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ラフマニノフのピアノ協奏曲のカデンツァについて
ラフマニノフのピアノ協奏曲3番第1楽章のカデンツァに関する質問です。 あの曲には通常のカデンツァ(小カデンツァ)だけでなく、大カデンツァと呼ばれるOssia版がありますよね。 私は初めて聴いたのがブロンフマン演奏・ゲルギエフ指揮の演奏で、ブロンフマンの演奏するカデンツァに衝撃を覚え、この曲が好きになりました。 ところが、他のピアニストの演奏を聴いてみると(ラフマニノフ本人・ホロヴィッツ・アルゲリッチ・アムラン・ワイセンベルクetc.)、ほとんどの人が小カデンツァのほうを弾いているようです。 最近だとリシッツァ・ベレゾフスキー・カツァリスあたりが大カデンツァを弾いているようですが。 伺いたいのは (1)私は大カデンツァのほうが演奏効果が圧倒的に高いと思うのですが、なぜ多くの人が小カデンツァを選ぶのでしょうか? 難易度もあるかもしれませんが、超絶技巧を誇るあのホロヴィッツやアムランに大カデンツァが弾けなかったとは思えません。 (2)すべての演奏を聴いたわけではないので分かりませんが、全体では、小カデンツァの演奏と大カデンツァの演奏との割合はどれくらいなのでしょうか。 (3)ピアノ協奏曲3番は、通常の協奏曲ではほぼ最難曲といわれますが、ピアノ独奏曲の中でも屈指の難易度なのでしょうか。 例えば、バラキレフ「イスラメイ」やリスト「鬼火」、ラヴェル「夜のガスパール」、シフラ編曲「熊蜂の飛行」と比してどうでしょうか。 (3)は興味本位ですので、回答不可能であればお答えいただかなくても構いません。
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- SPS700
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#1です。釈明です。 ド素人のくせに何度も出てきて済みません。僕の考えでは、ピアノにいたる鍵盤楽器の力と、カデンツァの有意義さとは、反比例の関係にあるような気がします。 ま、いろいろな名前はありますが、鍵盤楽器の音量が小さいときは、他は静かにしないと、聞こえない、だから、独奏者の技量を発揮するには、他の楽器をとめて、聞き入る部分が必要だった。 ところが、鍵盤楽器の音量が大きくなって、オーケストラを相手に相撲が取れるようになると、カデンツァの存在価値はだんだん薄まってきた。 確かホロビッツが、どうしてXのカデンツァを使うのか、というインタビュアーの問いに、「短くていいから」と答えていたのを覚えていますが、そう言う時代の移りをよく捕えた人だな、と思いました。 モーツルトと、ベートーベンのピアノ協奏曲で、鍵盤楽器の役目を比べてみると、その違いがはっきりするように思います。
- Tann3
- ベストアンサー率51% (708/1381)
もう、前の方がおおかた書かれているようですので、少しだけ。 協奏曲の「カデンツァ」は、もともとソリストが即興演奏するためのものでした。「カデンツァ」という用語は、もともと「終止形」という意味です。通常は、ソナタ楽章の展開部の最後の終止部(再現部の入口)で、即興演奏でソリストの妙技を聴かせるものでした。 従って、古典派の協奏曲では、カデンツァ部分には「フェルマータ」マークが付いているだけで、一切何も書かれていません。 これが、ロマン派以降の作曲家と演奏家の役割分化に伴い、カデンツァで演奏する内容を作曲家が楽譜で指定することが多くなったようです。 これに伴い、古典派の協奏曲でも、有名な作曲家やソリストの作ったカデンツァを借用して演奏することが多くなったようです。ただし、現在でも、自分でオリジナルのカデンツァを弾いたり、現代作曲家にオリジナルのカデンツァを作ってもらったりすることもあるようです。 肝心のラフマニノフの協奏曲第3番ですが、下記のリンク先でダウンロードできる楽譜にもあるように、ラフマニノフ自身が2種類のカデンツァを出版譜に載せています。(p-36) http://imslp.org/wiki/Piano_Concerto_No.3,_Op.30_(Rachmaninoff,_Sergei) p-38後半からは両方共通ですので、異なるのはオリジナルの39小節に対して、Ossia版(代替版)は55小節です。演奏時間的には「大」と「小」というほどの違いはありません。オリジナルが、やや軽めの高速版(スケルツォ的)に対し、Ossia版はじっくりゆっくり重厚版ですね。 どちらを選択するかは、やはり演奏者の音楽的趣向によると思いますが、この第1主題に基づくカデンツァに続き、楽譜のp-40からもう一つのカデンツァ(第2主題に基づく、テンポゆったり目)があるため、初めのカデンツァを重厚版にするとバランスが悪い、という判断が大きいのかな、と思います。 私の持っているCDでは、アシュケナージの演奏(指揮はプレヴィン)が「重厚版」でした。 質問(1)については、上記が回答です。 質問(2)は、そんなに聴いていないのでわかりません。そんな統計情報は、「実際の演奏数」とか「CDに録音された数」とか、定義によっていくらでも変わるので、あまり意味がないでしょう。 質問(3)も、私はピアノがほとんど弾けないので分かりません。 ただ、いわゆるピアノ独奏の小品(長さが数分、高々10分程度)と、オーケストラとの音量勝負で演奏時間も長い協奏曲(この曲の場合、45~50分)とでは、楽譜上の難易度だけでは比較できないと思います。マイペースで弾ける独奏曲と、音楽に関して百戦錬磨の指揮者&オーケストラプレーヤーと丁々発止のセッションを組む協奏曲とでは、おそらく負担は雲泥の差だと思います。
- madvally88
- ベストアンサー率49% (161/323)
(1)単純に音楽的理由からです。 作曲者本人からして、そうですから。 曲のバランスからして、Ossiaは大きすぎるからでしょう。 曲が終わるような感じがするみたいなことを言っていたと思います。 ホロヴィッツも同じような理由でした。 興味があるなら、ホロヴィッツ(グレン・ プラスキン著)を読んでみると面白いです。 それと、2つのカデンツァに、難易度の差は無いみたいですよ。 Ossia版は、あの部分だけを取ると非常に魅力的ですから、聴きたいのは理解出来ます。 残念なことに、弾いて欲しかった人たちがオリジナル版を採用しているのは、なんとも皮肉ですね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
僕は音楽はド素人で、聴くだけですから、多分外れでしょうが 1。聴いてて退屈なものが多い(例えばベートーベンのピアノ協奏曲にもカデンツァに2種類以上あるのがあり最近長い方を使う独奏者も)。ピアノの派手な独奏が聴きたければ、何も協奏曲を聴きに行く必要は無い。 2. 知りません。 3。難易度は、「技術派」の問題で、音楽の深さとは無関係だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 > 曲が終わるような感じがするみたいなことを言っていたと思います ラフマニノフ本人がそんなことをいっていたのですか? > ホロヴィッツ(グレン・ プラスキン著) そんな本があったのですね。