる。 後から過ちに気付くという事は、咎められてから過ちに気付くまでに若干のタイムラグがあるとする。 まだ若く咎めれた経験の浅い幼児にとって、咎められる状態というのは、理解不能である。 理解不能のままでは、喧嘩をする行為を強制的に邪魔をされるというのにも納得できず、自由権、自由意思を阻害するものとして解釈し、不快感に陥る事が想定される。 タイムラグは「不快感に陥る事」を意味するとして、不快感に脳が支配されてる時は、脳の神経伝達の回路の何割かを不快感領域に占有され、その他の論理的思考回路の占有率が低下するものとする。 その場合、いわゆる「脳の思考を邪魔する不快感がある」という意味になり、冷静な思考ができなくなる。 その状況からは、子供たちは喧嘩について自分たちの正当性を主張したくなるものとする。 「決して自分は悪くない」喧嘩が悪いことを理解してないのだから、そうなる原理は至極当然の原理だと思われる。 その喧嘩の正当性が理解されない場合において、子供は理解してくれない対象物(親や先生)に反骨心を抱く。 この反骨心を抱く子供が、喧嘩の正当性において負けたと仮定するなら、、一方の喧嘩相手は喧嘩の正当性において、先生や教師から認められたという事になる。 上記の論理を前提としまして、以下の様な論理が成立するとする。 反骨心を抱く負けた子供の姿、光景は、不特定多数の第三者の幼児の目から見て、不幸に写り、「喧嘩はしてはいけないもの」と認識する。 その認識は、暴力を振っるったた子供が居てこそ成立する。暴力をした子供を反面教師として学習した。とも表現できるとして、 そうであれば、暴力を先に振るう子供が現れた結果が無ければ、「喧嘩はいけない」とは認識できない訳であり、暴力思想が前提として存在する必要性がある。 つまり、人は生まれながらの前提として暴力思想がプログラムされているという事になる。 幼稚園等の集団生活において、暴力を先に振るうか振るわないかで、子供の心理的立場は3つに別けられる。 1、先に暴力を振るい、正当化できず、反骨心に誘われる。咎められた結果、喧嘩をいけないものと学習する子供 2、暴力を先に振るわれ、心的トラウマを得る。咎められる際に、喧嘩をいけないものとして学習する。子供 3、1と2を傍観して、喧嘩をいけないものと学習する子供 それぞれ、1,2,3は喧嘩をいけないものと学習しているが、1に関してはタイムラグによる不快感を得たせいで反骨心を持ってしまった。 この反骨心を持った状態は、一種の先入観として、潜在意識にこびりつくものとする。 例えば「自分のやる事にケチをつける親や先生がこの世に存在する(憎悪)」というのを自覚しないレベルで深層心理に設定される。 この状態で、この1の子供が偶然、「喧嘩をいけないものと学習してない子供」に出くわし、先に攻撃を受けて喧嘩になったとする。 悪いのは相手でも、1は前科がある故に信用性に欠け周囲の大人は「またやったんか!」とか「喧嘩はいけないと言ってるでしょう」と本人自身が自覚してる事についてまで再度促される傾向があるとする。 判ってる事をあえて指摘されるというのは、いい気持ちがしないというのは、誰もが経験するものだろうけれど、1にとっては前科がある故に、2、3と違って大人への反骨心が芽生えてる分、 受け取り方にも差が生じやすいとする。受け取り方が違えば、1と2と3は、同じ条件の喧嘩の咎められ方でもリアクションに違いが生まれる可能性が高そう。 例えば「またか! 畜生!」的なニュアンスの感覚を受けるとする。あるいは「どうせ喧嘩を両成敗で結局オレも悪いんでしょ」とネガティブに解釈し反骨心を増加させる。 同じ条件でもリアクションが違うのであれば、「ただの子供の喧嘩」ではないという事になる・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 上記の内容を何となくタイプしてみたけれど、 まだ少し思い出すキッカケが掴めそうに無い感じがします。 喧嘩の仲裁にて、裁かれる側に不平等感が生じて、それが反骨心へと繋がるのは正しいと思うのだけれど、まだ質問本文と対比して矛盾感がある様に思います。 まだ説明不足感が否めないのですが、何をどう説明したらいいのか・・・ まだ自分の説に自信があるのですが、論的根拠を思い出すには雲を掴む様な気分です。 もしかしたら、夢みたいなもので、論敵根拠があるかと錯覚しただけかもしれない。 少しばかり結論を否定方向から考察を心みたいと思います。 しばし、お待ちください。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
躾を受けると、悪い子になる、てのと 暴力を受けると、よい子になる、ての とで矛盾しませんか?
補足
矛盾してるとは思わなかったから書けたのだと思う。 でも、どうして矛盾しないと思ったのかは思い出せない。 なんとなく、以下の文章がそう思わせるキッカケを与えてる様に思う。 >一方、偶然にも暴力を振るうのが遅かった子供(暴力を先に受けてしまった子供)は、「外の世界はなんて怖いんだ! ママ助けてー!」という感情となる。 外の世界と、母親世界を対比して、安全地帯を認識し、幼稚園を休ませてくれる可能性をくれる母親をより尊重するようになり、聞き分けの良い子になり、躾をする必要性が殆ど無い子になる。 母親を安全地帯として認識して、子供が「幼稚園休みたい」という感情を誘発。 それを母が受け入れるか否かは自己の命に関わる問題となりて、母親に嫌われる様な事になってはいけないと本能的に察知する。 アメとムチの様にそのロジックが機能して、子供が親に忠実になる。 上記の様な論建てから、恐らく、躾を受けると、悪い子になるとして過大評価、あるいは結論先急ぎの私の心理から早とちりした様に思われる。 暴力を受けると、よい子になる というのは、あくまで親と外の社会とを対比して親の方に安全地帯を見いだせるか否かが重要な指標になる。 親も暴力をしていた場合は、外の世界で暴力を受けても、機能しない可能性大。
お礼
争う理由も土地から離れられない理由も、私の想定を遥かに超えてるという事ですね。 脅迫も駄目となると、逃がす案は撤回して核だけを撃ち込んで浄化するしかないという事か・・・ 有難うございます。勉強になりました。